――その日、豪奢な作りのその扉を長身の男が潜り抜けたのは夜も更けてからのことだった。
無遠慮なノックを迎え入れたのはスキンヘッドの大男…と、見紛うような体格の女性で、二、三言男と言葉を交わした彼女は慌てた様子で奥の間へと使いを向けた。


「!お待ち下さいマリアン様、一体どこへ――」

「寝室を借りる。悪いがアニタには直接そっちで会う」


使いの帰るのも待たず、我が物顔でずかずかと歩を進める男。その衣装はいつもの如く高級な素材で出来ているようだったが、所々汚れているような印象だった。
しかしそれ以上に人々を驚かせたのは、その腕に抱えた“荷物”の存在で。

その長い足で寝室の扉をぶち破り、薄暗い部屋へと押し入る男。勿論其処が来客用の部屋で、しかも専ら自分のために宛がわれた場所だと知っているからこその行動である…はずである。
高級な調度品で飾られた部屋は彼の好みに合っている。しかし今はそれすらも構うことなく部屋を突き進み、ほぼその中央に設置されたこれまた豪奢な寝床へと男は腕に抱えた“荷物”を放り投げた。


「…う…っ」


ふかふかの羽毛に埋もれる瞬間、“荷物”が小さく呻き声を上げる。それを聞いた男は不快気に眉を顰めたが、その声が痛めた箇所を下敷きにしてしまったためのものと気付くと溜め息を吐いてそれを転がしてやった。


「――まあクロス様!」


と、そこへ落ち着いた玲瑯な美しい声が響く。振り向けば戸口に現れたのは絶世の美女で、普段高く結われている長く美しい黒髪は今は首の後ろで緩く纏められ、彼女が就寝しようとしていたことが見受けられた。纏うのは上等の寝着で、その上には絹の肩掛けをふわりと巻いている。
彼女が手にした蝋燭が室内を照らせば、男の赤い髪がぼんやりとそこに浮かび上がった。寝台に腰掛けるようにしていた男は、女に気付くと一瞬ふっと目元を緩め微笑した。が、次の瞬間には元の険しい顔つきに戻っている。


「どうかなされたのですか?今宵は戻らないと聞いていましたが」

「この馬鹿がちょいとやらかしてな…――どうやら腕を折ったらしいんだが」


そう、男が担いできた“荷物”は、彼が一応弟子としている少女だった。
一目で上等と分かる羽毛布団に埋もれている様はまるでボロ切れのようで、着古した黒いワンピースからはひょろひょろした手足が覗いている。先ほどの竹やぶで負ったらしい傷は生々しく、靴を履いていたにも関わらず皮膚を切り裂いてはじんわりと血を滲ませていた。

そうして極めつけはその腕である。胸の上に乗せられるようにして置かれた右手は赤紫に腫れ上がり、熱を持って少女を苦しめている。患部が痛むのか少女はうんうんと魘されたような声を上げ、また苦しそうに胸は小さく上下していた。


「…クロス様」

「何だ」

「何度も言いましたが、この子はまだ年端も行かぬ女子ですよ。いくら修行とは言えこのような無茶はなさらぬようにと」


女がその美しい鼻梁に怒りの色を載せて男を睨み上げる。普段人外の者と闘っている男もその表情にはややたじろぎを見せるが、説教はもういらんと言わんばかりに手を振ってそれを制した。


「俺の鞄にいくらか漢方の残りがある」

「はい」

「それを適当に混ぜて飲ませりゃどうにかなんだろ」

「………」


薬も毒になるということが、この男には分からないのだろうか。女がツッコミを入れる前に男は立ち上がり、持っていた荷物から無造作に小瓶を取り出したかと思えば、その言葉通り「適当に」混ぜ合わせてみせ。


「…飲め」

「………」


気絶する少女の口元にそれを無理矢理持っていく。勿論少女の方は意識がないのだから、飲めるはずもないのだが。


「…てめェクソガキ…師匠の言うことが聞けんのか」

「クロス様、この子は気絶して」

「アニタは黙ってろ」


強い口調で女を黙らせ、ついでに無理で道理までも押し通そうとする男。薄紙の上に乗せた色々と危険な自称漢方薬を少女の口元に寄せ、唇を摘み上げると無理矢理にそれを引っ張った。


「――んが!」

「オラ薬だ」

「…ん、ぐ」

「水なんてねェぞ。飲み込め」


挙句の果てには粉薬を水なしで飲ませるという荒業まで見せる始末。隣に座っていた女がかける言葉もなく呆然とその様子を見守っていれば――


「…ぐ…!?」


――ドカァァン!!!

…擬音にすればまさにそれくらいの衝撃を受け、少女は顔を真っ赤にして倒れこんだ。否、確かに先ほどまでも倒れこんではいなかったのだが、今度は痛みというよりも薬による急激な体温の上昇により昏倒するというような感じであった。


「…これで三日は眠んだろ」

「クロス様!!」


しかもその投げやりな言い草に遂に女は声を荒げる。しかしそれすらもどこ吹く風というような風情で男は立ち上がり、次に「風呂に入る」と言いさっさと部屋を出て行ってしまった。


「…まったく…仕様のない人ね」


去って行った大きな背中を思い浮かべ、女は小さく溜め息を着く。
目を回して倒れてしまった少女は心なしか先程よりも苦しそうな顔をしていて、余りに心配になったため女は使いを呼んでその額に冷たい手ぬぐいをそっと置いてやった。



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