それはそよそよと心地のいい風が吹き込む、2月にしてはとても暖かい日のこと。
少しだけ開けられた窓からは柔らかな風が舞い込んで、セーラー服の襟や配布されたプリントを少しだけ揺らしていた。

いつも入室する時はやたらと緊張する3年生の教室。全く同じ作りなはずなのに、私の生活する場所とは全く違うように見えるそこには背筋がむずむずとするような匂いが充満している。

目の前のチョークで汚れた黒板にはやや右上がり気味に「風紀委員引継ぎ会」という文字が並べられた。
ことりと軽い音を立ててチョークを戻し手を払う土方先輩はとても格好いい。女の子に絶大な人気を誇っているというのも頷ける整った横顔に、ほら、男好きで有名なあの先輩も目をハートマークにしてしまっている。

私の席はいつも決まって一番窓際。遠慮して後ろから二番目に座っていたらいつの間にかそこが定位置になってしまった。
まだ少しがやがやとしている教室になるべく音を立てないようにちょっとだけ窓をスライドさせて、特に今日みたいな日の風の匂いをそっと吸い込むのが好きだった。


「あー、それでは静かに」


宥めるように落とされるのは太く優しい声。委員長の近藤先輩が教卓に手を突けば、ふっと静寂が教室に訪れる。


「今日は今年度最後の委員会だ。なんで引継ぎも兼ねて反省会をしたいと思う」


近藤先輩が言葉を発する中、その背後では土方先輩が何やら眉を吊り上げているのが見える。何だろうと好奇心に駆られちょっとだけ首を伸ばせば、丁度平手ではたかれた拍子に揺れる蜂蜜色が目に入った。
どうやら委員会が始まるというのに最前列で居眠りをしていたらしい。叩き起こされたのが不満なのか、気だるげに目を擦るその人にどきりと心臓がはねるのを感じる。


「…酷ェや土方さん。俺の頭部がへこんだらどーしてくれんでィ」

「会議中に居眠りこいてる奴の頭部なんざへこんでしまえ」


ひそひそとした話し声のはずなのに、お決まりの言い合いは委員長の話よりも人目を引いている。くすくすと小さな笑いがそこかしこから漏れていて、それに気づいた土方先輩はそうに眉を顰めた。
そんな様子を「やーい」と小声で囃し立てる蜂蜜色のその人。愛用しているらしい赤いアイマスクがトレードマークのように頭に乗っかっていて、そのミスマッチさに思わず私も笑みが零れてしまう。


「ふふっ」


肩を竦めた拍子に小さく声が漏れてしまい、慌てて周りを見回した。しかし誰もが前方に意識をやっているようで、恥をかかずに澄んだとほっと胸を撫で下ろした…のだけれど。


「(…あ、あれ?)」


再び目線を前に戻せば、意外すぎる人物と目が合った。
それは自分で発した「卒業」という単語に感極まり何故だか泣き始めてしまった近藤先輩でもなければ、呆れたように宥める土方先輩でもない。教卓の横に配された机に肘を突き、そこに顎を乗せた体勢で瞬き一つせずにこちらを見つめているその人は。


「(…お、きた先輩)」


今まで一度も交わることのなかった視線に、彼の瞳が少しだけ赤みを帯びていることを知る。
さっき以上に大きく収縮した心臓と絶対に赤くなっているであろう顔を隠すように俯けば、いやに高鳴る鼓動が直接耳に響いてくるのが聞こえた。


「(ど、どうしよう…さっきちょっと笑ったの見られちゃったかな)」


こっそりとは言え見ず知らずの後輩に笑われるなど気分のいいものではない。これまでひっそりと生きてきたはずなのに、こんな所で先輩に…それも沖田先輩に目をつけられてしまうだなんて、私ったら何てことを…!

綺麗な瞳に射竦められて、小市民の代表格みたいな私はすっかり萎縮してしまった。怒っているとも思えなかったが、沖田先輩のことだから何を考えているかなんて私に分かるはずもない。
嫌われてしまったらどうしよう。どんどんネガティブな方向に突っ走る思考を止めることが出来ずに、じんわりと目頭が熱くなるのを感じた。


「オイ」


と、そこで頭上に響く綺麗な声が。

まるで水面に波紋を投じるような美しい響き、きらきらのお粉を篩ったようなその声音に私は大きく目を見開く。まさかと思い顔を上げれば、私の机のまん前に沖田先輩が立って、いて………


「―――っ」


思わず立ち上がってしまった拍子にガタンと椅子が大きな音を立てる。それに一瞬周囲の目がこちらに向けられたのを感じ、一層顔が熱くなった。


「何やってんだ、ちょっと落ち着いたらどーだィ」

「…す、すみません」


私の前の席の椅子を引き、それに後ろ向きに座る沖田先輩。促されて私も椅子を直し座り込めば、以外にも目の高さが近くてドキドキした。


「じゃ、仕事のことだけど」

「…え?し、仕事ですか?」


いきなり発された言葉を慌てて聞き返す。何やらメモを書こうとしてくれていたらしい沖田先輩は、私の筆箱を(わああ!)漁る手を止めて胡乱気な眼差しをこちらに向けた。


「…アンタ、もしかして話聞いてなかったんですかィ」

「えっ、い、いえあの、決してそんなことは…!」


眇められた目に大きく手を振るも、最終的には「すいません」と頭を下げるしかなくなってしまう。もう本当に情けなくて俯けば、小さな溜息と共にがっと頭を掴まれ――


「!?」

「アンタいっつも下向いてやせん?人と話す時は相手の目を見るんだぜィ」


目の横辺りから耳、即頭部の辺りに沖田先輩の掌の温度を感じる。「いいか?」と確認するような声に壊れた人形のようにカクカクと頷いた。


「ん、いい子でさ」

「(ひ、ひえええええ!)」


すっと手を離されるも、眼前でにこりと笑まれてはどうしようもない。もう逃げたいやら泣きたいやらで一杯一杯の私など構いもせず、沖田先輩は再び私の筆箱を漁り始めた。


「とりあえず、上…っつーか土方と近藤さんの決定で、俺の後任はアンタに決まりやしたから」

「…えっ、な、何で私?」

「何か真面目でしっかりしたとこが気に入られたみてェですぜィ」


「俺みてェにな」と視線は筆箱にやりながら言う沖田先輩。こうしていると何だか少しずつだけど心臓が高鳴るのも収まって来て、その言葉に私はまた一つ笑いを漏らしてしまう。


「ふふっ、沖田先輩みたいですか?」

「あ、何笑ってやがんでィ」


ふっと上げられた顔にまた心臓が跳ねた。
沖田先輩の目は不思議。視線がこちらに向けられるだけで、その部分がかあっと熱を帯びる。


「顔に似合わず中々言うじゃねーか」

「あっ、す、すいませ…」

「まァ間違っちゃいねーけど」

「………!」


「よく分かってんじゃねーか」と、慌てて謝ろうとした私の言葉を遮って沖田先輩が一言。
僅かに目を伏せて言うものだから、その綺麗な横顔にまたドキドキしてしまう。少しだけ開けた窓からは暖かい風がふわりと吹き込んで、先輩の髪を午後の光がきらきらと輝かせた。



君が言うから優しく見える

Thanx:にやり
image:シークレットシークレット/Perfume

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