暫くすると一件の少しボロっちい雰囲気のアパートに辿り着いた。「かすみ荘」という死にそうなネーミングのそこは路地を少し入ったところにあって、夜ともなると少し不気味な雰囲気もある。
外に設置されている階段を一気に駆け上がる。万事屋にあるものと全く一緒の材質だろうに、こちらの方が少し傾いているように感じた。オイオイ、いつかこれ崩れるんじゃねェの、大丈夫なのコレ。
カンカンカンカン、甲高い音を立てて鳴く階段を踏みつけて目指すは突き当たりの角部屋。203とルームナンバーだけが書かれたプレートは一応用心のためなんだとか。

階段のせいで少し上がってしまった息を整え、深呼吸を一つ。手にしたコンビニ袋を皺が寄るほど力を込めて握り、緊張を孕んだ指先でインターホンを鳴らす。
すると中からガタガタと騒がしい音が聞こえ、次いで「はーい」という軽やかな声が響いてきた。


「あの、おれ」


どこか辿々しくなりつつも来訪を告げれば返事もないままガチャガチャと鍵が外される。ああもう、だからそこが不用心だと言っているのに。
30秒も立たず開けられた扉の向こうにはエプロン姿のアイツが立っていた。「銀ちゃん」俺が来るのを予期していたように笑うそいつの笑顔は温かく、ついでに来ているエプロンは俺の好みドストライクだ。


「どうしたの?」

「いやあの、ちょっと近くまで来たもんだから」


予想していた質問に用意していた答えをばっちり返す。なのに向かい合うそいつはどこか不思議そうな顔をしていて、どうかしたのかと訪ねれば寧ろそっちがどうしたと質問を返された。


「どうしたって、別に何も」

「嘘。だって銀ちゃん超ブサイクな顔してるよ」

「おまっ、この絶世の美男子に向かってなんつー口を」


憎まれ口も意識をすればどこか情けない響きを帯びている気がした。はいはい、適当にあしらうそいつが俺の袖を引き、「まあ上がっていきなよ」と事も無げに笑みを返す。
だもんだから、扉の前で必死に取り繕った冷静さだとか何とかはあっさりと崩れ去り、俺は何とも居堪まれない、例えるならば置いてけぼりにされた子供のような気分に襲われるのだ。


「全く銀ちゃんは運がいいね。今日は何とハンバーグだったのですよ」

「…お前もかブルータス」

「え、何?」


意味のないやりとり、明るい部屋。このクソ暑いのに煮込みハンバーグという空気の読めないメニューはいかにもアイツらしくて笑いが漏れる。湯気で蒸した室内は入ると一気に汗が噴き出た。


「あっつ!ちょ、何この部屋、お前俺を熱中症予備軍にする気かよ」

「あ、クーラーは入れないでよ!電気代高いんだから!」


窓開けて窓!キッチンから叫ぶそいつの声を無視してクーラーのスイッチを入れる。冬以来稼働していなかったらしいそいつはかったるそうな音を立てて生温い風を作り出した。


「あー…人が折角堪えていたというのに…」

「いーだろ、客が来た時くらいもてなしの心を持てや」

「いくない…大体銀ちゃんお客さんじゃないしね」

「あ?」

「はあい、ご飯ですよう」


トレイに乗せて運ばれて来たハンバーグはやはり熱そうで、目の前に置かれた途端むわっと立ち上った湯気に目眩がした。その向こうに神楽たちがこれと似たようなもんを食しながらあちィあちィ言っているのが目に浮かび、少しだけ優越感を感じもする。


「…なあ」

「ん?」

「これ食い終わったら、アイス買いに行くか」


箸を手に手に持ったままきょとんとするそいつは、二、三度瞬きをした後「いいねー」といってブサイクに笑って見せた。それに苦笑を漏らして俺も箸を手に取る。


「「いただきます!」」


図らずも被ったその声にそいつがさも嬉しそうに笑う。「誰かと食べると美味しいねえ」だなんて、そこは「銀ちゃんと」って言わなきゃだめなとこだろーが。





窓を開けるのが惜しかったのは、この温かい光を外に漏らすのが嫌だったから。
まるでそれが当たり前のように笑うお前を見て湯気に咽せるふりをして浮かんだ涙をごしごしと擦り上げた。背後に放り投げたコンビニ袋では、買ったはずのアイスがいい感じに溶けてしまっているのだろう。




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