短編
スケルトン・シーカー
 担任に呼び出されたのは終業式前日の朝のこと。朝礼がやっと終わり一限の準備をしようとしている時だった。原因は簡潔かつ明快。三か月前に交通事故に遭ってからずっと意識を取り戻さない法月という男の机に花の生けた花瓶を置いたためだ。

 田舎町であるのをいいことに畑の傍で咲いていた野花を摘んで花瓶に生けたものを法月の机に置いたのだが、状況が状況だけに不穏なことだと捉えられてしまったらしい。

 実のところこの法月は事故に遭ったのではなく自殺未遂をしたのではないかと疑われている。彼は誰からも好かれていて人気者だった生徒であるがゆえに軽口を叩かれることも多かったのだが、そのことに本当は傷ついていたのではないかと。

 彼は事故に遭う前、寂しそうな傷ついたような表情をすることが増えていた。そのことも憶測を加速させる一因となっているようだった。

 そんな最中いじめの現場(のようなもの)に出くわしてしまったためこんなにも担任は憤っているのだろう。まぁ法月はまだ死んでいないし花を贈るなら病院まで出向いた方が良いというのは道理なのだが。それでは意味がないのだ。

 放課後職員室に、と話は締められた。放課後は用事があるのに面倒なことだ。親友は俺の気も知らずにバーカと言って笑う。うっせぇ。鼻を摘まんで捻るジェスチャーをしてみせると痛い痛いと大袈裟に痛がる振りをして見せた。

「あいつが原因なんじゃねーの」

 騒がしい教室でその言葉は異様なほど響いて聞こえた。

「仲違いでもしたのかね」
「そういえばさ、私金子くんが法月くんに――」

 似たような声がざらりと耳を撫でる。俺はクラスの中では浮き気味だから圧倒的に味方が少ない。俺に良くしてくれた法月がこんな目に遭った今、圧倒的に疑わしいのは俺であるのもまた事実だった。

 親友が何事か反論しようと口を開く。

「やめなさいよ」

 親友が反論するよりも早く、隣の席から声が上がった。北川だった。クラスがしんと静まり返り、気まずそうな空気が教室に満ちる。正直俺も気まずかった。陰口は慣れているし今更大して気にもならない。むしろ彼女に庇われていることによって注目を浴びている現状の方が許容しがたかった。

「いいよ北川、気にしてないし」
「あんたのために言ったんじゃないから。気持ち悪いでしょ、的外れな誹謗中傷って。事実ならいいのよ。例えば私の顔が地味だとか、あんたが根暗なオタクだとか」

 忘れていた、北川はこういうやつだった。彼女は決して美女などではなく、本人の言う通り地味な顔つきの女子だ。しかし言うことが一々本人なりの筋が通っている上にきっぱりと主張するタイプであるため男女問わず敬遠されている。俺も例に漏れることなくそのうちの一人だ。親友はそんな北川が好きで頻繁にちょっかいを掛けているようだが俺にはどうも合わない。

「お前さぁ……、事実でも言っちゃいけないことってあるだろ、まぁいいけど」

 苦情を口に出す。『うるさいわね、わざと言ってんのよ』とでも返ってくるだろうと思いながら口にした言葉に、北川は息を詰めて黙りこくった。いつも前を強い目で見ている彼女の目が泳ぎ、視線が下に落ちる。

「……っえ?」

 一拍遅れた俺の反応に、彼女はパッと顔を上げ、キッと前を向いた。一限の先生が入ってきたのだ。始まった授業に耳を傾けるも、彼女の息を詰めた表情がこびりついて内容が全然内容が頭に入ってこない。耳では先ほど放った言葉が何度も何度もリフレインしていた。

 ――事実でも言っちゃいけないことってあるだろ。

 お前が言うな、馬鹿野郎。





 職員室の呼び出しが終わるころには夕日が沈もうとしていた。

「長かったな〜」
「待ってたのか」

 駆け寄ってくる親友に驚く。てっきり帰ったと思っていた。

「いや、お前も知ってるだろ。俺今帰れないからさ〜。鍵、落としたっていうか。一緒に探してくんねぇー?」

 そういえばそんなことをちょっと前にも言ってた気がする。

「原因とか覚えてねーの?」
「忘れた忘れた。なんもかんも忘れた!」

 自分のことだろうに親友はさも楽しそうに笑う。しょうがない奴だ。
 呆れながらも俺は大体の見当がついていた。本人に自覚があるかは知らないが、奴がお手上げ状態になるのは彼女が関わっている時だけなのだ。

 彼を伴って校門へ行くと、クラスメイトが何人か一人の生徒に群がっていた。近づいてよくよく見ると囲まれている生徒は北川だった。どうやら法月によく話しかけられていた北川にも彼が事故に遭った原因の一端があるのではないかという話であるらしい。

 この話はまずい。今この話を北川にしてはいけない。

 親友が行って助けろと俺に向かってゴーサインを出す。無責任な、と詰りたいところだが仕方ない。俺は彼女に借りがあるのだ。

「お前ら、自分の軽口に責任がないと思いたいのか知らねぇけど人にその責任を擦り付けて楽になるのは違うんじゃねーの?」

 できるだけ彼女に視線が向かないように大きな声でゆったりと話す。あぁだってそんな顔を見られてしまっては傷ついていることが皆に知れてしまう。それを知っているのは彼だけでいい。彼女にとっては俺に知られてことすら不本意なことなんだから。

「じゃあお前はこいつのせいじゃないって言えるのかよ?」
「お前らのせいじゃないとも言えねぇだろうが」

 売り言葉に買い言葉。場の緊張が最高潮に高まった時、強く、そして柔い言葉が彼女から発せられた。

「いいの、本当のことだし。法月が事故に遭ったのは私のせい」

 これほど残酷な現場の観客がなぜ俺一人なのだろう。親友は北川の言葉で確かに傷ついていた。

「法月は、私が振ったそのすぐ後に事故に遭ったんだから」

 だから私のせい。彼女らしからぬ独白めいた話し方に否を唱える。

「それは、違う」
「何が違うの。その日だけじゃない。私、何回も何回も法月を振ったのよ」

 諦めたような表情にいつかの親友の姿が重なった。

「俺の親友は――法月は、そんなことでお前を諦めたりする男じゃない」

 だってあいつはお前のことで一生懸命じゃないか。何回振られてもまた告白してたじゃないか。眼前で北川に心配そうに張り付く親友に苦笑する。幽体になってもお前を見てる親友がそんなことで折れるはずがないのだ。

「そーだそーだ! 俺はただ振られてちょっとへこんだけど明日からまた猛アタック掛けようと意気込んでたらぼーっとしすぎたせいで車に撥ねられただけだから安心して!」

 俺は大丈夫だとオーバーなジェスチャーをしてアピールする親友に呆れる。それはそれでどうなんだ。あと現状あまり大丈夫じゃないだけに説得力がない。

「そんなの、あんたの主観だし本人に聞かないと分からないじゃない」

 下手に持論を持った奴が鬱に入ると面倒くさいもんだな。

「それは確かに」

 これ以上第三者が何を言っても無駄だと覚った俺は早々に説得を諦める。

「あっそうだ。一応言うけど、お前らの軽口も全然あいつ気にしてねぇから」

 ついでのように彼女を詰っていた彼らに告げると、モゴモゴと反論を返してくる。こっちもこっちで面倒だ。あとは面倒くさい者同士で仲良くしてればいい。借りは返した。

 ほとんど言い逃げのような形になった俺を彼らはなかなか離そうとしてくれなかったが、こちらはこちらで行くべき場所がある。

 北川にしがみつく法月を引き剥がし、彼らの間を押し通る。彼の体がある病院に着くころには日はすっかり沈み切っていた。月明かりが煌々と町を照らす。

 法月が入院している病院は隣町にある。当然、もう面会時間が終了しているのだが俺たちの街から行くとなるとこんな時間にならざるを得ないので例外的に面会が許されていた。

 病室では今日も変わらず彼の体が眠っていた。

「お前さ、体に帰る鍵は今日で見つかっただろ」

 わざと霊体の方に視線は向けずに体の方に話しかけた。

 法月のことだ、どうせ帰れなかった理由は振られたせいでなんとなく顔を合わせづらかったとかそんなところだろう。奴はなかなかに前向きな男だが小心者な一面もある。北川のことだ、率直な言葉で奴に切り込み振ったのだろうと思うと彼が少々臆病になるのも頷ける。とは言え法月が臆病になるのはこと恋愛面においてだけなのだが。

「俺じゃああいつらを説得できなかった」

 最初から分かっていた。俺では説得できないことなんて。それでも、あいつらの言葉を否定しなければあいつらとこいつの間の関係が嘘になってしまう気がして嫌だった。

「なぁ法月、帰ってこいよ。あいつらの言葉、否定してやれよ。そんでまた言うんだろ、好きですってさ」

 法月は俺の言葉に返事を返さなかった。こちらを見ているのか視線を感じる。賑やかな彼はいつもここで自分の体を眺めている時だけは静かだった。

「金子……お前さ、なんで俺の机に花なんて供えたんだ?」

 何を今更。
 唐突に関係のないことを呟く彼に首を竦めてみせる。あの花はもともと彼が気に入った花で、それを萎れてしまうと困るから俺が生けたのだ。なぜそんなことが今になって気になるのだろう。まさか俺がそれを摘んで供えた理由が分からないわけではあるまい。
 
「あの花、お前がきれいだって言ったじゃねーか」
「言ったけど、そうじゃなくて」

 どうやら、本気で理由が分からないらしい。明日が何の日かも忘れてしまったのだろうか。

「明日は終業式で、一年が終わる日だろ」

 教室にお前がきれいだって言った花があればお前も一緒に進級できる気がしたんだよ。

 もそりと告白すると法月は目を見開く。

 こいつは、親友が事故に遭って意識不明の重体だと告げられた気持ちが分からないのだろうか。霊体としてひょっこり顔を出した時、どんな気持ちだったか分からないのだろうか。

 もうこいつは死んだのだと、本気でそう思ったのだ。ついに自分の頭がおかしくなったかとも思ったし、このまま意識が戻らないことを意味しているのかとも思った。霊体が体に戻れる保証も何もない中、不安と恐怖が入り混じった喪失感だけが日々大きくなって。

「お前がいない学校なんて寂しくてやってらんねーよ」

 だからせめて願掛けを。
 明日こそは目が覚めますように。明日はこの花が彼に変わってこの席にいますように。

 人が聞けば女々しいと笑うだろうが何もせずにはいられなかった。だってもう三か月もこの状態なんだ。何かに縋らないと気がおかしくなりそうだった。

 体をなくした迷子の親友。鍵はとうに見つかっていた。
 法月は迷うことなく鍵を挿しこんだ。一人の迷子は歩みを止める。

 歩みを確かにした親友は、やすやすと俺の喪失感を埋めた。ナースコールが夜の病院に響き渡る。それはさながら迷子の帰還を祝福する笛の音のようで。同室者に迷惑なその音がやけに耳に優しく響いた。俺はうっすらと目を開けた親友の傍で、いつまでもいつまでもその祝福の音色を聞いていた。



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