「…新聞なら間に合ってマース」
相手の顔を認識すると同時に開けた時よりも強い力を込めてドアノブを引っ張る。我ながら中々な反射神経だと思ったが、どうやら相手の方が一枚上手だったらしい。
「オイオイ、顔見た途端にドア閉めるってなァどーゆう了見でィ」
その世にも長いお御足で閉まりつつあるドアを止めると、体をねじ込むようにしてぐいぐいと進入しようとしてくるではないか。
「ちょっ、やめてよドア壊れるじゃん」
「ドアの前に俺が壊れまさ、おめーと違って繊細に出来てるから」
憎たらしい言葉を吐きつつも相手はちっともドアを押し返す手を緩めない。こんなことしててご近所に知られたらどーするんだァァァというような私の心中など微塵も気にしてはいないのだろう、新聞勧誘NHK云々のおっさんなんかよりももっと面倒かつ横柄な態度と力業でもってそいつは無事我が家への侵入を果たしたのであった。
「…何で沖田が」
「せっまい部屋住んでんなァ」
当然のように力負けして恨みがましい視線を送る私などは意にも介さぬように、どころか最早ここが自宅であるかのようにナチュラルに上がり込んだ男は挨拶もなしにまず室内の感想を述べる。しかも馬鹿正直に。
腹が立ったのでその辺に落ちていたリモコンを後頭部に向かって投げてやった。しかしするりと避けられる。畜生、何だこいつ後ろに目でもついてんのか。
攻撃に対する報復があるかと私はすかさず身構えたが、しかしそいつは何の頓着もしていないらしい。興味なさ気な視線で室内をぐるりと見回すと、緩慢な動作でのたのたと振り返り手に持っていた荷物をずいと差し出してきた。
「何これ」
「え、何お前スイカ見たことねーの」
「あるよ失礼な。そうじゃなくて、何で沖田がうちに来て、しかも私にスイカ差し出してんのか聞いてんの」
緑に独特の縦縞が走る球体を掲げる男は、心から驚いたと言うような表情で目を見開く。そんな顔ですら様になるから腹立たしい。
次第に憐憫がこもり始めた視線を一周すると私は散らかっていた雑誌類を適当に片すことにした。良かった、さほど部屋は汚くないはずだ。
「講義終わって駅まで歩いてたらよう、八百屋で安売りしてんの見つけたんでさ」
「…で、何故我が家に?」
「スイカ割りしよーぜィ」
胡乱気な視線で問うたにも関わらず男はにっかと――決して爽やかとは言い切れないけれども、それでも傍目には綺麗に見える笑顔を浮かべてそうのたまった。
いやいやいやお前スイカ割りって。この季節…いや季節はいいかもしんないけど、こんなボロアパートのどこでやるというの。というかスイカ割りって。
そんなことを考えている私は例によって放置され、気付けば既に男は着々と準備を進めているらしかった。
どこからともなく我が家の行楽用シートを用意しそこにスイカを乗せる。持参したバッグからスポーツタオルと竹刀を取り出すと(何で持ってるのとかは聞かない)、準備は揃ったとでも言いたげにこちらを振り返ってみせる。
「…いやいやいやいやこんな時だけそんなピュアっぽい瞳で見つめられても」
「何でィノリ悪ィな」
「ノリとか関係ないからねコレ、強制にも程があるからねコレ」
というかたかだかシート一枚じゃ床に傷がつくだろうが。そう言えば男は再びどこからともなくダンボールを取り出し床に敷き詰めた。(何たる用意のよさだ)
悔しいので更にご近所や大家さんから苦情が来るだろうがと言ってやったが、そこは俺の美貌でどーにかしてやりまさァと冗談なのか本気なのかよく分からない台詞を吐かれ、結局それには何も言い返すことが出来なかった。(そして多分それが現実でも最終的に怒られるのは私なのだ)
「御託はいいから」
言って男は私の目を覆い隠すようにスポーツタオルを巻き付ける。白いそれはかつてそいつがよく使っていたもので、隅の方には歪な刺繍が入っている。
今時刺繍とかないよな〜と思いつつもツッコめないのは、何を隠そうそれは私が施したものだからであった。いや本当に何で刺繍だったんだ過去の自分、今更見直したところで何を縫いつけたかったのかよく分からないくらい下手だというのに。
ぎゅっ!最後に頭割れるわと思うほど力を込めて縛り付けられ、小さくもない悲鳴が漏れた。
それを聞いてクスクスと愉しそうに男は笑う。全く、イジメっ子と呼ぶには生易しすぎる嗜好は健在のようだ。
「いいですかィ。この場で50回転して、それからスイカに突進するんだぜィ」
「え?ちょ、50回転ていくらなんでも多くない?白鳥の湖だってそんなにくるくるしないよね」
うるせェなという一言で私のツッコミは一蹴された。ガッと掴まれた肩、どうやら本気で私を50回転させたいらしい。
「ほれ回れー!いーち、にーい」
「ぎゃああああ!無理!既に無理!」
目隠しをされ視界を奪われたまま不安定な足場で回転する、それがどのくらい不安で恐ろしいことか理解できるだろうか。
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