短編
とある殺人鬼の話A
 見事な桜を庭に持つ小さな家には、魔法使いが住んでいる──。そこに住まうのは齢13ほどに見える少年だが、実は彼は年を取らず、それゆえもう何年も姿が変わっていないらしい…。

 そんな実しやかに流れる噂を嗅ぎ付けたナタリーは、持ち前の好奇心を刺激され、無謀にもお宅訪問をすることにした。妹にも散々『おねぇちゃんは計画性と落ち着きを持ったほうがいいわ。危なっかしいったら』と言われているにもかかわらず、ナタリーには反省というものが見られない。
そもそも、ナタリーは今年で25になろうとしているのだ。妹──ナターシャの言う通り落ち着きが必要だろう。(ちなみにナターシャは今年で10歳だ。実に姉としては情けない話だが)


 トントン、と古ぼけた小さな家のドアを叩くと、「今忙しいから出直してくれ」というそっけない声が聞こえてきた。低くもないが子供らしい愛嬌のある声でもない。これはますます年齢がわからなくなってきた。

噂によって、この家の主人はいつ何時訪ねようともいつも忙しいと言って来訪者を突っぱねることを知っていたナタリーは、ドアを押し開こうとした。意外にも鍵はかかっていなかったようで、ドアは開いた。キィ、という小さな音を一つ立てて開いたドアにナタリーは半ば呆然としていた。行ってみようと思い立ちやってきたはいいが、そこからどうするという考えは完全に失念していたからである。今の彼女は、開くと思っていなかったドアがあっさり開いたことに動揺すらしていた。


 一歩家の中に入ってみると、そこは不思議な様相をしていた。ふんわりと優しい草花の匂いにも似た魔法薬の香りがあたりに広がり、心が落ち着く。もしかしたら精神を落ち着かせる効果の薬なのかもしれない。
壁際には古ぼけて埃臭いマントがつられている。木製の机にはマグカップが置かれ、その中には乱雑に箸よりも少し太いくらいの杖が何本も突っ込まれていた。筆立てのようにマグカップを使用しているらしい。ナタリーはパートナーともいえる杖をこうも雑に扱っていることに驚き呆れた。


 玄関から入ってすぐのこの部屋には、4つほど扉があり、その最奥には2階へと続く階段があった。どうやらこの家は外から見たよりもずっと広いらしい。空間を歪めでもしなければこんなに外見と不一致の広さにはならないだろう。高度な魔法が家に施されていることに思わず息をのむ。噂を聞いてはいたものの、まさかこれほど実力のある魔法使いが住んでいるとは思っていなかったのだ。どれほどの修行を積めばこんなに流麗な魔法式を編めるのだろうか。ますますもって興趣をそそられる。


 心の高揚のままに物音のする部屋に顔を覗かせる。途端、かちゃかちゃとガラスのぶつかる音がピタリと止む。


「誰だ?」


 決して大きくはない、されども耳に自然と入り込む涼やかな鈴の音のような声にナタリーは体を強張らせた。実に今更な話ではあるが彼女は無断で人の家にずかずかと上がり込んでいるのだ。ましてこの家の持ち主は類まれなる実力を持った魔法使いだ。自分を虫に変えてプチッと潰してしまうことさえ容易にできるだろう。ナターシャのがみがみと怒る声が聞こえた気がした。


 どう弁解したものかと声の主を恐る恐る見る。端正な面持ちの少年がそこにはいた。
 否、本当に少年なのだろうか。彼は少年と言い切るにはいささか妙な空気を纏っていた。例えるならば、そう。死者を悼むようなそんな空気だ。魔法使いではなく墓守なのではないか。ナタリーはそう思った。

 彼は多くの人を見送ったのだ。不思議とその確信があった。こんな年端もいかない少年が大人にならざるを得ないような不幸があったのだと直感し、彼女の心はひどく傷む。


「ごめんなさい、噂の魔法使いを一目見てみたくて。……僕はここで独りぼっちなの? ご両親は?」


 腰をかがめ視線を合わせるように語り掛けると、彼は奇妙なものを見るかのように目を細め、それから面倒くさそうに吐き捨てる。


「随分昔に桜になった」


 桜? ナタリーは意味が分からず戸惑う。
 桜になるとは不思議な物言いだった。あまりにも呆けた顔をしていたからだろう、彼女が意味を理解していないと気づいた少年は、口を開くのも億劫だとでも言いたげに「死んだってこと」と付け足す。


 やはり。彼女はさして驚かなかった。淡白な対応に、随分昔に亡くなったのだろうとあたりを付ける。とうに自分の中で整理がついている者の表情だった。


「何を作ってるの?」


 ナタリーは少年に尋ねる。少年の手元を見ると先ほどいじっていたらしいフラスコが握られている。中には薄っすらと琥珀色に染まった液体が入っていた。新品の畳のような芳香がフラスコから漂う。


「これは媚薬」


 涼しそうな顔でとんでもないことを言い放たれナタリーはギョッとし鼻を手で覆った。少年はあわあわとするナタリーを横目でチラリと見て鼻で笑う。


「嘘だ」
「えっ?」
「嘘」


 からかわれた。
 存外この少年は茶目っ気があるらしい。ナタリーの反応に満足したらしい彼は、機嫌がよさそうにフラスコを軽くゆすって中を混ぜる。


「またここに来てもいい?」
「だめだ」
「来るね」
「来るな」


 なかなか頑固な少年に、ナタリーは無視を決め込んでまた訪れることにした。妹と同じ歳ほどの少年が一人で暮らしていることが気がかりだった。お節介な彼女はすでに彼のお姉さん気分だった。



 翌日も、その翌日もナタリーは少年の元を訪れた。少年は毎日「今忙しいから」と言って彼女を軽くあしらったが、彼女がしつこく語り掛けるとぽつぽつと言葉を交わしてくれた。

 彼女が半年ほど少年の元に通い続けたころだ。その頃にもなると少年は彼女に心を開きはじめていた。少年の名はカンザリィアというらしく、彼女は彼をカーザと呼ぶようになっていた。

 いつものように彼女は魔法薬を作る彼に話しかける。今日のカンザリィアは鍋で薬草を煮詰めていた。鼻の奥がいたくなるような鋭い香りに彼女は顔をしかめる。


「ねぇカーザ。魔法教えてよ」
「だめだ」


 カンザリィアは相も変わらずぶっきらぼうに彼女をあしらった。彼はため息をついて彼女をジト目で見る。


「大体、何で今の時期なんだ……。今は魔女狩りで色々と危ないだろ……」


 本当ならここに来るのも危ないだろうに、とぼやく声が聞こえたが、ナタリーは例によって無視をする。

 普段無口な彼は、魔法について話す時だけほんの少し饒舌になる。彼とのコミュニケーションに魔法の話は有効なのだと彼女はこの半年間で気づいていた。尤も、時世を考慮すべきだという彼の言葉は全面的に正しいのだが。


「とにかく、無理なものは無理だ。少しは状況を考えろ」


 半年間毎日通い続けたからこそ分かる。カンザリィアはナタリーのことを思って断っているのだと。


「……また明日来るから」


 明日また頼んでみよう、ナタリーはそう思い彼の家を出る。季節が変わり夕日の落ちる時間が早くなったのを感じる。木枯らしが冷たく彼女の体に染み渡った。彼の家に初めて訪れたころは道の端で花がほんのりと色づいていたことをふと思い出し、時の経つ早さを感じる。

 家に帰ったらナターシャに温かいミルクココアを淹れてもらおう。首を竦めて指先に息を吹きかけ温める。

 温かくなった指先を頬に押し当て暖をとる。マフラーを巻いてこればよかったと後悔した。


 不意に、ナタリーの顔に影が差した。


 振り返る間もなく彼女は何者かに捕らえられる。麻袋の中に入れられた彼女に容赦のない暴力が降りかかる。痛みに侵された中で彼女はカンザリィアの言葉を思い出した。



──本当ならここに来るのも危ないだろうに。







 





 ナタリーの忘れ物に気づき、カンザリィアは鍋をかき混ぜる手を止める。彼が薬品を作っている間に彼女が読書をするというのが常になっていたのだが、彼女の本が置いたままになっていたのだ。

 明日来た時に渡そうか。それとも……。

 実のところ、彼はここ数日緊迫感を感じていた。悪いことが起こる予感がして止まない。魔女狩りが激化していることが主な原因だろう。今だってそうだ。うなじがジリジリと痛む。

 今渡しに行かなくては。そして明日から来ないように言おう。

 迫りくる危機感にそう決める。本を引っ掴み、家を飛び出す。家から少し離れた道に血痕が落ちていた。ナタリーのものかもしれないという不安で魔法を行使し走り出す。


「彼の者の在処を示せ」


 示された場所は、魔女の処刑場だった。


 


 処刑場に着くと、すでにナタリーは十字架につるされていた。かなりの暴行を受けたのだろう。彼女の遺体は傷だらけで青く膿んでいる。処刑場は閑散としてい、あたりに彼女を処刑した人物は見当たらない。

 カンザリィアは彼女を十字架から降ろし、抱きしめる。彼女の遺体は少し生暖かく、先ほどまで生きていたのを感じる。抱きしめても反応など何もない。孫ほどの年頃の子を自分の不注意で殺してしまったという事実が彼に改めて突き付けられる。


 呆然としている彼の耳に小さな声が届く。


「……お姉ちゃん?」


 靄のかかった頭を働かせてのろのろと声の主の方へ顔を向ける。そこには目の大きな10歳ばかりの少女が立っていた。視線は彼の腕に抱えられているナタリーに痛いほどに注がれている。


「あなた、魔法使いでしょ……お姉ちゃんの言ってた。あなたが殺したの?」


 少女は震える声でカンザリィアに問う。怒りと憎しみとそれらを覆うような深い悲しみに包まれた彼女の声は掠れてい、彼を責めるように虚しく訴えかける。


「……ああ。こいつは俺が殺した」


 彼の目には亡き師、アウグストゥラと出会った日の情景が浮かんでいた。

 あの時は目の前のことで手いっぱいで気づけなかったが、長らく一人で静かに薬を調合して過ごしている内に気づいたことがあった。

 アウグストゥラは実のところ彼の両親を殺してなどいなかった、ということだ。ただしそれはアウグストゥラが善人だったという訳ではない。彼は紛うことなき快楽殺人者だった。ただ、彼は目の前で得体の知れない犯罪者に両親を殺されたカンザリィアに気まぐれにも同情し、憐れんだ。それがあの日の全てだった。彼を殺すという意志があの日の少年を生かし、そして老師の願いに叶うものとなった。


 ──なるほど、それを思い出した日からずっと考えていたが……彼はこんな気持ちだったのか。


 カンザリィアはそして言葉を紡ぐ。



「君のお姉さんの散りゆくさまは美しかったよ」



 そして彼は次の殺人鬼になった。



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