「…納得がいかない」


そしてその日の帰り道、どうぞ我が家へというご老人の誘いを何とか断って予定していた安宿へと足を向けた先のこと。(足と言っても譲歩の末に老人の馬車を出すとの一点張りが崩れなかったため馬のそれであるが)慣れない揺れに臀部を摩り上げながら下車した私に手を差し伸べる似非紳士に向かって、小さくそう呟いてやった。
差し伸べた手をスルーされてぽかんとしているアレンは、馬車への踏み台に乗ったままもこもこのファーの上着に埋もれている私の顔を眺めて「何がですか?」と軽い声で返してみせる。


「だってどう考えてもおかしいじゃない。そもそもアレンがさっさと戻って来さえすればあんなことにはならなかったのに」

「だから言ってるじゃないですか。あれはあのご老人に挨拶をしていたから遅くなっただけだって」


弁解の割には余裕ぶった口調に私のむかっ腹は収まることがない。
何故ならただアレンが挨拶していただけでないことを知っているからだ。先程別れ際にあのご老人が必死に「孫の婚約者に」と言っていたのを聞き逃すような私ではない。

むくれたまますたすたと先を行く私に背後から溜息が投げつけられる。どうせ「呆れた」とでも言いたいのだろう。ええ悪かったですね、ちょっとの我慢も出来ないお子様で。


「誰もそんなこと言ってないじゃないですか」

「さっきロリコンって言ったじゃない」

「そりゃあのおじさんからしてみりゃそうでしょうよ」

「ふん、どうだか」


実を言えば私とアレンは同い年なのだが、どうにもそのように見られたことはない。いつも兄弟のようにじゃれ合って喧嘩ばかりしているせいだろうか。折角綺麗にしてもらった夜だと言うのに、一向に気分が高揚することがないなんて。

拗ねてつんと反らした鼻っ柱を冷たい夜風がすっと撫で上げる。赤くなったであろうそこを必死に隠すように上着に顔を埋めれば、毛足の長いファーがくすぐったくて小さなくしゃみが数回漏れた。


「寒いんですか?だったらふらふらしてないでとっとと帰らないと」

「寒くない!アレンこそ疲れてんだろうから先帰れば!」


ああ、我ながら何て可愛くない。

意地っ張りの背中を向けるのはこれが初めてのことではない。それでもいつも後ろでアレンがどんな顔をしているのかが何となく分かるから、物凄く悲しくなるのだ。吊り上げた眉の下、綺麗に縁取られた瞼がじんと熱くなるのもいつものこと。


「…そうですか」


しかし今度こそアレンの地雷とやらを踏んでしまったらしい。
冷め切った声に振り向く暇も与えられずカツカツと遠ざかる足音。レンガを踏み締め高い家々の壁に反響するそれはどんどん小さくなるのに、私をどん底に突き落としていくには効果抜群だ。

シフォンが皺になるのも構わずぎゅっとドレスを握り締める。可愛くない女の子も、シンデレラの魔法さえあればお姫様になれると思っていたのに。
鼻につんとした痛みを覚えれば、すぐにも喉元まで嗚咽がせり上がるのを感じた。奥歯を噛んでぐっと堪えるが肩が震えてしまうのだけは抑えることが出来ない。

とうとう足音が聞こえなくなった所で私は漸く振り返った。嫌だ、置いて行かないで。
痛む足も無視してレンガ畳の通りを走り抜ける。小さな隙間にさえはまり込んでしまうヒールが邪魔臭い。私は履いていた間白いパンプスをその場に脱ぎ捨てると再び一目散に走り出す。
足元を変えただけでこんなにも軽くなる体に、やっぱり背伸びなんて向いてないななんてことを思った。きっとこの先の曲がり角で立ち止まっているはずのあいつも、よたよた歩く生まれたての小鹿みたいな私なんて望んでいない。


「…はあっ」


薄暗い曲がり角の先にぼんやりと浮かぶ白銀。まるで地上に落ちた月のようにぼんやりと光を放つようなそれは今こちらに背を向けている。
我侭な子供にはいつまでも付き合っていられない。紳士ぶるその裏でそっちこそ子供よと言いたくなるような態度を取るから、だから私だってムキになってしまうというのに。

アレンが立つ場所から数メートル離れた所で足を止めた。そうよ、まだ私だって怒ってるんだから。


「…何笑ってるの」


けれど相手はあのアレン・ウォーカー。生来のものか、育ての親譲りなのか、はたまた破天荒な師匠に付き従う日々の賜物か。答えなんて分からないけれど、きっとどれも本物のアレン。ピエロの皮を被った子供みたいな男の子。

笑ってなんかいませんよ。嘘丸出しのその顔でアレンはそっと振り返った。
再び靴音を鳴らして数歩近づかれてやっと分かる。ああ、チビなんて嘘、アンタはこんなにも大きくなってしまっていた。


「あんまり貴女がお子様なもので」

「…やっぱりそう思ってるんじゃない」

「ええ。だから僕には大人のお姉さま方のお相手なんてとても余裕がありませんよ」


そっと手を取られぐいと引き寄せられる。力はさっきのおじさんよりも強いものだったけれど、一瞬のうちに訪れた浮遊感は決して不快なものではなかった。
冷たいレンガに乗せられる足をそっと気遣う所は少しだけ大人。だけど「野良猫みたいな真似はやめて下さい」って、その台詞はちょっと考え物だ。


「僕は紳士ですからね。裸足の女の子を一人取り残しては帰れませんよ」

「一人じゃ迷子になるから帰れないの間違いでしょ」


全く素直じゃないこの唇がそう呟けば、容赦のない右ストレートがわき腹に襲い掛かった。これでも手加減したんですよなんて、どの口が言えたもんだか。


「貴女があんな所でごたごたを引き起こすものだから、折角のご馳走にありつけなかったじゃないですか」

「あらそれはすいませんでした。でもうちに帰ればジェリーさんがもっと美味しいご飯を用意して待ってるわよ」


そこで私がと言えないのはここまでの付き合いが長いから。だけどきっと言葉の裏に隠れたヤキモチ焼きな私をアレンは見抜いている。


「…そうですね」


嬉しそうにアレンが呟くから、私もつられて笑顔になってしまう。
赤い星を宿した左顔を見上げれば、頭上にはさっきまで眺めていたシャンデリアにも負けないほどの綺麗な輝きがきらきらと瞬いては夜の街に光を振りまいていた。


「じゃあご飯を食べにさっさと帰りましょう。僕もうお腹ぺこぺこで」

「ちょっと、駅は逆方面よ?それに今日の宿だって」

「そんなもん後でどうにだってなりますから」


強く引かれた腕に絡まるのは剥き出しの左手。見目を気にしてつけている手袋に私が一度我侭を言ったら、それ以来こうして外してくれるようになった。
ねえアレン、まだまだ大人にはほど遠いけど、この場所は暫く私のものでもいいわよね?口になんて出来ないから、重ねた右手にそっと力を込める。その感触を確かめるように指の間にまで入り込んだアレンの左手は、泣きたいくらいに温かかった。


「行きますよ!」


夜の街を二人、手を繋いで流星よりも早く駆け抜けていく。
裸足のままでも気にしない。アレンに繋がる右手の方が愛おしいから。

まるで絵本に出てきた王子様みたい。風に靡くアレンの銀糸を見つめていたら、ふいに泣きそうな気持ちになった。
流れ星の王子様に手を引かれる私に綺麗な靴なんて与えられてないけど、この夢が覚めるまではお姫様でいられるだろうか。


「(…ねえ、)」


決して素直には動こうとしないこの唇が小さく小さく呟いた。
それはいつまでも打ち明けられることのない、この胸に宿るかけがえのない光の名前。




Thanx:137億年様




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