マオが困り顔でおどおどキョロキョロする光景はこの二週間でもはや見慣れたものとなっていたが、今回は少し様子が違った。
やたらと手をもじもじさせて、何度も声をかけるタイミングを見計らっているようである。視線の先には、だらしなく菓子をつまみながらバラエティー番組を眺める002がいた。

「あっ、あの、あの、002さん!」

やっとのことで振り絞った声は少し裏返っていた。

「んぁ?」と締まりのない顔を向けた002に対し、その場に居合わせた者たちはマオが何を言い出すのかと興味津々で、それぞれ気にしていない風を装いながらも聞き耳を立てている。

そうとも知らずにマオは赤い顔で拳を握り、002に力説した。

「急にごめんなさい。今からじゃなくても良いんです。あの、わ、私に…いえ、私と……あの、付き合ってください!」

002はひっくり返った。





『傑作だったね。見た?002のあの顔』
「うるせぇ!どうせお前がああいう風に言えってそそのかしたんだろォが!」
『バレたか』

ケタケタと笑う001は、今は003に抱かれている。
昼前のうららかな日差しが差し込むマオの部屋に、ところ狭しと皆が集合していた。

「どういうことネーっ?」

ドアと005との間でつぶされそうになりながら、006が注目を集めるように手を振る。

「マオチャンが今朝みた夢が、嘘かホントか確かめるアルネ?」
『そうだよ』
「なのに何で002が必要アルか。わてソコちょっとわからないネ」

途端、ベッドに腰掛けていたマオの顔がわずかに赤くなる。

つまるところ、こういうことだった。
テレパスと催眠を使うため、できる限り負担をかけず、リラックスできる状況を作りたい。そうなると選ばれるのは彼女の自室で、付け加え『もうひとつアクセントが欲しいよね』などと楽しみ始めた001により、002が任命されたのだった。
「確かに、002が一番安心するんでしょうけど…」

言いつつ、003はわずかにムッとした表情を見せた。同じ女の子である自分が選ばれなかったことが少し悔しい。
それでも記憶を取り戻す手掛かりがつかめたのは喜ばしいことだった。

「いいわ、002を信じる。001も……マオもね。私たちはリビングで待ちましょ」

皆を促して部屋を出る。去り際、マオの肩にあやすように触れた。003に続いて、皆が励ますように一言づつ声を掛けていく。

「いい結果になるといいね」
「はい、009さん…」
「いいか、無茶だけはしなさんなよ。頼んだぞ001」
「004さん…大丈夫、です」
『まかせて』
「マオチャン、わてお赤飯作って待ってるヨ」
「皆さん……ありがとう、ございます…」

最後尾となった007が名残惜しげに扉を閉じる。
3人になった部屋は急にガランと広くなったように感じられた。

「あいつら…俺には一言もナシかよ」

若干イジワルをされた002だった。

『さて、皆を待たせるのも悪いし、早速はじめようか』

部屋を締め切って薄暗くする。マオを椅子に座らせ、その横に002が立った。机の電気スタンドが触れてもいないのに点滅して、空気が弛緩していく。

『その光をみて。心の中で10数えたら、目を閉じるんだ』

ふと視線を感じてマオが振り返ると、002が怒ったような笑ったような、よくわからない顔をしていた。彼は人を心配するときに、不器用にもそんな顔をするのだった。

「だいじょうぶ、です」

ライトを見つめる。ゆっくり点滅する様子は心臓の鼓動に似ていた。
あたたかな光。
あの無機質な冷たい光ではなかった。なにもかもを跳ね返す灰色の壁など、どこにも。

自分を導いてくれた声と、守ってくれた手がすぐ側にある。なにも怖くはなかった。






――やんわりと日差しが差し込むリビングに、マオは居た。
ところどころに配置された観葉植物。机に並べられた食器。家具には木の素材が活かされ、素朴な年輪模様が踊っている。

『マオ』

映画のワンシーンに入り込んだ感覚の中、001の凛とした声が胸に響く。

このとき001の意識は、マオの視覚や嗅覚といった五感とリンクしていた。他人の記憶に入り込むことは互いに危険で、長く続けることは出来ない。必要な情報を効率よく集める必要があった。

『部屋の中に…そうだね、カレンダーは無いかい?探してご覧』

確かに壁にはカレンダーがかかっていた。上半分は景色の写真となっており、どこかの山の紅葉を写しているようだ。
October、10月。

『ふむ。日付もわかるといいね。新聞は?』

在処なら“知って”いた。
さっと目が机の上を走る。

一面を上にして折り畳まれたそれが、やはり机の上で見つかった。

『読んで』

マオは見出しを読み上げた。有名な野球選手が記念すべき一打を打ったという内容のスポーツ記事だった。

『じゃあ次は……窓を覗いてご覧。なにが見える?』

言われて窓をみる。
外に向かって開け放つ両開きタイプの窓。

「……あ、」

その縁に今にも触れようかという距離に、金木犀の花が揺れていた。橙に染まった小さな花が、くらくらするような濃厚な香りを放っている。
木の向こうに街並みが見下ろせた。さわやかな秋晴れだ。

空と、橙と、葉の緑が織りなす見事なコントラスト。

「わたし、」

風が吹き込んで、また甘い匂いを運んできた。もう何日か経つと、庭に金色の絨毯が出来るのだった。

「わたし、この木が、すき」

『……そうだね』

ふいに景色がふやけて溶ける。

頬に水が流れる感触で目を覚ました。
ギルモア邸の、波音が響く自室だった。





『時間旅行はどうだったかな、マオ』
「…………」
『疲れたろう、少し眠るといい。002』
「へいへい。ホラ、落ちんなよ」

めまぐるしく変わる景色と押し込まれる情報についていけない。脳は休息を欲していた。やわらかくベッドに降ろされて、闇に落ちる。



次に目を覚ましたときは既に夕方だった。
002が椅子の上でこくりこくりと船を漕いでいる。001が居ない代わりに007がいて、外の波模様をじっと眺めていた。

彼はマオが目を覚ましたことに気付くと、うやうやしく跪いて一枚のプリントを差し出してきた。

「夢を現実にする魔法の紙さ」

新聞記事のコピーだった。
マオが読み上げたまさにそのままの見出しの横で、野球選手が笑っていた。
「おめでとう」と祝うかのように。

戻る