地面にぽたぽたと丸い染みが広がる。
雨だ。予感するよりも少し早く俺の鼻先に雫が落ちた。つうと滴るそれを舌で舐め取る。甘い、なんてことはなくやっぱりそれに味はなかった。空中の有害物質をふんだんに混入させてるってのに。
この体に害を為すものは、意外にも綺麗に見えるのかもしれない。というか、害を為すからこそ綺麗ななりをしているのかもしれない。そうでもないと、誰もそれに興味を抱かないから。

庇から落ちる雨だれをぼんやりと眺めていた。旧暦の六月は水無月と言ったが、なるほどこれでは中々先人も的を得たことを言っているように思う。だってもう七月に入っているのだ。雨のほとんど降らなかった先月は、水のない月という名にふさわしい。


「夜中まで降るなこりゃ」


いつの間にそこにいたのか、窓から外を覗き込む(というのも変な表現だが)ようにして近藤さんが俺の背後に立っていた。どすどすと豪快な足音を立てるこの人の気配にも気付けなかったとは、俺はどれだけぼんやりしていたのだろう。
はて困ったと顎をさする近藤さん。ちろりと視線だけを動かせば、その手に握られているのは立派な笹で。


「あ、」


柄にもなく目を引かれたくすんだ黄緑に、俺は小さく声を上げた。


「この分じゃ織姫さんたちはまた今年も会えずじまいだなァ」


何とはなしにそう呟く近藤さん。きっとその左手の笹は、今日のために態々取ってきたものだろう。
それもこれも全てこの人が溺愛するあいつのため。


「…ちょっと出掛けてきまさァ」

「あ、オイ総悟」


そこで漸く俺の存在に気付いたとでもいうような風情で声を掛けられる。とは言え実際そんなことはなく他意はない呼びかけに過ぎなかったのかもしれない。それでも俺の中のガキらしくて泣きたくなるような部分がむずむずとした。

雨はそこまで酷いものではなかった。が、傘を差さねば濡れるのは必至で、道場の生垣から見える人々は一様に色とりどりの傘を天に向かって掲げている。
はあ。決して小さくはない溜め息を俺は吐いた。生垣から少し視線を外すと、そこには見事な紫陽花が咲いている。そろそろ見頃も終わりだろうか、所々茶色い花の名残が見えるそれ。その植え込みの部分に蹲るようにして、見慣れた浅黄色が小さく蹲っていた。


「………」


大方この雨空にいじけてでもいるのだろう。全くいいご身分だ。近藤さんにあんなに甘やかしてもらっているというのに。


「あーあ、いい天気だねィ!」


態と大きな声で、そいつに聞こえるように言ってやった。反応してぴくりと肩が揺れる。しかしこちらを振り返る素振りは見せない。


「この分じゃ七夕まつりも中止だろーなァ」

「………」

「せっかく近藤さんが笹取ってきてくれたみてーだけど、結局あれも使わずにおわるだろーし」


ぴくりぴくりと小さく反応するというのに、一向に振り向こうとはしない。
呆れた強情っぱりだ。一体誰に似たんだか。


「まァ俺はいいですけどねィ。短冊書くのも面倒臭かったし」

「………」


縮こまっていた背が余計に丸くなる。昨日一生懸命に短冊やら飾りやらを作っていたのだ。そりゃァショックも大きいだろう。(ニヤニヤ)
びちゃびちゃ。一歩踏み出すごとに足元で泥水が跳ねる。一際大きく撥ねかせたそれが浅黄の裾を茶色く汚し、その上から冷たく言葉をかけた。


「あ?オメーこんなとこにいたんですかィ?あんまり枯れた紫陽花に同化してるから分かんなかった」

「…う、うるさい、なっ」


お。喋った。いつもより少ししわがれた声にきっと泣いているのだろうと予測する。


「今日、七夕だねィ。雨だけど」

「………」

「この分じゃ織姫と彦星は会えないって、近藤さんが言ってやした」

「…う、うそ」


嘘じゃねェよ。ニヤニヤとした表情のまま言えば、小さな手がぎゅうっと着物を掴むのが見えた。

思えば本当にガキ臭い嫉妬心だったのだと思う。いつも近藤さんや姉上からちやほやと可愛がられるこのチビが俺はとても嫌いだった。ついでに言えば土方までもがこいつにやたらと構っているようで、一体何度二人して蟻地獄に嵌れと思ったか知れない。
ガキだからってそれをのうのうと享受しているだけでいいのか?世の中は酸いも甘いも存在すると言うことを、今教えないでどうすると言うんだ。
誰よりもそれを痛感していた俺は、敢えて、あーえーてーそいつにきつく当たっていた。ちやほやとされれば調子に乗るなと釘を刺し、今日のように我が侭を言おうものならすっ飛んで言って殴ってみせる。
その度に膨れたり落ち込んだり涙を浮かべたりする様が酷く心地よくて、俺はずっとそいつを嫌いでいようと思っていた。そいつも俺が嫌いだったと思うけど。

近藤さんは好きだ。姉上は大好きだ。
土方は嫌いだ。あいつは、その一万倍くらい大っ嫌いだ。

大嫌いなものは俺の中におけるヒエラルキーの最底辺に認識される。だから俺はそいつをどうしたって構わないのだし、そいつは俺に反抗してはいけないのだ。
俺の世界に害を為す、言わばこの雨水のような存在。そんなものはなくていい。俺の世界は姉上と近藤さんと、それから沢山の綺麗なもので構成されていればいい。

交わらない視線に少しの苛立ちを感じながらも色んな言葉をそいつに投げつけた。
いつもなら顔を真っ赤にして泣きながら反抗してくる癖に、今日だけは異様にしおらしい。それが何だか、余計に腹立たしくて。


「お前がそんなんだから、今日だって雨が降るんでィ」

「ホント、お前ってヤなヤツ」


気付いたら、最低な言葉を吐いていた。
ここまで言えば、きっと振り向くだろう。どこかそう高を括っていた俺は、次に来るであろう悲鳴のような怒鳴り声を待ち構える。


「………」

「(…あり?)」


しかし、どうしたことか。今日に限ってそいつは何一つ言い返して来ない。
それどころか振り返りはしないのに勢いよくすっくと立ち上がり、びしょびしょの腕でぐいぐいと顔を拭い始めた。
その手や爪は、雨に濡れた泥で汚れていた。


「そんな手で擦ったら、ブサイクが余計ブサイクになりやすぜ」

「………」

「…何か言えよブス「うるさい、」


冷たい、声だった。
肩に置かれるはずだった手はぱしりと弾き飛ばされ、大した力でもなかったのに俺の手はじんじんと痛みを訴える。それがとてつもなく腹立たしくて、顔を上げないのが更に俺を苛立たせて。


「…な、っにしやがる」


全く、俺はどうしようもないガキだ。
今だってガキだけど、あん時はホントもう、僅かな救いも望めないくらいの。


雨は深夜まで降り続くそうだ。
きっとそれを知らないアイツは、明日の朝には土に埋めたはずの短冊が泥まみれになって発掘されるのに気付いちゃいないだろう。

バカだよなあ、ホント。
俺もお前も、全く救いようがない。







大嫌いなあいつが流すその雨は、沢山の有害物質を孕んでいた。その証拠にそれはとてつもなく美しく、そして地面にてばらばらに砕け散ったのだ。
手作りのあまりに粗末な短冊には、覚束ない文字でこう一言。


『そうごが、わたしとなかよしになってくれますように』


(見たこともない、そんな表情で泣くくらい)
(なァ、そいつは大事な願いだったのかィ)

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