めでたい



白い部屋には午前の眩しい光が差し込んでいた。分厚いビロードのカーテンがかかった窓はひと掬いの塵芥もないほど磨き上げられている。
どことなく闇を連想させるその人の部屋は意外にもこんなに明るい場所にあった。とは言え普段彼と対峙する時はほとんどカーテンが閉められているので、それを思い出したのはほんのついさっきのことなのであったが。

窓から見下ろせる庭園はこざっぱりと、しかし美しく整えられている。いつ庭師が入っているのか、長い間この城のような所に住まわせてもらっていたというのに私はそのような人と遭遇したためしがなかった。
どこまでも続いていくのではないかと思うような黒い鉄棒で出来た柵が鈍く日光を照り返している。少し離れた正面玄関――ポーチに至るまでの小路の上には黒い服を纏った男性がずらりと並んでいた。門の外にはこれまた真っ黒に塗られたロールスロイス。こんな天気のいい日に重厚な雰囲気を醸し出すそれらは、どことなく滑稽に私の目に映りこむ。

ふと、相対する人物が動いた気配がして視線を上げた。
大きな革張りの椅子に腰掛けていたその人は今日も気だるげに片肘を突いている。軽く握った拳の上に乗せられた頬が存外柔らかいことはきっと私しか知らない秘密。まあ、悪戯心にその頬を突いた時には危うく命の灯火が消されかねない状況に陥ったのだけど。

不機嫌に細められた赤い相貌は光の差し込む窓に向けられている。繊細な黒髪と男性にしてはいやに白い頬が光に融け出しているようだ。ずっと見ていたいほど神聖な横顔は、けれど私にとってこの世で誰よりも近くにあって遠い人のもの。



「…そろそろ時間か」



窓に視線を向けていたその人が呟く。この部屋に時計というものはなかったが、時間をも凌駕し支配してしまう彼が言うのだからきっとそうなのだろう。
彼の前に傅いた私はいつになく美しいドレスを纏っていた。純白の絹で仕立てられたそれはこの空間にあって何やら異様に際立って見える。それを汚さぬように細心の注意を払って垂れ下げた頭にはきらきらと光る綺麗な髪飾り。花をモチーフにしたそれはイタリアでも指折りの技師に作らせたのだとかで、ルッスーリアに聞けば私のお給金がお駄賃に思えるような値段なのだと教えられた。
しゃらん、首と耳につけられた宝石が揺れる。こんな日にも礼を欠かない自分に少しだけ笑いが込み上げた。この何年かで私はすっかり躾けられてしまった様だ。


「…長い間このように卑しい私を見捨てずにお屋敷に置いて下さった恩、決して忘れることはございません」

「………」

「此度の件も心から感謝申し上げております。佳き人を見つけて頂き、名前は幸せにございます」


つっかえる様子もなくすらすらと慇懃な台詞を零す私の唇。流暢なイタリア語で発されるそれはかつて目の前の人が直々に教え込んでくれたものだ。少しでも耳障りな発音があれば容赦なく蹴られ殴られ外に放られた日々を思い出す。
あの頃はそれを辛いと思う間もなかったような気がする。ただ生きて行かなければと、私を殴るその腕に必死で縋ったものだ。赤い瞳に映る自分は随分とみすぼらしく見えて、どこぞの王子のように金色の髪や青い瞳を持っていればもう少しましではあったのかなどと、下らないこともよく考えた。

私の口上に彼は眉の一つも動かさない。ただじっと窓の外を睨み据えるように両目を眇め、普段よりも心持ち丁寧に着こなした漆黒のパンツで長い足を組む。

平伏するように頭を垂れて見つめる先には水仕事に荒れた私の醜い手しかない。塗りこめられた血液のように真っ赤な絨毯は私の下にあって、さらさらと肩のラインを伝ってこぼれて来るのはこの国には珍しい漆黒の髪。
沈んだようでありながら彩色豊かなこの部屋で、ただ私だけがモノクロだった。唯一褒められた肌は白く、故郷である東の果ての島国の先天的な遺伝によって私の髪や目はこの世の何よりも黒かったのだ。

――コツン、
頭上で一つ靴が鳴るのを聞いて私ははっと顔を上げかける。けれどそれは彼の目の前で許された行為でないことを咄嗟に思い出した。慌てて額を床につけた私は新調したばかりの革靴が体の横を通り過ぎるのを待つ。


「…いつまで這い蹲ってるつもりだ」


革靴の音に続いてガチャリと扉が開く音がした。甲高く鳴いたのは古びた蝶番で、私はようやくそこで顔を上げることを許される。



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