「004、ちょっといいかな」 晩御飯を食べ終えて自室に戻ろうとする004を呼び止める。 009は、洗い物をしている003と、その手伝いをしているマオを気にするようにチラリと眺めてから、そっと耳打ちした。 「マオのことなんだけど」 「……。俺の部屋で話そう」 こいよ、と歩きだす004のあとに続き、彼の自室に入った。 ハードカバーの小説やパズル雑誌などが入れられた本棚以外に娯楽のない、殺風景な部屋だ。今までにも何度か入ったことがある。 「…で、なんだって?」 004は重々しく口を開いた。 マオとの仲がぎくしゃくしているのは自分でも気付いている。もっとうまく立ち回れ、と、いつか誰かに指摘されるだろうとは思っていた。 ――博士か003あたりかと予想していたが、009とはな。 だが彼になら、マオに対してどう接したらいいのか相談できるだろうか。 しかし009は、004の予想とは少々外れたことを口にした。 「マオなんだけど、眠れてないみたいなんだ。ここにきてからずっと」 「――眠れてない?」 ギルモア邸に来てから、というと五日だ。もうすぐ一週間。 「夜中にね、何度も起きてきては台所で水を飲んでるんだ。朝も顔色が良くない。自分のことは何も覚えてないし、まわりは他人だらけだろ。不安なんじゃないかな」 言われて、昼間に新聞とにらめっこをしていたマオの姿を思い出した。 確かに、思い出せないならせめて自分がどこの誰か突き止めようと、躍起になっているように見える。性格もあるだろうが、常に自分達の反応を気にして行動するところも、逐一気になる。 不安、焦り―― そんなものが彼女を埋め尽くし、眠れない夜を過ごしているのだろうか。 恐らく、不安の種で一番大きなものは、自分だ。 「だが、どうしようにも…」 「うん。こればっかりは彼女自身の問題だから、どうにか乗り越えてもらうしかないんだけど…」 009は、まるで自分のことのように哀しそうに目を伏せた。次に顔を上げたときには、004をまっすぐに見つめて懇願する。 「無理にとは言わないよ。もし夜中、眠れずにふらふらしてる彼女に気付いたら、気に掛けてやってほしいんだ。……博士や003には、お願いしにくくって」 それには004も納得だった。 博士にはただでさえ迷惑をかけているし、003は既に001の世話をまかせっきりにしているのだ。暇を持て余す男どもが動くのが筋というものである。 「本当に気付いたらでいいんだ。起きてこないようならそれで問題ないんだし。僕も気を付けてはいるけれど、他の誰かの耳にも入れておきたいとおもって。ごめん、それだけなんだ。じゃあ……」 困ったように笑って立ち去りかけた009の背中に、004はふと問いかける。 「002に、このことは?」 現段階でマオと最も親しいのは002だ。だが009は「いいや」と首を振った。 「得意分野だとは思えないな。夜居ないこともあるし、一度眠ったら起きないし」 「まぁ、確かに…」 「何より、夜中に活動させると煩いよ」 あまりな言い草だったが事実なので面白い。くっ、と笑った004に微笑み返して、009は今度こそ退室した。 『009ったら名演技ね』 笑いを含んだ声が通信機に届いた。先程の会話など、003の能力を持ってすれば簡単に拾える。009も笑いを抑えきれなかった。 「僕も役者になれるかな?でも、嘘はついてないよ」 マオが夜あまり眠れていないのは事実だった。目を覚ましては台所やバルコニーでぼんやりしていることも。 003も009も、今日あたり、眠れずにいるマオに声を掛けて話でもしようと思っていたのだ。だがその役目は004に譲ろう。 これで二人の仲の壁が取り払われればよし。更にマオの不眠も解消されれば万々歳だ。 「004がマオに声をかけるかどうか、賭けるかい?」 『いいわよ。話しかけるほうに賭けるわ。気付いたらどころか、気になって一晩中見張ってると思うわね』 「なんだ、それじゃ賭けにならないな」 『ほんとにね』 くすくすと笑いあう。 あんな話をすれば、彼女と不仲である負い目があり、更に本来お人好しの004は気になって仕方なくなるのは読めていたし、それが自分の仕事だと思えば律儀に真面目にこなすのがドイツ人というものだ。 加え、彼を責めるのではなく、控え目に“お願い”するのがポイントだった。これは009にしか出来ないだろう。 「どうなるか楽しみだね」 自分というものの使いどころがわかっている。理解した上で更にそれを見事にやってのけるあたり、009はなかなかに小悪魔だった。 ← 戻る → |