『こんなものかな』

マオはハッと肩を揺らす。話に呑まれていたのだ。

まるで作り話のようだった。悪の組織と、それに抗う9人のサイボーグ。助け出された自分。
理解はした。が、心が追いつかない。

「ごめん、なさい。私…わからなくて。目を覚ます前のこと、何も…」
「なにも…覚えてないのかい?」

009に困ったように問われ、「ごめんなさい」と消え入るように俯く。

眠る前はなにをしていたのか。誰と一緒にいたのか。なにが好きでなにが嫌いだったのか。善悪の判断基準はどこか。

マオは、自分という存在の像が曖昧なために、001の話をどう受け止めたらいいのかが分からずにいた。

『――今日はここまでにしよう』

マオの心の困惑を感じ取った001は、そう話を打ち切る。数人に囲まれている状態に、彼女の精神が圧迫されているのも事実だった。

『なんにせよ、まずは僕たちのことを知ってもらわなきゃね。到着するまであと二時間くらいあるだろうから、ゆっくり休むといいよ。…僕もちょっと、疲れちゃった』
「そうねイワン…ミルクにしましょ」

ほ、と息をついた003が、籠から001を抱きあげて微笑む。あぶあぶと甘えるように手を伸ばす001は、どこからどうみても愛らしい赤ん坊だった。

「あなたも…暖かい飲み物でもどう?コーヒーくらいならあるわ」
「ごめんなさい…外の空気だけ、吸ってきます」

003の誘いを振り切り逃げるように通路に出る。
コーヒーが何かは知っていても、自分がそれを好きだったかどうかは分からなかった。





数人に見つめられる状態から解放されて、マオはやっと新鮮な空気を吸えた気がした。胸に手をあてて深呼吸をする。

優しい人達だとは思うのに、囲まれるとどうも怖い。慣れるまでに時間がかかりそうだった。

「よう、マオ!」

突然、親しげに名を呼ばれる。少し先の扉から、赤毛の男が顔を覗かせていた。

「…あ…002、さん…」

マオは、見知った顔を見てひどく安心した。彼とは他の人に比べて数十分長いだけという付き合いだが、なにもわからず戸惑うだけだったマオを身体を張って守ってくれた。それに対する恩と信頼は厚い。

マオは近付いてくる002を見上げ、おずおずと口を開いた。

「あの、怪我の調子は…」

先ほどの話し合いの席に002が居なかったのは治療を受けているためだと聞いている。
見たところ、負傷していたはずのこめかみは綺麗に塞がっていた。まるで何事もなかったかのように。

「おう、治った治った。言葉、通じてんだろ?」
「え、あ…ほんと、ですね」

002が流暢な日本語を発しているのに気付き、目を丸くする。彼らが異国語を話せるのは翻訳機のおかげだという話も聞いてはいたが、実際目の当たりにすると実に不思議だ。

「空を飛んだり言葉がわかったり…なんだか魔法、みたいですね」

言うと、002はぷっと吹き出した。

「女の子って好きだよな、魔法とかそういうロマンチックなの。立派な科学だぜ?ドルフィン号だって飛ぶのによ」
「ドルフィン号?」

どこかで聞いたような。
そうだ、銀髪の男の人――004も、同じ言葉を口にしていた。

「いま俺達が乗ってるのだよ。ほら」

くい、と丸型の窓を指し示されて、覗く。遙か下に海があった。その水面に、自分達が乗っているであろう機体の影が走っていた。
なるほど、乗り物の名前だったのだ。

だが飛行機にドルフィン号という名前は違和感がある。ドルフィン…イルカは、哺乳類ではあるが水中に住む生物のはずだ。
それを問うと、002は「ああ、」と嬉しそうに説明してくれた。

「今は飛んでるけどよ、ほんとは戦艦なんだ。泳げて飛べる戦艦なんて、クールだろ?」

まるで自分のことのように自慢気に語る002が、なんだか面白い。

――こういう人だったんだ。

言葉が通じないときには分からなかった。若々しくて軽いノリ。混乱続きだったマオにとって、意味もない会話は何よりも有難かった。

「ふふ、そうですね…ドルフィン号って、凄いんだ」
「でも俺だって負けてねぇぜ」

足に内蔵されたジェットブースターは、最高時速マッハ5を弾きだす。小回りだって利く。飛行に関しての性能なら、彼の右に出るものはいないだろう。
ふふんと高い鼻を更に高くした002に、マオの純粋な疑問が飛んだ。

「なら002さんも、潜って泳げるんですか?」
「………」

即答できなかった。泳げるし、酸素ボンベもあるので普通の人間よりは長く潜っていられるが、「空中と同じように、水中でも活動できるのか」と言われればノーだった。
海の中でドルフィン号と競争すればもちろん、負ける。

「…いや、008と合体とかすりゃ、イケる、かも?」

その呟きを、操縦を交代してもらい、たまたま通りかかった008本人が聞いていた。

「えぇと…何の話?ちなみに合体は出来ないし、したくもないからね」

彼は現実を告げることも、自分の意見を主張することも忘れなかった。





そして二時間後、ドルフィン号は日本領域に帰還、ギルモア邸に到着した。

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