「…何よ」



じとり。彼女の視線が源義経の忠臣・那須与一の放つ弓矢よりも鋭く俺の肌を刺す。
咄嗟に握ってしまった着物は秋めいてきたこの頃の気候を楽しむかのような芥子色。ちょっと地味だが寺子屋勤めの彼女にはちょうどいい品の良さであると思った。勿論、そうと声に出して褒めるようなことはしなかったが。



「いやあの…そっち、方向違ェだろうが」

「違くないわよ。私のアパートこっちだもの」



それは、そうかもしんないけど。
何とも切れ味の良い切り返しに俺は思わず黙り込む。あそこまで冷やかして遊んでしまった手前、怒ったそいつの前で「万事屋に帰るんだろうが!」とか言えるはずもない。



「そろそろ離してくれない?私これでも怪我人なの。足が痛いの帰りたいの」

「…っな、」

「それとも、まだ貴方に私を引き留める理由があるとでも言いたいわけ?」



が、しかし俺の導火線も中々どうして短いものだ。そんな風に言われたら挑発に乗って返すしかないではないか。



「りっ、理由がなきゃ引き留めちゃいけねェとでも言うのかオメーはよォ!」

「減らず口が叩けなくなったら今度は逆ギレ!?あと数年で三十路の癖して頭は本当に水色時代真っ只中ね!」

「古ィよネタが!今の若い世代に通じなかったらどーするつもりだ!」



かぶき町にはほど遠い、夜闇をぼんやりとした街頭だけが照らす一本道。そこで近所迷惑も考えずぎゃんぎゃん罵り合う俺たちは、端から見たらどれだけ滑稽なのだろう。
しかしだからと言ってそんなに簡単に素直になれるような人間でもない。ヒートアップする言い合いは加速度を増し、次第に大きくなる声に興奮したのか、女はとうとう…というか、あろうことか手にしていた松葉杖を思い切り地面に叩きつけてしまった。



「ってお前何してやがんだ!足折れてる人間が構わず地面に立つんじゃありません!」

「じゃかァしわァ!こちとら人間様じゃ生まれた時から二足歩行で生きていけるようプログラミングされてんのよ!私が立とうが這おうがアンタにそれを指図される謂れはないんやっけ!」



怒りの余り我を忘れたのか、故郷の方言だというめちゃくちゃな日本語が口から飛び出しまくっている。寺子屋勤めが決まるやいなや現在の気取った言葉遣いに修正したらしいのだが、出会った時からその汚い口上を聞いていた俺としてはこちらの方が俄然やる気が出るというものだ。



「いいわけねェだろうが!いくら人間だってお医者さんの言葉には逆らえねェんだよ!つーか大体安静って言われた癖して何ガンガン歩き出してんの!?」

「銀さんこそ普段は医者の言うことなんか聞かない癖に!いつか糖尿で睾丸爆発しくされ天然パーマ!」

「女の子が睾丸とか言うんじゃねェェェェ!!!」



俺たちの絶叫に反応してどこかで犬がわおーんと遠吠える。それを聞いてか一瞬訪れた沈黙のせいで俺たちは再び言葉を紡ぎづらくなってしまった。ただぜはぜはという荒い呼吸だけが空気に滲んで消えていく。



「…こ、これしきの言い合いで息が上がるとは…」

「…寄る年波には勝てないってやつだよ」

「今日また一つ老いた人に言われたくな「言うなァァァァァ!!!」



誕生日が嫌いなわけではなかったが、もう二十代も半分を過ぎると年を取ることが少しだけ恐怖に思えたりもする。なまじ以前竜宮城とやらでリアルに“老い”を体験しているだけあって感慨も一塩だ。あの時の体の不便さはきっと誰にも理解されるまい。

はあ。予期せず訪れた小休止に女も息を整える。
大きく吐き出した息と共に肩が上下すると、羽織っていた山桃色の羽織が少しだけ肌蹴ていた。そのせいか首回りに風がまとわりつき、女はくしゅんと小さくくしゃみをする。



「…ほら見ろ。この上風邪まで併発したらどうするつもりだ」

「風邪じゃないもの花粉だもの」

「お前別に花粉とかかかんねェじゃねーか!」

「分かんないわよ。屁怒絽さんの影響で体内における花粉の蓄積量が限界値に達して…」

「だーもう!」



再び女が訳の分からん小難しい日本語をこねくり出す前に俺は大きく声を上げた。それに驚いてかそいつが僅かに目を見開く。肩に零れていた黒髪が、さらりと背中のラインを流れた。



「もういい加減にしようぜこんなん。生産性がねェんだよ大体にして」

「…ふっかけて来たのはそっちでしょうが」

「…はいはい、俺が悪かったから」



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