――ぶわり。
音もなく溢れ出す涙を美しいと思うのはこの状況では随分滑稽である。しかしながら俺はまるでスローモーションのようにゆったりと流れる眼前の出来事を、美術館の絵でも眺めるような気分で見つめていた。室内は明るく、花吹雪さえ巻き起こりそうなけぶるような春の日のことだった。

攘夷浪士との小競り合いは最早日常茶飯事である。通報さえあれば古今東西どこでも飛んでいく。それが俺たち真選組の使命だからだ。
その日も本庁から届いた危急の報せによって、俺たちは現場へと引きずり出された。丁度昼休憩に入ったばかりの時刻だったから酷く気分が損ねられたのを覚えている。場所はかぶき町とこれまたいかにもな事件である。正直乗り気ではなかったが、上から下からやかましく声をかけられ渋々重い腰を上げた。


「お疲れ様です沖田たいちょー!」


やたら気張った敬礼をしてくる七三瓶底眼鏡をスルーし現場へ向かう。駆けつけざま聞いた話によれば、かぶき町某所の廃ビルを根城にしていた浪士集団と見回りの岡っ引きとの間でちょっとした闘争が勃発、刀を所持していた浪士側が相手を一人斬り、そのまま乱闘へと雪崩れ込んだんだとか。
全く迷惑な話だ。何が原因だか知らないが、そういうのは是非とも他所でやってもらいたい。元々気性の荒い風来坊が多いこの界隈ではそういった問題が絶えず起きるのだ。その度に呼び出されてたんじゃこっちだって参ってしまうというもので。


「ガイシャは苗字正次郎、42歳。岡っ引き側のまとめ役のような男だったらしく、それが斬られたことで暴動に発展したとか」

「ありがちな話だねえ」


何があったんだか最初に頭がやられてしまえば、岡っ引きとは言え単なる烏合の衆と化す。頭に血が昇った馬鹿共をしつけるのは骨が折れるが、まあこれもオシゴトってなもんで。


「よし、じゃあとりあえずどいつからブッた斬ればいい?」

「いや斬っちゃダメですからね」


パトカーのサイレンが止まると何かが壊れるような音が聞こえてきた。あーあ、今日の夕飯は美味いモンがいいなァ。







事件を沈静させるだけが俺たちの仕事ではない。管轄の事件は最後まで処理を済まさねばならないのだ。しかもそこに警察関係者がいるのであれば尚更。
今回の被害者である苗字を調べてみると、どうやら市街地から少し抜けた住宅街に住まっているようだった。散歩ついでにと訪れてみれば中々どうして立派な屋敷である。


「苗字には娘が一人いるようでして…今回はそちらにお話をして頂ければ」

「面倒臭ェなあ。そーゆうのってもっと下っ端の仕事じゃねーんですかィ」

「被害者が多くて隊員はほとんど出払っておりまして…」

「人員不足たァ泣けてくらァ。時間外手当て出るんだろうな」

「いや、めちゃくちゃ勤務時間ですからね。いつもはアンタが勝手に昼寝に当ててるだけだからね」


隊士の小言を背に聞きながら木造の門扉を潜る。邸内も質素ながら整然とした造りで好感が持てる。老後はこんな家を建てるのも悪かねェなと考えつつ、玄関の引き戸を無遠慮に開けた。


「ごめんくだ――」

「きゃっ」


が、予期せぬ甲高い声を耳にし俺は思わず目を見開く。何だと思い視線を下げるが視界の範囲内にその発生源は確認できず。


「ご、ごめんなさい。どちらさまでしょうか」


そこより更に下から再び声が聞こえてきた。どうやら玄関の隅、暗がりになる部分にひっそりと誰ぞが座り込んでいたらしい。逆光のせいで視界が悪くなる中目を凝らすと、そこには地味な色の着物を纏った女が恥ずかしそうに佇んでいた。


「…警察の者でさ。親父さんの件で伺わせてもらいやした」

「…あ、態々ありがとうございます。どうぞ、こんな場所で立ち話もなんですから」


頬を少しだけ赤く染め、肩をすぼめる女が入室を促す。俺は背後の隊士と目配せをしてから靴を脱ぎ、ひんやりとした床の感触を足の裏に感じながら薄暗い廊下を進んでいった。

こういう時の流儀みたいなものを俺はほとんど覚えていない。本来ならば格上である俺からするのであろうが、全て分かっている有能な部下が率先してやってくれたお陰で俺はほとんど座って茶を飲んでいるだけでいいことになっていた。今は見様見真似で仏壇に焼香を上げてみたところだ。


「この度はご愁傷様でした」

「ご丁寧に、どうも」


慣れない口上を述べる俺に対し、女は随分と慣れた口ぶりで返してきた。そんなに年齢が変わるわけでもないだろうに妙に落ち着いた雰囲気を持っている。達観しているというか、まあ父親が死んだ時にはしゃぐ馬鹿もいないだろうが。


「それで、ご用件は」

「今回事件に攘夷浪士が絡んでいたこともあり事後調査を行っておりまして、苗字さんやその周囲についてお話頂きたく参りました」


こんな時に申し訳ないのですが、と、さほど申し訳はなくなさそうに部下が言った。こいつも慣れてやがるなあなどとぼんやり思うが、それも俺の無知の賜物であろう。
淹れたての茶は綺麗な黄緑色からほんのりと湯気を立てていた。室内もやはり質素であるようだが、床の間に飾られた掛け軸や仏壇の花たちからはどこか寂しげながら趣味の良さが伺えた。


「そうですか…でも申し訳ないんですけれども、私は父の仕事のことは一切知らないんです。何分昔気質な人でしたので、女に仕事のことは喋れないと」

「いや、警察の鑑のような方だったんですね」


女の言葉に部下が世辞を返せば、相手はほんの少しだけ頬を緩めてみせた。花が咲くような、とかこの年頃にありがちな華やかなものではなく、水面が揺れるような静かな微笑みだった。


「そんな人間ですから、恐らく父は攘夷浪士とは何の関係もなかったと思いますよ」

「!」


が、その直後に発された言葉に俺も部下も一瞬言葉を失った。
事件後の調べによれば暴動の一端に警察と攘夷浪士の繋がりのようなものがあったらしい。事件事態は些細なものであろうが、そこから発見された新たな問題の芽を放っておくわけにはいかないのだとか。俺的には結構他人事感覚なのだが立場上そういうわけにもいかず、近藤さんや土方コノヤローに言われるがまま調査活動に励んでいる最中なのだ。
それをまあこの娘よくも見破ってみたものである。刑事ドラマとかにはありがちだが、ここまで確信を持って言える台詞だろうか。逆に怪しさすら感じるくらいだ。


「いや、我々は別にそういう意味でお聞きしたわけではないんですよ」


慌てて部下が取り繕うが、確信を得た女の目はそれを看破しているように見えた。何を言われても泰然自若としている。達観してるというよりは老成に近いような気もしてきた。


「ふふ、まあ父はそれなりに周囲から信頼を寄せられていたようですし、怪しいことはこの上ないと思うんですけどね」

「苗字さん、」

「でもね、家族の贔屓目で見ても、そういうことはしない人ですよ」


凛とした声で言い放たれ、あれこれと言い訳していた部下もついに口を噤んでしまった。阿呆め、それじゃ図星と言っているようなものではないか。まだまだ修行が足りねェなァ。
呆れ半分で眇めた目を部下に向け、それからすっと視線を正面に動かした。


「にしても随分な目をお持ちのようだ。親父さんへの信頼もさることながら、こっちの真意まで見抜くたァ相当だねお嬢さん」

「ああいえ、差し出がましいことを申し訳ありません…」


済ました態度を突き崩してやりたくてちょっと意地の悪い言葉を吐く。案の定女はすぐさま慌てた様子を見せるが、それも何となく面白くなかった。どうせならあの態度を貫き通して欲しかった、なんてのもおかしな話だが。


「その、訃報を聞いた日に親しくさせて頂いていた父の同僚の方からそのようなお話を聞いたものですから」


ついとばかりに小さく笑って、女は正座した膝の上できゅっとこぶしを握ったようだった。
「親しくさせて頂いていた」のがどこのどいつだかは知らないが、とりあえずそいつも調査対象だな。そう意味を含ませつつ視線をやれば有能な部下は分かりきったような顔で神妙に頷いた。


「いやいや、こちらとしても話が早くて助かりまさァ。ぶっちゃけ何軒も遺族のドサ周りさせられててねェ、遠回しな気遣いに疲れてきてたとこだったんで」


と、そこまでギリギリのラインで保っていた礼儀とやらを盛大に崩してやる。背後の部下はぎょっとした顔で何事か諫言を並べていたようだが、それ以前に俺の足が限界を迎えたんでィ。誰だ正座とか考え出したヤツぶっ殺す。
あからさまに一般人向けでない態度を取る俺に女も一瞬呆気に取られたようであったが、次の瞬間にはくすくすと笑みを零していた。


「それはご苦労様でした。我が家にはもう私しかおりませんので、どうぞ楽になさって下さい」

「そいつァありがてえや。ありがたいついでに茶をもう一杯もらえるかィ」

「ちょっ、沖田隊長!」

「かしこまりました」


諌める部下には耳も貸さず、屯所さながらのぐうたらした姿勢で俺は茶碗を掲げた。来客用の茶器なのだろうそれは、しかし巷で目にする華美さは見られない。静かな青を塗りこめた青磁のような風合いが質素な一室に唯一色を齎しているかのようだ。
茶器を盆に載せ女が下がるまでをじっと凝視していた俺は、襖が閉まると同時に溜息を吐いた。


「ちょっと隊長、困りますよ!いくら年若い方とは言え相手はご遺族なんですからね!」

「いやあすいやせん。ちょっとあのすまし顔が気に入らなくて」

「はあ!?」


反省の気配がない己に部下は語気を荒げるが、それよりも俺はさっきまで目の前にいた女の様子が気になっていた。
父親が死んだというに、まるで女の態度はこの穏やかな小春日の水面のようだった。既にこの世にはない肉親を犯罪者かと疑う俺たちを他意なく招き入れ、茶を出し、不快感も見せずに笑いさえする。還暦迎えたババアじゃねえんだ。せめて少しでも顔を歪めて見せたのなら、こんなに構いもしなかったろうに。


「まあいいじゃねえかィ。多分茶菓子のおかわりも持ってきやすぜ。あれ美味かったからもう一個食べたい」

「ほんとに自由だなアンタは」


最早吐き飽きたとばかりに溜息を漏らす部下の顔にはここ数日の疲れが滲んでいる。いつ頃入隊したかなんて覚えちゃいないが、事務処理能力の高さを買われてのことだったらしいから、こういう事態に慣れてないんだろう。
まるで手本のような姿勢で座するそいつの横には小さな包み。白いとしか表現のしようのないそれを渡したら、俺たちの仕事はとりあえず終了なのだが。


「お待たせ致しました」


再び茶碗を携えて戻ってきた女は、やはり茶菓子のおかわりを用意してくれていた。詳しくはないが女中共が騒いでいた高級菓子であることだけは覚えていたので、茶よりも先にそちらを頂くことにする。


「あー…私の分まで態々すみません。用件が済んだらすぐにお暇するつもりだったのですが」

「いいえ、私も寂しかったところですから」


恐縮する部下にも茶を出して、女はまた一つ笑ってみせた。のだが。


「さびしいのかィ、アンタ」

「え?」

「何も告げずに突然親父が死んで、挙句こんな大層な家に取り残されて、ちゃんと寂しいと思ってんのかィ」


脈絡なく問うた俺に、女は初めて表情を失くした。
失くしたというよりは質問の意味を図りかねていると言った方が適切かもしれない。とりあえず顔に浮かんでいるのは困惑に近い感情で、それはこの場所に俺たちがやってきて初めてそいつが見せた感情の揺らぎだった。


「…あの、仰る意味が」

「わからねえならそれでもいいさ。意識してんのかしてねーのか、感情に蓋するなんざ案外簡単なことだからな」


目を泳がせながら米神の辺りに指先を当てる仕草。こりゃ相当に動揺しているらしい。
それに構わず俺は背後の部下と向き合い、そうして唖然としているそいつが携えていたあの小包をふんだくった。随分と軽い包みだ。これが人生の終着点であるとは、命とは何と儚いものか。
――ドン!中身がどうなるなどと考えもせず、勢いのまま包みを机に乗せてやった。


「これが、」

「、?」

「アンタの親父でさ」


言い放った瞬間、小さくとも感情を浮かばせていた女の表情が完全に凍りついたのが分かった。
白い包みを開いて中身を取り出せば、出てくるものは小さな壷。両の掌に収まってしまうほどの大きさで、今女の父親は娘の元に帰って来たのだ。


「無断ですまねえとは思っているが、事件の重大性から警察内での密葬とさせてもらった」

「………」

「まだ完全に嫌疑が晴れたわけじゃねえが、とりあえずおめえの親父は職に殉じたってことになっている」


生身の父親が白い骨になるまでの顛末を物凄く簡単に説明する。しかし女はそれを聞いているのかいないのか、その顔から表情どころか色すらも落っことしたような風情でじっと壷を見つめていた。


「…これ、が」


父ですか。
問われた言葉は震えたりなどしていなかった。ただ目の前の壷が何か触れてはいけないものであるかのようで、その聞き方は小さな子どものものであるかにも思えた。

事実なので俺は当然「ああ」と返す。こんなに小さくなろうとも、アンタの親父はアンタの元へ帰って来た。
すると女は一気に脱力したように肩を落とした。まるで糸が切れるかのようなその様子には少しだけ驚かされたが、それよりも少し伏せられた顔の輪郭を伝うものの方がよっぽど俺の目を引いた。


「…そう、ですか」


――ぶわり。
言葉と同時に溢れた液体は不定なリズムで女の頬を伝って机や床に丸いしみを作った。そこに泉でもあるかのよう、まさに溢れるというに相応しい泣き方だ。ぐずるなど無様な真似はせず、ただ涙の流れるに任せて泣いている。鼻や目元が赤くなり不細工になるのは世界共通であるらしいが、それにしても作り物のような光景だった。いや、却ってこういう方が自然なのかもしれない。
不自然だが自然とはまた謎掛けのようであるが、女の泣き顔は然程不快なものではなかった。まあすました顔を歪ませたいと考えていた手前、こちらの思惑は成功したと言えるのだろうが。


「…心中お察しします。すみませんでした、こんな時に」

「ああいえ、気になさらないで下さい。寧ろこうして丁寧に葬って頂いて」


ありがとうございましたと、女は泣き笑いの表情を造る。見るからに痛々しいそれに、現場慣れしていない部下は複雑な顔をしていたが。


「…で?アンタこれからどうするつもりなんで?」

「隊長、もういい加減に…」

「そうですね、とりあえず父を菩提寺に預けてから、それから今後のことを考えます。こんなところに一人は寂しいですから、ここを売ってしまうのもいいかもしれないですね」

「ふうん」


大した計画性もなさそうに語る女に俺は興味なさげな返事を返す。頭を抱えた部下はもう知らんとばかりに眉を寄せた。やだねえ、真面目すぎるのは胃に穴が空きやすぜ。


「なら早めに新しい家を探しておくこった。このご時勢中々いい物件は見つかりやせんぜ」

「そういうものなんですか?」

「ああ。何せ最低でも背の高い木と澄んだ池のあるとこを探さにゃならねえからな」

「え…?池、ですか?」

「そうさ」


女は首を傾げるが、俺は思い描いたその景色に大層満足をしていた。
そんなに広くなくていい、ただきらきらと光る大きな水溜りと、そこに影を落とす樹木のある中庭。そういう場所が女には似合っていると思ったのだ。燦々と日の差す場所ではない、静かに佇んで時折帰りたいと思わせるような、幽玄に在る住まいこそが女には相応しい。


「贅沢を言うなら日当たりのいい縁側もあるといいねェ。時折俺が昼寝のために使うから」

「…中庭に木と池と縁側、ですか?」

「おうよ、中々いいもんだろィ?」

「ふふ…そうかもしれませんね。でもそんなこと言ったら、この家売れないじゃないですか」

「さすが岡っ引きの娘さん、ご明察だねェ」


ああ、こんな好条件の物件なんざそうそうないんだから、アンタは決して手放しちゃいけねえんだ。自然にあるがまま生きるアンタは、昔気質というアンタの親父が帰ってきたがったこの家がよく似合うのだから。


「またこの菓子用意しといてくんな。寂しくなったらタカりに来るから」

「…じゃあ、たくさん買っておかなくちゃ」


言って女は綺麗に笑った。やはりその笑顔は花が綻ぶような麗しいものではなくて、例えるならそう、静かな水面に涙が一滴落ちるようなそんな笑い方だった。



はる の うた

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