愛しい我が家に帰ると、そこには見知らぬ男がいた。


「…え、だ、だれすか」

「あー、アンタこちらの住人?俺はその、アレだ、決して怪しい者ではなくてだな」


家主の私よりも一段高い玄関口で、男はぼっさぼさの後頭部をかき上げる仕草を見せる。もそもそと何事か言っているようだが、どう見ても不審者以外の何者でもなかった。


「ひゃっ、ひゃくとおばん…!」

「ちょっ、やめてやめて警察沙汰は!銀さんこの年で何度も豚箱インは御免だから!」


貧乏なフリーターの一人住まいに固定電話などあるはずもなく、慌ててポケットから携帯を取り出し震える手で慣れない番号をプッシュする。しかし背後からそれを阻止しようとする男の魔手によって何かとんでもない番号が液晶画面上に生み出された。「111111111110」番って。魔界に繋がる番号か何かですか。


「ななな何度もってどういうことだ…」

「えっ、あーいや、これにはふかーいワケがあってだなァ」

「助けて大家さああああムガッ!」

「どういうことだと聞いときながら情状酌量の余地もなしですかコノヤロー!」


今度は携帯どころか私の口ごと魔界に葬ろうとする不審者、もとい前科者。狭い玄関口でドタバタやってるのは実に体中が壁やら下駄箱やらに当たって痛いのだが、そんなことよりも私は私の命やら貞操やらが大事だ。


「とりあえず落ち着け。落ち着いて俺の話を」

「ぶほへ!ふほほほほひへー!」

「あ、わりィ」


わりィで済んだら警察はいらない。というか危うく窒息死させられるところだった…。やはりこやつ私の尊い命を狙って上がりこんだのか。


「えーと、まあ信じてもらえるかわかんねえんだけど」

「ええ信じられません」

「いや少しは聞く優しさを持とう?」


110番通報しようにも電話は奪われてしまったし、大家さんは考えたら一昨日から町内旅行で熱海に行ってしまっているんだった。万事休すとはまさにこのことだ。
仕方なく私はなぜか不審者によって室内に招き入れられ、リビングで膝を向かわせることになってしまっている。すると寒くもないのに汗でもかいたのか、床の辺りが湿っているように感じた。大丈夫か私。


「こういう場合犯人は大概それらしい嘘を用意しているもんです。どんな話をされようが私がそれを信じることはありません…!」

「おい犯人ってどーいうことだ。言っとくが俺はお前みてーなビンボ臭えガキから盗み働くほど落ちちゃいねえぞ」

「じゃあやっぱり私の命が狙いですか」

「何でだよお前みたいな小物殺すくらいならもっとデカイこと成し遂げてお縄につくわ」


小物扱いをされて、しがないフリーターであるところの私は心に酷い重傷を負った。今の発言を言質に取って慰謝料を請求できないだろうか。


「…じゃあ何が目的なんですか。こんな小物に構ってる暇があるなら、とっととルパンになるでもして銭形警部に捕まればいいじゃないですか」

「いやよく意味がわからないね」

「私だってこの状況がわかりません」

「俺だってわからねえから困ってんじゃねえか」

「は…?」


進まない押し問答に、さも疲れたと言わんばかりに頭を抱える不審者は、やっぱりよく分からないことをのたまった。わからないって、おま、勝手に家宅侵入された私の気持ちを考えろ。


「…依頼で黒猫追っかけてて、したら誤ってマンホールに落っこちたんだよ。そのまま下水に真っ逆さまで、こりゃ死んだと思ってたら、何か見知らぬ風呂場にいて」

「…おっしゃる意味を理解しかねるんですが、まず一つお聞きしてよろしいですか」

「どーぞ」

「その風呂場ってのはもしかして我が家の」

「たりめーだろ、じゃなきゃこんな狭苦しい家に態々居座るかよ」

「くっ、クラシアーン!!!」


男の言動を信じたわけではないが、床が湿っているのを感じるのも確か。慌てて風呂場に飛び込むと、そこには惨劇の跡が広がっていた。具体的に言うと水道が破壊されていた。


「ぎゃあああああナンジャコリャー!!!!」

「あー…それは悪かった。だけど不可抗力ってやつだからよォ」

「おまっ、これっ、」

「気持ちはいくらでも捧げるが金は一銭も出せねえぞ」


吹き上がる水飛沫に濡れながら振り向けば、罰が悪そうに男が目を逸らした。不可抗力だか何だか知らないが、こんなことをして許されると思っているのか。つーかこの事態を引き起こした上での冒頭の態度か。見上げた図太さで何よりですね!


「あ、濡れたまんまだと悪いと思ったからそこらへんの洗濯物から勝手にタオル拝借したわ」

「はっ、よく見たらずっと床が濡れて…!」

「つーかお前色気のないブラしてんのなァ。あの瞬間に真の絶望感を覚えたっつーか」

「貴様あああああああ!!!!!」


この恨み!はらさでおくべきか!
脳内でもう一人の私が包丁を研ぎ始めるのを感じながら、私は男を睨み付けた。見れば見るほど、そして聞けば聞くほど不審極まりない存在である。これはもう私の手には負えない。自力で駆け込んででも警察に訴える他ないだろう。

最早男の話をどこまで信じたものかもわからず、私は反射的に玄関を目指していた。濡れた床でズルズルと滑るが構ってはいられない。
だが縋るように玄関の扉に手を伸ばした私よりも、いつの間にやら背後に迫っていた男の方が早かった。ダアン!強い音と共に開きかけた扉が閉められ、私は思い切り顔面を強打した。


「…どーこ行くつもりィ?」


耳元に吹き込まれるようにして聞こえた声に背筋が凍る。底冷えするような低音に私は初めて恐怖を覚えた。


「なっ、なっ、」

「警察沙汰は困るって言ったでしょーがよォ。銀さんこれでもかなり困ってんの。ここがどこだかもわかんねえし、どうやって帰ったらいいのかもわかんないし」


どう説明したら、わかってもらえるのかもわかんないし。
先ほどとは打って変わった立ち消えそうな声で男は言って、私の背中に額を預けた。扉と男の体によって挟まれたこの状況は、見ようによってはラブロマンスのワンシーンのようでもある。しかしその瞬間私が感じたのは戦慄にも似た怒涛の恐怖心で、気付いたらぼろぼろと年甲斐もなく涙を流していた。


「あーあーあー、泣くなよォ。これじゃ俺が泣かしたみてえじゃねえか」


いやまさにその通りだろ。思いながらも頭上で溜息を吐かれ、その上ぽんぽんと頭を撫でられてしまってはもう私の立場というものがない。
本当に途方に暮れた私は、男の手から逃げるように扉に縋って泣き声を上げた。泣いたら誰かが助けてくれるなんて、そんな年齢でもないことは重々承知の上だったが、こんなシチュエーションは経験したことがなかったのでどうしたらいいのかわからなかったのだ。


「えーと、じゃあこうしよう。風呂場はアレ、俺がどうにかして直してみっから、その代わりに暫くここに置いてくんね?」


俺が直すも何もお前が破壊した張本人だからね。さもギブアンドテイクみたいな体で話しすすめようとしてるけど、私が一方的にギブしてるだけで自分から差し出すものは何一つとしてないからね。


「ぅえっ、やっ、やだ」

「よォし交渉成立な」


しかし私の思いが男に通じることはなかった。というか聞こえていただろうに泣き声なのをいいことにあっさりと切り捨てやがった。この野郎。
私は都合よく事態を解釈した不審者に手を引かれ、再びリビングへと戻ることになってしまった。風呂場では未だ水の柱が高々と飛沫を上げている。床は濡れたまんまだし、掃除しなきゃだし、洗濯物畳んでないし。


「つーか腹減らね?俺今ピザとか食べたい気分なんだけど」

「うううおかあさん…!」


こうして愛する我が家に不審者約一名が転がり込むことになりました。理由は全くわかりませんが、水道が直ったら警察に駆け込もうと思います。



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現代に銀ちゃんがトリップしちゃった的なおはなし。

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