「…ありえねー…」


しかし結局世話をするのはお母さんの役目なのだ。可愛がるのは始めだけ、最後は見向きもしなくなるんだから…ってほんと何なの俺のポジション。主人公ってこんなに辛いもの?
なるべく目を合わせないよう項垂れる俺に、しかし人魚は空気を読まずにさっきからガンガン話しかけてきやがる。童話の人魚は魔女に声を奪われたが、足を持たないこいつはもう明石屋さんま並みによく喋った。見た目はそこらの女子高生くらいなのだが、話す内容が浮世離れしているというか、どこかズレているため対応に困る。というか床が濡れるからあまり興奮しないでほしい。水がないと生きられないのではと勝手に解釈した上でババアから借りてきたちびっこプールは、どう考えても人魚のサイズとはややミスマッチだった。


「なあ、聞いているのか人間」

「…るせェな。いい加減ネタを尽かせ。何でそんなに喋ってばっかいんだよ」


うんざりしている俺の心が読み取れないのか、よく分からないという表情で人魚は首を傾げる。深海をそのまま閉じ込めたような青い瞳は光を取り込んでゆらゆらと揺れていて、あどけない表情と相俟ってそいつをやけに幼く見せた。

余談だが、人魚は俺達のことを総じて人間と呼んだ。勿論こちとら生まれた瞬間から人間のつもりでいるのだからそう呼ばれて何の不自然もないのだけれど、名前を教えようとそいつは徹底して俺達を人間と呼んだ。
見た目だけならそんなに相違のない生き物から種族の名称で呼ばれるのは何だか不思議な気分だ。とは言えこちらも相手を“同じ”生き物とは認識していないので、それで十分なのではないかと感じ始めている。

ソファに腰掛けた俺からは人魚の頭はやや低い所にある。見上げる瞳には何の感情も見られない。
頭を押さえた掌の隙間から見下げるようにそいつに視線を向けた。ほとんど生まれたままに近い姿をしているのに、食指が動かないのはどういうことだろうか。まあ神楽ばりのぺったんこだということはあるにしても、やはり相手が異種族というのが大きいような気がする。
類似した姿を持ちながらも決して交わりえない。どこか宙に浮いたままのその存在は、童話に出てくる人魚そのものだとそんなことを思った。


「何故喋るか?不思議なことを聞くものだな」

「…悪いかよ」

「悪くはない。興味深いだけだ」


そいつの話によれば、俺達はほぼ同じ造りをしているらしかった。頭には脳があり、腹には消化や循環や呼吸のための臓器が詰め込まれ、左の胸では心臓が絶え間なく鼓動を続けている。しかし生きる環境が違うゆえ、その考え方は恐ろしいほど正反対だ。俺達人間が理性に従う生き物であるならば、彼らはもっと原始的な、ごく獣に近い考え方を有しているようだった。

しかしその麗しく弱々しい見目では獣にも交われないのだという。頭の中を共有しても、借りる姿を同じくしてもどちらにも染まることはない。染まることは、できない。


「私は人魚。ごくごくヒトに近しい化け物だ」


そうして人魚は仄暗い深海の瞳を伏せて言う。

そいつは俺達のことを人間と呼んだ。
そいつは自分のことを人魚とは呼ばず、化け物と称して微笑んだ。


「先にいた海で学んだのだ。人語を解さぬ生き物を人間は捕食するのだろう?ならば私は生きるため、こうして口を休めることはできない」


ぱちゃり。人魚が尾びれをくねらせ、水面にいくつも波紋ができた。俺は顔を伏せたままただ唇を噛み締めるばかりで、結局人魚と顔を合わせる努力すらしなかった。

おとぎ話に聞くその美しい生き物たちは、ただ生きるためだけに生きているのだ。



夏の海獣



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