サアサアと、静かな雨の音が室内を満たす。花を落とした木々には夏を思わせる明るい緑が生い茂っている。壁一面にはめ込まれた何面もある窓が額となって外界を恣意的に切り取り、まるで一枚の絵画を描き出しているようだった。

憧れの高校生になってから早数ヶ月。
校内に二か所もある図書館は、恒常的に人影が少ない。けれどその静謐さや独特の空気を好んで立ち寄る生徒は一定数おり、今日もその何人かをカウンター越しに確認しつつ、読みかけの文庫本を手に取った。

『何が面白かったですか。イルミネーションがですか』
『ええ、イルミネーションも面白かったけれども……』

本を読むのは好きだけど、難しい文章はちょっと苦手だ。そのせいか割とサクサク読める現代小説ばっかりになってしまう。たまには文学少女を気取って夏目漱石を選んでみたけど、明治の文豪にしてはとてもわかりやすい内容だと思った。
パラリ。紙面が擦れる軽い音と、古い本独特の匂い。子守唄のような雨の音も相俟って、眠りに誘われるような心地いい気分で私は本にのめり込んでいた。

――のだが。


「あ、あの〜…」


聞きなれない声がカウンターの向こうから聞こえた気がした。邪魔をするなと剣呑な気持ちになりながら顔をあげると、そこにはやっぱり見慣れない顔。


「これ、借りたいんですけど」


見慣れてなくて当然だった。だってこの人は私個人に用があって話しかけたわけではなく、「カウンターで本に熱中してる図書委員」に声をかけただけなのだから。


「あっ、わっ、す、すみません!」


ずり落ちかける眼鏡を直して、私は慌てて業務に取り掛かる。貸し出し希望の本を受け取り、図書カードを引っ張り出す。昔はそこに記名をしてもらったり判を押したりしていたみたいだけれど、21世紀の現代では専らパソコンでの管理が主流だ。
カードに印刷されたバーコードを読み取り、続いて学生証をスキャンする。これで貸し出しの手続きはおしまい。カードリーダーやバーコードの存在にはじめは驚いたものの、この方が司書さんたちにとっても楽ちんであるらしい。


「貸し出し期限は一週間です。延滞の場合は2日前までに手続きをお願いします」


二ヶ月ですっかり言いなれた口上を口にして本を手渡す。
分厚くて、古そうな本だった。夏目漱石や芥川龍之介くらいしか読んだことがなく、東野圭吾とかが大好きな私にしてみたら、今の生徒は随分「読書家」に見えた。ううん、格好いい。

一頻り感動してから、生徒は帰るものだと判断して再び手元に目を落とす。しかし暫くたってもカウンターの向こうから伸びる影が動くことはなく。


「…ええと、まだ何か?」


顔を上げたら何か言いたげだったから、思い切って声をかけてみる。元々引っ込み思案で人見知りの私には結構勇気のいることだったが、どうやら相手も同類であったようで、ほっとしたように数度頷いた。


「あの、向こうの本棚のところなんですけど」

「向こうの…?」

「はい。えと、ちょっと見たい本があって覗いたんですけど、その」


人が、寝転がっていて。

言いにくそうに発されたその言葉に、思わず目が点になった。
この生徒が言う「向こうの本棚」とは、あまり手に取られることのない古い本や資料集なんかが納めてあるようなものだ。中二階のようになっている上、広い割に利用者の少ない図書館ではあまり足を踏み入れる者もいないため、確かに目にはつきにくい。


「(そんな、だって私が鍵を開けたはずなのに)」


放課後になってすぐに図書室の鍵を開け、それからずっとカウンターに座っている。時折本に没頭したりもしたけれど、出入りする人たちの動向は大体把握しているつもりだ。中二階に上がった生徒も数人確認はしたけれど、それでも全員降りてきていた、はず!

「じゃあ誰が?」というどこからか聞こえる声に背筋がぞっとなる。恐ろしい考えが浮かぶ前にかぶりを振って振り払うが、イメージは中々払拭されてくれない。
気付けば目の前にいたはずのあの生徒もそそくさと図書室を後にしていた。どうやら言うだけ言ったらそれで自分の任務は完了だと思ったらしい。ああもう!言うだけじゃなくて最後まで付き合ってよ!

お化けの類が大嫌いな私だが、想像力だけは物凄く豊かなのだ。絶対そんなはずはないのに、雨の音だけが響く図書室はさっきよりも薄暗く見え、また心なしか利用者も少なくなっているような気がした。


「(い、行かなきゃ、だめかな…)」


こういう日に限って担当は私一人きり。普段は2、3人で業務を回していたり、司書さんがいたりするのだけど、今日は偶然外に出てしまっている。
まごまごしている間に閉室である五時が近づく。あまり遅くなると先生に怒られるから、終業10分前には片付けに入らなければならないのに。

恐らく最後の利用者と思われる生徒が、読んでいた本を暫く悩んでから棚に戻して部屋を後にする。普段ならばこの段階でパソコンを切ったり椅子を整頓したり、本の位置を簡単に確認したりする作業に入っているはずなのに…!

しかしいつまでも怖がっているわけにもいかない。パソコンをシャットダウンするついでにえいやとばかりに立ち上がったら、座っていた椅子がバコーン!と思い切り倒れた。何となく出鼻を挫かれたような思いでそれを立ち上げ、改めてカウンターからそっと外に出る。
返却棚に無造作に置かれた本を回収し、元の場所に返すふりをしながら中二階へ足を進める。手元にあった数冊の本を一通り本棚にしまい終え、十数段の階段を目の前に私はぐっと握りこぶしを作った。


「(ええい、おばけが何よ!インドア図書委員なめんなよ!)」


根拠のない自信で気持ちを鼓舞し、記念すべき最初の一歩を踏み出した。階段は窓に接して作られており、丁度半分くらいまでの段には外からの光が当たっている。(といっても雨のせいで薄暗いけど)しかしそこから上はほんのりとした間接照明のみの世界だ。一気に暗くなると言っても過言ではないその場所に、おっかなびっくり足を踏み出した。


「…もしもーし、どなたかいらっしゃいますかー…」


完全に中二階に上がりきらない場所から、蚊の泣くような声を絞り出す。しかし本の隙間に吸い込まれてしまいそうな声に返すものはなく、仕方なく私は最後の段から足を離した。
本棚は、コの字を描く壁全面と、フロアを仕切るよう背中合わせにしたものが3列置かれている。人が潜めるとしたらその最奥だ。念のため一列ずつ通路を確認しながら歩き、ついに最後の列に差し掛かる。

「恐る恐る」を絵に描いたように首を伸ばすが、どうにも目が開けられない。気持ちと裏腹にくっつこうとするまぶたを、態々両手の指を使って引き離し、今度こそその最奥を覗き込んだ。
すると。


「――――――っっっっっ!!!!!!!!!」


声にならない絶叫が喉から迸った――ような気がした。
覗き込んだその先、薄暗い空間からニョキリと生えた日本の足。改めて思えば幽霊でないことは確かだし、上履きに濃紺のズボンを履いたそれは紛れもなく桐皇の生徒だったのだけど。
腰の抜けた私はそこから目を離せないままにくず折れる。いや、びっくりしただけだけど!怖かったわけじゃない、はずなんだけど!

するともぞりと動く影。どたばたとやかましい状況に気がついたのか、今まで閉じられていたのだろう相貌がゆっくりと開いて――


「…ピンク色」

「………へ?」


何故か謎の呪文を唱え始めた。
思い切り身構えていたこちらとしては物凄く拍子抜けだったのだが、ていうか何?ぴ、ぴんく?え?

混乱する私をよそに、その影はのそのそと起き上がった。へたり込んでいるせいかやけに大きく見える。本棚によって影になる部分から出てくる様を見れば、幽霊でないことは分かったのだが。


「アンタ」

「…あ、は、え?」

「パンツ丸見え」


落とされた爆弾に私は目を見開いて固まるしかない。
生身の人間相手にこれほど戦慄を覚えたこともないだろう。今度こそちゃんと口から吐き出された絶叫が廊下に飛び出すよりも早く、その背の高い人はぴしゃりと扉を閉めて出て行ってしまった。




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図書委員と青峰くんの出会い。
青峰名前すら出てきてませんが。

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