私が“こちら”にやってきたのはほんの偶然の出来事だった。漫画やゲームのような特別な理由なんてきっとないのだ。そう思うのに、慣れない暮らしが長くなるにつれこの場所が私にとっての“こちら”という存在になっていった。
そうして今日も、また一つ故郷が遠ざかる。


「――はあ」


吐き出した息が真っ白に染まる。そっと開けた障子の向こうは相変わらずの曇天で、雪がちらつかないのが不思議なくらいだ。
眼下に城下町を望むここ青葉山城もすっかり冬の装いに包まれ、そこここから寒い寒いと呟く人の声が聞こえてくる。東京生まれ東京育ちの上、典型的な現代っ子の私にとってはそれはもう死活問題であって、今朝方朝食の席で震えていたら見かねた喜多さんが私室に火鉢を持ってきてくれた。
器用に起こされた炭の火が煤の中で真っ赤に燃え上がる。“あちら”ではあまり目にしない色合いだがとても美しいと思う。そう言えば“こちら”に来て驚いたことの一つに、現代とはまた違った色彩の多さがあった。


「ええと確か…火の赤は、緋色」


一口に赤と言ってもこの国には様々な種類がある。朱色、茜、紅、臙脂…ぱっと見ただけでは見分けられないような違いではあるが、並べてみると成程全く深みや味が違っていた。しかしそんな些細な違いなど今までの私には見えていなかったのだ。それまでの世界は、ほとんどが原色で彩られていたから。
そのことに気付かせてくれたのは、この城に住まう人々――否、この国に集う全てのものたちであった。初めは若いお姉さんたちの着物の色から。次に色とりどりの花々から。次第に視線は外へと向かい、生い茂る木々や畑の恵み、日々変わり行く空さえもが私の先生として色々なことを教えてくれた。


「Hey.」


そうしてその中でも一、二を争う私の師が、たった今部屋を訪ねてきたあの人であろう。


「どうぞー」


縮こまった姿勢はそのままに、閉じた障子の向こう側に立って影を投げかける人物に声をかけた。傍若無人なふりをしながら決して私の私室に無断で入るなど無粋なことはしない。紳士の鑑だと密かに思っているのだけど、素直に口にしたら恐らく照れてしまうことは一緒に過ごした時間で学習しているのできっと伝えることはない。
丁寧に開けられた障子の向こうから綺麗なかんばせが覗く。外から帰ってきて間もないのかそれなりにかっちりとした着物のまま現れた政宗さんは、世が世ならブラウン管越しにしか会うことは叶わなかったに違いないと思うくらいには格好いい。


「お帰りなさい。寒かったでしょう」

「ああ…この部屋は随分とhotだがな」


嫌味っぽい一言を漏らしながら入室してくる政宗さん。後ろ手で戸を閉めるや昔の人らしくない長いおみ足で畳を踏んづけてくる。数歩足らずで目の前にやってきたかと思えば、火鉢を奪うようにしてどかりと真正面に腰を据えた。


「いいでしょ、今朝喜多さんにあったかくしてもらったんです」

「相変わらず連中はお前に甘いときたか」

「ふふ、皆いい人たちですもん。政宗さんみたく私をいじめたりしませんし」


ちょっとだけ意地悪いことを言えばむっと眉が顰められる。上物っぽい拵えの眼帯がそれに合わせてきゅっと動いて、同時に額に鋭い痛みが走った。


「いたっ!」

「自業自得だ。そっちがいじめられたがってるauraを出してんじゃねえか」

「理不尽ですよー…」


拗ねたように口を尖がらせると政宗さんは困ったような笑みを浮かべる。見慣れた表情の一つではあるが、何故だかそれが彼の国に住まう子どもたちを見る目に似ているので私としては何やら複雑な思いである。


「というかよ、お前は俺に言うべきことがあるだろうが」


が、どうやら苦笑というよりは寧ろ政宗さんがちょっと拗ねていただけのようだった。全く、格好いいと思いきやちょっぴり可愛い要素も持ち合わせているなんて、どこまで女心を熟知しているのやら。なけなしの母性本能をくすぐられて「うっ」と詰まる私にしてやったりな政宗さん。はいはい、どうせ私如きしがない女子高生では貴方様にはきっと一生敵わないのですよ。


「…おかえりなさい。お出迎えができなくてすみませんでした」

「よし」


小さく頭を下げながら言えば、満足気に頷いて頭を撫でてくれる。初めは不慣れな手つきであったその仕草も回数を重ねれば何やら馴染んでくるものらしい。無骨な手が髪の上を滑る心地よさに目を細めると、それこそ小さい子になってしまったような気持ちになる。
いけないいけない、私はこれでも花の17歳なのだから!


「町の様子はいかがでしたか?」

「あ?ああ、別段変わりはなかったな。ただ今年の冬は例年に比べて気温が低いみてェだからよ、風邪でも流行んじゃねェかとそれが心配だな」


ざくざくと火鉢の中身を火箸で突きながら政宗さんが言う。こんなにも若い身空で一国一城の主だと初めて聞いた時は本当に驚いたものだ。(正直従者である小十郎さんの方が殿様かと思ってたくらいだ)けれど政宗さんは本当の本当にお殿様をやっていて、小十郎さんや喜多さんに小言を言われながらもこの国をよくしていこうと頑張っている。
そんな姿を見る度に私は彼から沢山のことを学ぶのである。決してあと2年やそこらの年月で彼のようになれるとは思っていないけれど、その志や姿勢、ものの見方考え方は現代人である私からしても新鮮なことばかりなのだ。
ゆえに彼の周りには自然と人が集まるし、私だって及ばずながら少しでも力になれたらいいなと思ってしまう。そういう魅力のある人なのだ、この伊達政宗という人は。


「風邪はこじらせると怖いですからね。予防と早めの対策が肝心ですよ」

「Ha、そりゃまたお前の国の教えってやつか?」

「まあそんなもんです。おうちに帰ってからの手洗いうがいは必須ですよ」


とは言え私ができることと言えば、こうしてなけなしの現代知識をぽつりと呟くことくらい。しかも漫然と平々凡々な女子高生として生きていただけの私には、この国の人々を救えるような専門知識があるわけでもない。
けれど私の一言一言に政宗さんはちゃんと耳を傾けてくれる。取るに足らない言葉でも彼はきっとちゃんと吸収して、そうして上手いこと何かを生み出すきっかけに変えてくれるのだ。ほとんど何もしていない私に「Thanks.」と声をかけることも忘れない。


「そういやいつきがまたお前に会いたがってたぜ。前に農作業を手伝わしちまったから、何か礼がしたいんだと」

「いつきちゃんが?」


発された名前にいつぞや出会った華奢なのにやたらとパワフルな少女の顔を思い出した。いつきちゃんがぴょんぴょんと飛び跳ねる度に結わわれた二つ結びの髪が揺れて、わんこみたいだなあと和んだのを覚えている。兄弟のいない私は「ねえちゃん」なんて呼ばれるのも初めてで、やたらとこそばゆかったのだ。


「私も、会いたいです。寒いからそれこそ風邪でも引いてなきゃいいですけど」

「あのガキが風邪なんか引くタマかよ。薄着でこの寒空の下を走り回ってたぜ」


呆れたように言いながらも政宗さんの言葉に棘は感じられない。寧ろ慈愛といってもいいほどの温かさに、思わずふっと笑みが零れた。


「…って何笑ってやがる」

「いいえー?政宗さんは優しいなあと思いまして」

「…褒めても明日の朝飯の品は増えねえぞ」


折角人が褒めてるのに政宗さんは素直じゃない。思い切り眉を顰められたのでこっそり呟けば、本日二回目の衝撃が額を襲った。


「ったく、てめェは相変わらずガキのまんまだな」

「む、子ども扱いはんたーい。無理矢理お酒まで飲ませといてそれは酷くないですかー?」

「ふん、ちっせェことで一々口尖らせるやつのどこが大人だよ」


言いつつ伸ばされた指が眉間を突いて、私は思わず「ふぎゃっ」とか色気のない声を漏らしてしまった。そうして政宗さんはまた一つ笑い声を上げる。二人の間に置かれた火鉢がその声に反応するようにぱちりと爆ぜて、散る火花も相俟って何やらとても眩しいものを見ているような気持ちになった。


「…政宗さん」

「あん?」

「政宗さんは私をガキだ何だって言いますけど、出迎えがないだけで拗ねるそちらも大概だと思いますよ」

「…てめえ」


今度こそ相手のこめかみにビシリと青筋が寄るのを見た。あ、言い過ぎたなと思うよりも早く長い腕が伸ばされる。


「そんっなに朝飯を抜きにして欲しいのかァ?」

「ちっ、違いますよ!私はただっ」

「ただ?」


鸚鵡返しに問い返されては、思わず気恥ずかしくなって口を噤んでしまう。それを抵抗だと思ったのか政宗さんによる容赦ゼロのヘッドロックもどきは一層威力を増したが、それだって口を開くには結構かなり恥ずかしいものがあって。


「…ただ、行ってらっしゃいとお帰りなさいを言ってもいい立場なんだなあって」

「…あ?」

「それが、嬉しいなと思っただけです」


本当に本当に小さく呟いてみたのだが、どうやらかなりの至近距離にいた政宗さんには聞こえてしまったらしい。怪訝そうな顔で腕から力が抜け、私はその逞しい腕にしがみ付くような体勢になる。

私にとっての居場所であったはずの“あちら”は時間と共にどんどん遠ざかり、“こちら”の世界が私の何かを塗り替えようとしている。けれど決して私は“こちら”に交われる存在ではない。ここが“あちら”に繋がる過去という場所であってもなくても、私が干渉することはいいことではないはずなのだ。
けれどだからと言って“あちら”に帰れるわけではない。いつまで経っても宙ぶらりんのままの私は、きっと誰かに手をとってもらいたかったのだ。


「…そうかよ」


私の呟きを聞いた政宗さんは、しかしそれだけ言うと私を解放してくれた。苦しかったはずなのに決して咳き込まなかったのは彼がそのように力加減をしてくれたからなのだろう。
立ち上がり部屋を出て行こうとする背中には独特の紋が刻まれている。ああ、あの色は何と言うのだったか。目を閉じても広がる色彩は恐らく先ほど抱え込まれて焼きついたものだ。
名称は分からないが、そうだ、いつかいつきちゃんと見に行った広い海の色に似ている。


「…政宗さんは、あおですね」


色の名前すら知らぬ私に居場所を与えてくれる人。空とも海ともつかぬその色合いは全てを受け入れる世界そのもののような。



回帰衛星
-------
密かにシリーズ化したい伊達トリップもの

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -