――ドサリ、
最後の遺体を放り投げれば私の背から一切の重みが消えた。身を起こすとコキコキと小さく関節が鳴る。


「………」


暗がりに浮かぶ目の前のうず高い小山。もうはっきりと形なんて見えやしないそれは、昨日まで生きていた戦友の亡骸の山だ。
毎日のように繰り広げられる戦争で私たち側の受ける被害は尋常じゃない、なんて言葉では表せないくらい尋常じゃない。白刃の元に命を散らし戦場に倒れ伏す抜け殻はもみくちゃの中踏まれて蹴飛ばされてぐちゃぐちゃになってしまう。安らかに眠るどころか強制的に人の輪から外れさせられ、彼らが行き着く先はどこだろうか。
まあとりあえずいつまでも戦場に放置しておくわけにも行かないので、こうして暇を見てはいちいち回収作業に明け暮れているのだけれども。


「もうこれで全部かァ」


死肉を狙った烏が飛び交う空の下、鈍い銀色がゆったりと風に靡く。それに合意を示すようにすっと数歩後退すれば、次の瞬間には一気に視界が明るくなる。松明から移された炎が衣服やら血脂に引火してゴウッと燃え広がった。
誰かが手にしていた松明を投げ入れるたびにそれは空に向かって大きく背を伸ばして行く。独特の異臭が充満する最中、その場を動こうとする者は誰一人としていなかった。

空に向かう煙が、彼らの魂を運んでくれると幻想でも抱いていたのだろうか。


煤と血と泥で汚れた体を冷たい水で洗い流す。男所帯もいいところのこのボロ小屋では温かなお風呂なんて夢のまた夢だ。髪が痛むとか肌が荒れるとか、そんなカスみたいな乙女心はとうにどこかに落として来た。
無骨な石鹸でごしごしと体を擦れば表皮が悲鳴を上げる。しかし構わず肌が赤くなるまで摩擦を加えると、漸く本来の色が戻ってきたように思える。普通のオンナノコよりも少し浅黒い、傷だらけのこの身は私の勲章だ。

風呂から上がり薄い浴衣で廊下をぶらつく。最早私が女であるとか気にする野郎もいないため、こんな格好をしていた所で注意してくるのはどっかの長髪ただ一人だ。因みに喜んで見ようとする奴もいはしない。
埃でザラつく廊下を素足で歩くのは妙に気持ちがいい。そのまま土間になっている厨房に下りて貯蔵庫を探れば、誰が持ってきたんだか口の開いた一升瓶がごろりと転がり落ちた。丁度いい、これでちょっと憂さ晴らしでもしてみようか。
私の足はしっかりとした意思を持ち縁側へと向かっていく。既に時刻は日を跨ぐかという所、この時間帯に起きている者なんて誰も――


「…何だてめェか」

「…いたよ」


高をくくっていた私の前に現れたのは縁側を思い切り陣取っている傍若無人な先客。私以上にだらしのない着こなしはどうしてかヅラにツッコまれたことはない。
赤黒い大地を臨むそこには既に壊れかけた庇がお情け程度にくっついているだけで、今日の空が随分とよく見通せた。濃紺に灰色を混ぜたような空に、大きな金色の饅頭が浮かんでいる。


「あれで一体何人分かね」

「…何でお前の頭は食いモンのことばっかなんだよ」


お月様饅頭説を説けば、座り込んだままの高杉が少しだけ眉を顰めたのが見えた。細い眉をきゅっと寄せる様が月光に陰影を落としてやけに綺麗だ。

何してたのと軽口にも問えば、月見、とこれまた軽い声が返される。ふうんと生返事を返しつつ隣に座り込む。気に入らないのかさっきよりも眉間の皺を濃くした高杉だが、そこは都合よく無視しておいた。
左手に携えた一升瓶を床に置くとごとりという重い音。それに反応してか高杉がちらりと目線をこちらに向けた。


「やんないよ」

「オメーのじゃねェだろうが」

「私が見つけたんだから私のもんさ」


手持ちの猪口は一つしかない。こんなデカい瓶から一気飲みというのも風情がないので、にししと腹の立つ笑いだけを返しておく。


「それ寄越せ」

「やだよ私が持ってきたんだから」

「もう一個持ってくりゃいいだろうが」

「じゃあお前が持って来い」


どうしてもこの場を動きたくないのか、私の手にある猪口を高杉はその鋭い目つきで狙って来る。立って歩けよ。お前の足は木偶だったのか?


「…チッ」


暫く無言の問答が続き、漸く向こうが折れたようだ。小さな舌打ちで袖口に手を差し込むと開いていた合わせが余計に露出度を上げたような気がする。

それをじいっと凝視しつつ(綺麗な肌だな)私は酒瓶から酒を注ぎいれる。トクトクと一定のリズムを刻むそれはまるで人の心臓のようで、流れ落ちる液体は月の光に照らされて涙のように濡れ輝いた。
躊躇いもせずに思い切り煽る。中々に強い種類だったのか、一瞬喉を痛烈な熱が通り過ぎるのを感じた。


「…苦い」


渋面で呟けばくつりと高杉が笑う。その手にはどこから取り出したのか煙管が握られていて、こんな戦中にあってそいつの持つ何よりも高級そうな拵えのそれは私の目に違和感を孕んで映りこんだ。
そういえばこいつが煙草の類に手を出すようになったのはいつのことだっけ。銀時や辰馬と一緒に試してみたのが随分遠くのことのように感じる。二人もその時は「吸えないことはない」とか言ってたけど、アレは本心なんだろうか。私にはこんなん口にするもんじゃねえとしか思えなかった。

視線を動かして捉えた高杉の横顔には、口にしているものが不味いとか美味いとかそういう種類の感情は浮かんでいない。ただ中空に吊るされた大きな饅頭…じゃない、お月様を漫然と眺めているような。心ここに在らずというのか…抜け殻のようで酷く恐ろしい。

ふいに高杉の視線がこちらを向いた。私は思わず口元まで運んでいた酒を引っくり返すんじゃないかと思うほどで…っていうか実際引っくり返した。


「何してんだ」

「…ちべたい」


あーあ、折角お風呂に入ったのに。ここんとこ戦続きだったから3日ぶりくらいだったのに。
じんわりと淡色の浴衣に染みこむ水分を眺めていた。胸元に落下したから素肌に張り付いて何かエロくさい。

どうしようかなあとぼんやりそれを眺めていると、横に置いてあった一升瓶がまた重い音を立てて動かされたのに気付く。何事だ。
見れば瓶から手が生えていて――というのは嘘だけれども、伸ばされた白い手は確かに一升瓶を掴んでいた。誰と言う事もなかろう、まだ酒を諦めていなかったらしい高杉晋助に他ならない。


「やんないって言った」

「猪口取りこぼしてるような奴に飲まれるほど哀れなこともあるめェ」

「………」


暗に酒を飲むなと言っているんだろうか。目を半分に眇めてじとりと睨み付けたが、返されたのはクツクツという愉しそうな笑い声一つだけだった。


「返せよそれ。さっきはちょっと手元が狂っただけだから」

「手元狂うってなどーゆうこったよ。いいからてめェはオレンジジュースとか飲んどけ」

「オレンジジュースなんてどこにあんだよ」


身を乗り出して酒を取り返そうと躍起になる。すると面倒臭そうに高杉が眉をしかめ、懐に突っ込んでいた手で煙管を縁側に叩きつけると何故だか腕を掴まれた。


「ぎゃっ!」


我ながら色気のない声ではある。だがこの冷たさには奇声も上がるというものだろう。高杉の手は異常に冷たいのだ。それこそ、氷に触れているかのように。
ひんやりと体温を奪うその腕から逃げ出そうともがく。しかし一体いつ手に入れたのか、男のような握力でもって私を掴み上げるそれは一向に離れようとはしなかった。

みしり、軋む骨が痛い。


「離せ、そして酒を返せ!」

「クク…男に腕捕まれといてまだ酒かィ」

「男、なんて…」


睨み上げようと思い視線を上げれば、意外に近い場所にある高杉の顔に心臓が跳ねた。私よりも肌が綺麗だ、コイツ…ではなくて。

見上げたその先に浮かぶのは愉悦を含んだ無表情。漆黒の濡れた瞳に映るのは空に浮かぶ月ではなく阿呆のような私の顔で、それを見下ろす高杉には高杉の顔が映り込んだ私の瞳が見えているんだろう。
腕を掴まれ凝視し合うという滑稽な様のまま固まること数秒。間に吹き込んだ風に濡れた胸元が寒いと身震いしたその時、高杉が漸く口を開いた。


「…お前、酒臭ェ」

「余計な、お世話っ」


一瞬緩んだ腕を払い除けようと自分のそれを振り上げたが、しかし次の瞬間には素早い動作で腰を取られた。何故だ。
不覚にもなだれ込むようにして高杉の胸元にお邪魔している格好の私。本当に何なんだ。高杉もだが、私も。
これも月の魔力とかいうやつなんだろうか。


「…アンタこそ、ヤニ臭いよ」

「るせェ」

「いやお前もな」


抱かれた胸はやはり少しだけ冷たくて、だけど生きている音がした。私が背負うのではなく私を捉える重みは確かに今ここにある。背中から滑り落ち燃え盛る炎に焼かれる魂は、こうして美しい抜け殻に宿っているというのに。


「…高杉」

「何だ」

「月が、綺麗だね」

「………」

「明日は晴れるかな」

「…さあな」


どこかで燻る煙が高杉の落とした紫煙にゆっくりと混ざり込んでいく。
今日くらいの明るさならば、空の上からでも私たちの姿を見ることは出来るだろうか。



(知っていた?月はその背に痛みを負うから美しいのだと)

thanx:一呼吸様

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