マオは、まるで水中に漂っているような感覚の中で、その声を聞いた。

『――起きて』

ふわり。
男かも知れない。女かも知れない。老人か子供かも知れなかった。判断が付けられなかったのは、それが『肉声』で無かったからだ。

『起きて。僕が手伝う。ほら、目を開けて』

ふわり。
優しく、しかし確かな強さを持って、その声ではない声はマオの意識に触れた。

「――……」
『そう、まぶたを開くんだ。もう手足だって動かせる。動いて、彼らと一緒に来てほしい。僕のところまで』

彼らって、誰。
あなたは――





光が飛び込んできた。開きかけた目を細める。太陽光ではなく、人工的な室内灯の明かりだ。

(――なに?)

指先で目を光から庇う。ひどく腕がだるかった。
ふと、視界に入る鮮やかな赤に気がついた。
その赤をぼんやりと見やる。人だ。

(だれ?)

横たわるマオの脇に、長い赤髪を逆立てた外国人が立っていた。

「Hey.」

お世辞にも目つきが良いとは言えない彼の、灰色の瞳がマオを捉えた。

「Are you all right? You look pale.」

大丈夫か、と問われたのだ。

「は…い。えっと…」

マオは気だるい身体をやっとの思いで起こす。
そこで初めて、自分が見覚えのない部屋で、妙なカプセルに横たわっていたことを知った。

はて、自分は何故こんな所で寝ているのだろう。
眠る前は何をしていたのだったか。

(――あれ…?)

よく、わからない。
頭が重かった。寝ぼけを一段濃くしたような靄。

『今は考えなくてもいい。あとから嫌になるほど悩むだろうからね』
「……あ、」

起きてと囁いた、あの不思議な声だった。
声の主は見当たらない。部屋には自分と赤髪の男だけであった。

『おはよう。とにかく今は、そこにいる彼と一緒に行動してほしいんだ』

彼、と言われて、そばに立っている赤髪の男を見上げる。

変わった衣装を着ていた。髪よりももっと見事に染め上がった真っ赤な生地は、ところどころ破けて汚れている。右のこめかみに怪我を負っているようだった。血は流れていないが痛々しい。

「――」

彼がなにかを喋った。あいにく聞き取れなかった。

「あ、ご、ごめんな、さい。英語、ちょっとしかわからなくて」

すると舌うちが返ってくる。とてもじゃないが好意的な態度には見えなかった。

(こわ、い)

胸に両腕を引き寄せる。今の自分の状況、加え彼の容姿も、怪我も、通じない言葉も、全てが恐ろしかった。

『外に出たらきっともっと怖いよ。でも、来てもらわなきゃならない』
「な、んで。どうして」
『それが君のためでもある』

言い切られて戸惑った。この声の主は何を知っているのだろう。

『――部屋を出て右に。皆と合流して脱出だ』



マオが知るのはまだ先のことであろう。
ブラックゴーストの小さな拠点、その一室での出来事であった。

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