「美しいとは、どういうことですか」


嫌に綺麗な声と澄んだ瞳でそう問われて、思わず私は頬を引きつらせた。誰よりも美しい造詣をしながら言い放った男に「このやろう嫌味か」くらいのことは思ったけれど、ある意味では誰よりも純粋なそいつは本当に疑問に思っているのだろう。それを知っている私はその馬鹿馬鹿しい質問を邪険に扱うこともできず、今日一つ目の大きな溜息を吐いた。


「随分と難しいことを聞くね」

「疑問に感じてから幾分か本では調べたのですが、抽象的過ぎてよくわからなかったので」

「…あっそう」


忍者の癖して真っ白な腕を差し出しながら、男――サイはこてりと首を傾げる。その可愛らしい仕草に図らずもなけなしの母性本能をくすぐられつつ、私はその腕と同じくらい白い包帯をぐるぐると巻きつけてやった。


「子どもの愚かしいところは大人が何でもかんでも知ってると思ってるとこだよねえ…」

「では貴方は美しいについて説明ができないと」

「そうは言ってない」


子どもは子どもで馬鹿だけれど、大人だって小賢しくできているのだ。特に医者という職業ともなれば偉そうに白衣を纏えるだけ、余計にね。
私は考え込むふりをして足を組み直した。むくみの原因だと分かっていても、どうやら歪みっ放しの骨盤の影響だかでこうしていないと落ち着かなくなってしまっている。将来の下半身太りが懸念されて本当に嫌になる。今度有給取ってマッサージにでも行ってやろうか。

私があてどもなくそんなことを考えているとは(恐らく)露知らず、治療を終えたはずのサイはまだあの真っ黒な瞳をこちらに向け答えを待っているようだった。
純粋なふりして腹黒い癖に、知を得ることには本当に貪欲だ。知識欲なんてアカデミー時代に使い切るもんじゃないかと思っていたのだが、忍という職業病なのか生まれ持った性癖なのか、兎に角その漆黒の双眸は常に何かを問いかけているように見える。


「そうだなあ…言葉にすると難しいけど、例えば景色とか、涙がでるほど感動するように思えること、とか?」

「涙が出るほど、ですか」

「まあそこまで行かずとも鑑賞に堪えうるっていうのかね」


言いつつ手元のカルテにささっと治療についての仔細を書き込んでいく。異国の言語を用いた専門的な殴り書きにサイは僅か興味を示したようだけれど、それよりも目前の疑問により気を取られているようだ。どうやら先ほどの回答がお気に召さなかったらしい。


「じゃあ逆に聞くけど、サイは何かを美しいと思ったことはないの?」

「あるかもしれませんが、僕自身がそうと気付けないから聞いているんです」

「気付けないって…アンタね」


正論の如く自論をズバッと貫く態度に呆れて思わず目を眇める。するとサイはそんな態度すら疑問に感じたようで、珍しく屁理屈をごねて食いついてきた。


「貴方の言うところの鑑賞に堪えうるものならば沢山あります。けれど僕にとってその範囲は結構広いんですよ」

「へえ?」

「例えばそこの花瓶にささっている花なんかは当然見ていて不快に思うことはありませんし、大抵のものに対しても取り立てて何かを思うことはないです。更に言うなら貴方のその女性として終わっているであろう時代遅れの作業着も、まあ頑張れば堪えることができるんです」

「喧嘩売ってんのか」


相変わらず丁寧ながらも言葉の端々に棘がある…否、ただの慇懃無礼で傍若無人っぷりを発揮するサイの発言に、持っていた鉛筆がみしりと嫌な音を立てる。女として終わってる時代遅れな服装で悪かったな!
怒りに震える私、に、睨みつけられようとも動じないサイ。無駄に沈黙が落ちる空間に、次いで響いたのは看護師の声であった。どうやら次の患者が列を成しているらしい。


「はぁ…」

「見かけによらず忙しいんですね。大概にしないと医者の不養生ってやつになりますよ」

「巨大なお世話だね…質問の答えは次回までに考えといてやるから、今日はとっとと帰って安静にしてな」


大して梳かしてもない髪をぐしゃぐしゃ掻き回しながら、犬猫にやるかの如くシッシッと手を振る。するとサイは一瞬眉を寄せたように見えたが、気付いて私が顔を上げる頃には普段の無表情に戻っていたので真偽は分からなかった。


「しょうがないですね…子供の純粋な質問にも答えられない馬鹿なお医者のために、僕はまた負傷をしなければならない」

「いや…何かもうツッコむのも面倒なんだけどさ、とりあえず負傷はしなくていいよ。仕事増えるし」

「いえ、そこはツッコまないでおいて下さい」


サイの意味深な、そしていつも以上に意味不明な発言に今度は私が疑問符を浮べる番だった。隠しもせずに転げ落ちた「はあ?」という台詞には結構ありありと「わけわからん」という色が浮かんでいたと思うのだが、奴はそれにすら頓着する様子はない。


「態々怪我するのも馬鹿馬鹿しいんですけどね。こうでもしないと病院にこれないでしょう」

「…言いたいことがよくわかんないんだけど。アンタ病院がすきだったの?」

「………」


が、私がこんなに真面目に聞いているのにサイはあからさまな溜息を返してくる。おいおい、お前さっきまで私に散々意味不明な質問振っておいて、改めてこっちが質問したらそれってほんと何様のつもりだ。
と、私が今日二度目になる溜息を吐きそうになるのを必死で抑えているのを知ってか知らずか、立ち上がりついでに見下ろすような体勢からサイはこうのたまいやがった。


「美しいの説明はもういいですから、今度はなぜ僕がこんなにも健気に頑張っているのに報われないのかについてを考えておいて下さい」

「…は?」

「次回聞きにきますから、ちゃんと誠意を持って答えて下さいね」


いやいや意味が分からないんだけど!叫びたい衝動に駆られつつも、ぽかんとしたままの私を置いてサイはさっさと退室してしまう。
一体なんだったんだ今のは。絶えず浮かぶ疑問符に頭が痛くなるのを感じる。小ずるい子どもは思うがままに大人を引っ掻き回すから嫌いなのだ。こうして今日も私は溜息の数を増やしてしまうのだろう。本当に腹立たしい。


「先生、次の患者さんよろしいですかー!」


廊下から聞こえるのはちょっとキレ気味な看護師の声だ。もうどっちが上の立場なんだか分かったものではない。
米神を揉みつつ窓辺を見やると、既に涸れかけの花がその身をちぢ込めて最後の芳香を放っているようだった。鑑賞に堪えうるものが多いというのは即ち、世の多くを美しいと思えるということだ。要するにサイは世界のほとんどの事象を美しいと思っているに違いない。そう結論づけようとしながらも先ほどの台詞が脳内を回って仕方がない。


「せーんせーいー!!!」


考える暇も与えられない現実に、私はつい大声で叫んでしまった。次の患者さんは確実にビビりながら入ってくるのだろうとまた一つ溜息が漏れる今日この頃である。



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