BL番外編
きっと赤は胸に咲く
 この男はなぜ笑っているのだろう。そんなことを考えている場合でないことは百も承知だがついついそのようなことを考えてしまう。暴走する車から立ち尽くしていた私を救ったのは、七年前に家を出ていった義理の兄だった。幼いころから意味の分からない男だと思っていたが最後まで意味が分からない。この人は私のことが嫌いだったはずなのに。

 ぐったりとした義兄の背を揺するとべったりと血が付く。滴る赤は私の服を赤く染めた。彼の体からは血がどんどん抜けていく。水の入ったコップを倒したかのように血が溢れて止まらない。血が抜けるにつれて彼の体がしぼんでいる気がした。どうしよう、血が義兄を赤く塗りつぶしていく。

 次第に軽くなっていく義兄の手が私の頬に伸びる。ゆったりと微笑み、口をハクハクと動かした。聞こえない。思えば、彼の声をまともに聞いたことなんてなかった。まともに会話したことすらなかったのだから当然と言えば当然かもしれない。何事か声にならない訴えを空に残し、彼の空気が緩んだ。死んだのだと分かった。救急車を呼ぶ間もない。即死だ。

 手が震えた。私をかばったことは明白で。どれほどの痛みだっただろう。これだけの血が私のために流された。まだ温かい義兄の骸を抱きしめると驚くほど軽い。あぁ、と嘆息する。
血が繋がっていないとはいえ、肉親の死に初めて立ち会う。最期、義兄は兄を言おうとしたのだろう。立ち会ったのが私でなければ彼の言いたいことが理解できたのだろうか。そう、例えば義兄が高校生の頃に家に一度連れてきたミネとかいう人だったら。なぜ彼の最期に立ち会ってしまったのが私だったのだろう。記憶の中の義兄はいつも諦めたような目で私を眺めている。

 腕の中の体温が失われていくのを感じながら記憶はぐんぐんと遡り始める。
 そうだ、いつの日だったろう。ある日を境に義兄の目が変わった。少し人間らしくなったというのだろうか。彼の瞳にある種の明るい兆しが見えたのだ。

 ほの暗い光ばかり放っていた彼を少し恐ろしく感じていた私は、彼の変化に目敏く気付いた。それからしばらくして、義兄は友人を家に招いた。ミネというのだと話していた。苗字かどうかは定かではない。もしかしたらサダミネとかミネユキといった下の名前からとった渾名だったりするのかもしれない。

 ミネという人を見る兄の目を見て気づく。きっと彼が義兄をいい人に変えてくれたのだと。最近になって知ったのだが、彼は家で冷遇されてたらしい。そんな家庭に置かれていたのだから私に対する態度が冷たいものであったことはある種当然ともいえるのだが、当時の私はそれを知らなかった。幼さは恐怖足り得るものをはじき出し自らの安全を確保しようとする。当時の私にとってミネさんと出会う以前の義兄はただの恐怖対象に過ぎなかった。

 ミネさんを家に引き合わせた翌日、義兄が言った言葉が今更になって蘇る。

 ――期待に潰されるなよ。

 どういう意図をもって彼はそれを私に言ったのだろう。今になってもそれだけは分からない。しかしその言葉は私が成長する過程で確かに必要なものだった。幾度その言葉に救われたことか。きっとそのことを忘れることはないだろう。忘れることなんてできるはずもなかった。いつもその裏には期待をされることのなかった義兄の姿がチラつくのだ。

 義兄はすっかり冷たくなっていた。少し硬くなりはじめている。もっと話せばよかったと後悔してももう遅い。私をいつも救ってくれていたヒーロー。その理由はもう語らない。近くの通りからは救急車のサイレンの音。誰かが代わりに呼んでくれたらしい。軽くなったヒーローの服は真っ赤だった。あぁ、赤がチラついて止まらない。頭の中では彼の言葉がリフレインしていた。




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