――ブツン。
砂嵐が渦巻き続けていた画面から何かがぶち切れたような音が聞こえる。文字通りただぼんやりとしていた意識にその音がやけに大きく響いて、あ、やべえあほづら見られたかもなどとズレたことを考えた。
全くもって余談だが、深夜テレビをつけっ放しにするのは隊規三十七条違反である。節電だとか何とか理由は色々言われているが、その実厠に立った副長がぼんやりとほの明るい一室にビビッて眠れなくなったことがあるかららしい。山崎さん談。ほんとかどうか知らないけど、恐怖心を覆い隠すために切腹させられるなんてたまったものではない。
話が逸れた。
兎にも角にもただの女中であるところの私が、切腹の恐怖に立ち向かいながらテレビをつけっ放しにしていたのには勿論理由がある。深夜枠で見たい番組があったからとかではない。そんな下らない理由で花の命を散らすことなどできるもんか。こちとらやっとこ20年ちょっと生き延びてる身なんだから。
「いや、実際結構下らない理由だよね」
徹夜で充血しているであろう目を擦っていると、隣から声が聞こえてきた。入室された気配などなかったからほんのちょっとだけ驚いた。横を見るとリモコンを片手に構えた山崎さんが、着崩れた隊服で座り込みやがっていた。
「下らないとは聞き捨てなりませんね」
「だって大概下らないでしょ。いつ帰るかもわからん人たちをこうして寝ずに待ってるだなんて」
おいおい何を言っているんだ山崎よ。私はただ25時から放送予定だった『結野アナのブラック星座占い拡大2時間スペシャル』が見たかっただけだ。あれ、さっき深夜番組見たいとか下らないよね〜みたいなことを言ったのはアレだ、寝不足のせいだから。
「そして朝はZIPよりもおはようニッポン派なんですリモコンよこせ」
「君寝てないせいで大分錯乱してるでしょ。普段8時間寝ないとダメな人なんだから、無理すると今日つらくなるよ」
私の言葉など聞かずにリモコンをポチポチする山崎さん。さっきまでひたすらにざあざあと泣き声を上げていたはずのテレビ画面からは、今や賑やかな声ばかりが溢れてくる。
「大丈夫だよ。局長も副長もみんなも、もう帰ってくるよ。俺の勘がそういってる」
「潜入操作で脇腹刺された人の勘なんてアテにできません」
「そう言わないでよ。治ったら始末書なんだから、俺」
そう言って、山崎さんは「寝て過ごせるの今だけなのにさあ」と私の夜更かしにイチャモンをつけてきた。その横顔は隊服同様どこかくたびれていて、テレビの光が小さく映り込んだ瞳は赤く充血している。はははは、素直じゃないな山崎。
「なんか普段あれだけ騒がしいと、静かなのが不思議なくらいですよね」
「んー、まあね。俺的にはこういう時間も必要だと思うんだけど」
「私的にもその意見には大賛成です。そしたら怒鳴り声に耳塞がなくていいし、下ネタふられて怒らなくていいし、耳元ですんごい怖い怪談聞かなくて済むし」
「なんてことされてんの君」
ああでもあれですよね。うるさかったら誰がどこにいるかはわかるし、私がちょっとくらい大声上げてもすぐに紛れられるし、プライバシーとかないから私生活まで筒抜けだけど。
「笑ったり、泣いたりを、がまんしなくても済みますよね」
「…あー、うん、ね。」
私の言葉に反応してか、ブラウン管の向こうでどっと笑いが起きていた。いつもは笑えるはずなんだけど、おかしいな、やっぱり寝不足だとどっかおかしくなるみたいだ。
「ていうか山崎さんと二人っきりてのがありえないですよね」
「ごめんそれ俺の台詞。つーか女中さん他にもいんだろ」
「いますけど」
いますけど。でも何か、やっぱり。
「…屯所広いから、女中だけだと掃除とか大変なんですってば」
「――じゃあ今日はみんなで大掃除でもするか!」
「「!!!」」
降り注ぐように、湧き上がるように、突如聞こえた声に時間が止まる。さっきまで弾けるような音声で溢れていたテレビ画面からは、今や何も聞こえない。
凝り固まった筋肉を無理やり動かして顔を上げると、山崎さんの丸い頭の向こうに降り注ぐ陽光が見えた。
「…っきょ、きょくちょ」
「わ゙あああああああああん゙!!!!お゙がえ゙り゙な゙ざい゙ー!!!」
しんぱいしました
けがしてませんか
とてもとても さびしかった
立ち上がろうとした山崎さんを踏みのけて、汚れたジャケットにしがみつく。土と煙と鉄のような臭いが染み付いたそれはお世辞にもいい匂いとは言えなかったけど、放すまいと力を込める私の頭にあったかくて大きな手が無造作に乗せられたから。
「ははは!そうかそうか!」
俺たちも さびしかったぞ!
笑い声に充血気味の瞳が一気に潤った。障子の向こうに感じる騒がしい気配に一気に空気が塗り替えられていく。
俺たちって、俺ァさびしくなんかありやせんでしたぜ
つーか腹減ったわー!朝飯なんかある?
あー俺おにぎり食べたい!梅のやつ!
おーいそれより吉村が失血気味なんだけどー!!
オイマヨネーズ切れてんじゃねえか殺すぞ
吉村が倒れたああああああ!!!
騒がしい。喧しい。うるさくて、とても煩わしい。耳を塞ぎたくなるような喧騒にそれでも私は笑顔を返す。そしたら頭上でまた一つ笑顔が花開く気配がした。
「あ?つーかオメーテレビつけっぱじゃねーか切腹させっぞコラ」
波状光線ファンファーレ