「…ごめん」


呟くと、体の中心から何かがぶわりと溢れてくるのを感じた。


「ごめん、私、アンタが守ってきたものを、ちゃんと守りきれなかった」


あれだけ傷ついてボロボロになって、自分ばかりが不幸であろうとして。背中ばっかり見てきた私は彼が微笑む顔を知らない。微笑みをくれるような関係ではなかったとしても、遠目にすらその光景を見ることはなかったのだ。
それが痛みに堪えている証拠なのだと、気付いたのは彼が死んでからだった。


「…ごめんなさい…っ」


浮かばない笑顔に涙が溢れた。私が泣いてどうする。そう思ったが、存外弱虫の私はこの込み上げる熱い液体を止める術を知らない。いつもはきっと怒られるからと、歯を食いしばって我慢していたのだ。なのに嗚呼、今となってはそれを叱り飛ばしてくれる声すら聞こえない。
とうとう堪えきれず不細工な顔で大粒の涙と嗚咽を漏らしだした私が蹲ると、立っていた場所に少しだけ冷たい風が吹き込んだ。小さく雑草を揺らすばかりだった風はやがて一陣の旋風となり、何かを攫うように地上の熱を吸い込んでは舞い上がる。


「………っ」


そうして驚いて顔を上げた私の目に映ったのは、勢いをなくした風に振り落とされてはらはらと落ちてくる一枚の花弁。
桃色の涙のようなそれが綺麗に鼻の頭に止まり、指先で摘むとどこかで見たような形をしているのに気付いた。


「…これ」


少し大振りのその花びらは、恐らくではあるが先程ミツエちゃんの店でおまけにもらった花のそれだ。淡い桃色が外側から中央に向かって白く色を失う様が、まるで涙に滲んでいるようにも見えた。


「…何これ。今更オンナノコ扱いかよ…」


悪態を吐こうと発した声は情けなくも涙混じりに震えている。一年前から伸ばし始めた髪は毛先が少し痛んでいて、けれどもそれを掬い上げるように再び吹き込んだ風にあの人の手の平を思い出した。


「ふふ…っ」


優しげなそれに思わず笑みが漏れる。ああ、やっぱり貴方にピンクなんてのは似合わないよ。中村さん。

止まってしまった涙を小袖でごしごしと拭き取ったら、鼻を啜ってすっくと立ち上がる。捨て置いたワンカップの瓶だけ拾い上げ、私は小さく会釈だけを残して踵を返した。
再びあの雑木林を越え山門に戻る。瞬間、ふと誰かに呼ばれた気がして振り返るがやはりそこに人の気配は感じられなかった。
来た時よりも軽い足取りで地上へ降り立つ。長い階段を下ると見覚えのある黒塗りのベンツが乗り付けられていた。運転席には額に青筋を浮べるお抱え運転手。イライラと時計を見やるその様から、心配性が過ぎる“父親”の差し金だろうと苦笑が零れた。
私は大きく腕を伸ばし、空を抱くように伸びをする。車の中から私を発見した運転手が何事か叫びながらこちらへやって来る。恐らく汚した着物や無断外出のことでこれから散々お小言を頂くのだろう。けれども気分はそこまで悪くない。最高とも言い切れないが、まあ、あの人が望んだことなのだから。

地上にはまだ夏を思わせる暑い熱が蟠っていて、それら全てを奪い去るように吹き抜ける風が着物の袖を揺らした。
ああ、貴方は今度こそ、その逞しい両腕から武器を捨てて。
大切なものを抱える腕を与えられて、どうか幸せに笑っていて。




"愛しい"の飼育法
(Happy Birthday/0909)




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -