私がどれだけ叫べども男はぐるんぐるん回す手を休めてはくれず、というか何かヒートアップしている感さえある。嘘でしょおおおお!もうスイカ割りっていうか私の頭と自律神経と平衡感覚が割れるわバカ!心中で吐き捨てるも声にはならない。ただぎゃあぎゃあと色気もへったくれもない叫びだけが室内に充満し、天上や壁にぶつかっては転げ回るというイメージが脳内を駆け巡った。
「あ、そうだ。スイカを殴り倒す瞬間に願い事しろよ」
「ああああああ!?」
男が何やら言っている。昨日が七夕だったとか願い事がどうとか、そんな言葉が断片的に耳に入ってきた。
つーか何!?何言ってるか全然分からん!
「わおおおおおああああ!!(聞こえないんですけど!)」
「あー?NHKの受信料払ってるかって?知るかそんなん」
「うえああああああ!!!(違えええええ!!)」
部屋の中央に置かれたスイカ、肩を掴まれされるがままに回転する私、回す男、噛み合わない会話。どうにも奇怪な光景である。今この瞬間にNHKとか新聞勧誘とかの人が来てしまったら、そしたらもう二度と彼らは我が家に近寄らなくなるような気がした。
まあ兎に角50回転なんて常識的にとても出来るわけもなく、多分20回越えたくらいで根性のない私は意識が半分飛んでいたと思う。すると見かねた男は慣性の法則だかに従い回り続ける私を羽交い締めにして止め、そのままスイカに向かって突き出した。
「おら行けー!」ぐわんぐわんと三半規管が回転しっぱなしの状態を感じながら、私は必死に前進しようと試みる。
「もっと右…違うそれは机でィバカか」
足下は束つかず視界は塞がれたまま。散々回されて気持ち悪さも絶好調だというのに、どうして私はスイカを探しているのだろうか。どうして男の理不尽な思いつきに付き合ってやっているのだろうか。
「そこだ!」何やら叫ぶ声が聞こえる。操られるように腕を振り上げ、ぐらぐらとする意識の中で願い事だっけかとそれだけを思った。
願い事か…そうだなあ、どうせなら前期の授業全部単位来ますようにとか?…いやいや何かそれってせせこましいな…じゃあアレか、労せずお金が手に入りますように?…私一体いくつ?
そんなことを思いつつぶんと腕を振り上げる。しかしここは狭い室内、おまけに悪いことに足場はシートやダンボールのせいで最悪である。
高さを考えず掲げた竹刀は天上にぶち当たり、その衝撃で私は足下を掬われた。ぐらっと一瞬崩れたかと思えば次の瞬間には体が大地に向かって傾いでいくのが分かった。勿論すかさずそれを助けてくれるヒーローなどは存在しない(いるのはやる気のない傍若無人王子だけだ)。
――こける!
叫ぶ間もなくそう思うが早いか、私は頭部に物凄い衝撃が走るのを感じた。額に何かが直撃し、相手か自分かよく分からないが兎に角ぐしゃっという粉砕音が耳に響いた。
痛い、何だこれ、気持ち悪い、冷たい。あまりの出来事に情報と感覚が一気に押し寄せ脳内をパンク状態にまで追い込む。顔面から突っ込んだままの体勢でいると何やら口内に液体が流れ込んできた。甘い、夏の味がする。
痛む額を抑えながら体を起こす。すると未だ平衡感覚を失ったままの体は後方にぐらりと傾ぎ、しかし今度は横転することなく何者かによって支えられて。
「…何見事な一発芸繰り出してんでィ」
聞こえてきたのは不機嫌そうでもあり笑いを堪えているようでもある声音。肩を支えられずるりという音と共に視界を覆うタオルが外される。液体に塗れたそこからは甘い汁が滴り私の顔面にぽたぽたと水溜まりを作った。
「…痛い…でこ」
「当たり前でさ、見事なまでのスイカ割りっつーかスイカ割られだったっつーか」
こんなん見たのは近藤さん以来でさァ。堪えきれずに吹き出した男は本当におかしそうな顔をして笑っていた。ここだけの話、そいつの破顔というのは中々レアなものである。私もかつて肩を並べた3年間、それを見たのは数度しかなかったような気がする。
ぼんやりとその顔を眺めていると、すっと男の右手が伸ばされた。男の癖に細っこくて白いそれも甘い液体に汚れている。赤いと思った瞬間、連想したのが眼前でパックリ割れているスイカだったのが酷く空しかった。
「でこが赤くなってら」
「…いってーもの」
「はは、取り敢えず冷やすか」
言って男は何故かスイカを手に取り無様に割れた中の一つを私の額に押し当てる。ぐちゃり、潰れるような音が耳朶を叩いた。
「いたいのいたいのとんでけー」
「目に染みるんですけど」
「スイカ療法でさ」
何だそれ。突っ込もうとして思わず私も噴き出してしまった。あーあ、結局私たちは何も変わっていないではないか。
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