屋上を甘ったるい匂いが侵食する。原因は分かっている。奥村が大量に買ってきたバレンタインのお返しだ。バレンタインで大量にチョコを獲得したこいつは律儀なことに一人一人にお返しを買ってきたのである。
「奥村、お前お返し溶けちゃってんじゃねぇの?」
「えっ、クッキーだからンな訳な……あ!」
訝しげに鞄を漁って確かめていた奥村が間抜けな声を上げる。クッキーでないというのなら何の匂いだったのだろう。バレンタインで渡し損ねた女子からチョコレートをもらったことを忘れていたのだろうか。
奥村の鞄を横から覗くと、案の定セロファンの袋で簡素にラッピングされたチョコレートが溶けていた。鞄に突っ込んだカイロの熱で溶けてしまったようである。
「あー…」
奥村がガックリと肩を落とす。気になる子から貰ったものだったのだろうか。自分の想像に胸がざわめく。イラつきのままに奥村の手からチョコレートを奪い取り、食べる。溶けているだけあってかなり食べづらい。水道など屋上にはないので手に付いた分は舐めとった。横から変な声が聞こえたが気にしない。人の目の前で本命のチョコレートをちらつかせる方が悪い。
「ごっそさん」
「お、お、お……」
奥村が口をパクパクと開閉させる。何かを言おうとしてはやめ、言おうとしてはやめた。それから首を捻り、
「お粗末様でした……?」
と言う。はたと思いつく。この流れならあれを渡しても自然ではないだろうか。
「……お返しと言ってはなんだけど」
鞄の底からほんのり高級感漂う小さな紙袋を取り出す。奥村が好きな洋菓子店のものだ。彼曰く、値段は少し高めだがこのクオリティのものにしてはかなり安い……らしい。俺はお菓子のことは詳しくないからよく分からないのだが、確かにこの店のものはおいしい。
「今日は甘いものを食べたい口だったから買ってきた」
奥村は呆気にとられた顔をし、一拍後に噴き出した。
「店は10時オープンなんだけどな」
下手な言い訳だと暗に指摘される。そこは気が付いても無視をするところだろう、普通。
「……お前が好きだから買ってきた」
もそりと言い、それから自分の言葉足らずに気づいて付け足す。
「このお菓子を」
チラリと奥村の様子を窺う。真っ赤だった。
「あっか……」
「暑いからだ!!!」
なんだ、お前だって言い訳が下手くそじゃないか。こんな日差しの柔い冬場に暑いだなんて。
「……暑いな」
「そーだな……」
風がびゅうと吹き、甘い匂いは連れ去られる。胸中の甘ったるさを置き去りにして。
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