短編
とある殺人鬼の話
 桜は散りゆく姿が最も美しい。老人アウグストゥラは今日も若い弟子にそう説く。弟子であるカンザリィアは昨日もその前の日も語られた主張にいやそうな顔をするでもなく、律儀にこくりと頷いた。それを見てアウグストゥラは満足げな顔をして少し目を閉じる。

 彼の家はイギリスにあったが、珍しいことに彼の家の庭には桜の木が植えてあった。なんでも、日本を訪れた際に一本持ち帰り育てたのだという。春になるとポツリポツリと咲く姿は日本の桜とは異なるが、アウグストゥラはそれでも毎年満足げにこの桜の木を見上げていた。


 アウグストゥラは、この小さい家でカンザリィアに魔法を教えながら暮らしていた。昔は高名な魔法使いだったという噂も流れているが真偽は定かではない。彼は、炊事洗濯などの家事に利用できる生活魔法から戦争などの争い事で使用されるような攻撃魔法、防御魔法まで会得していた。

 そうしてそのどういった経緯で獲得したか不明なその術の知識を弟子に分け与えていたのだ。彼は弟子に魔法を教える片手間、魔法薬を作り街の人に売ることで生活費を稼いでいた。

 それゆえに魔法薬専門の薬師として見られがちなアウグストゥラだったが、実は彼にはもう一つ職といえるようなものがある。いや、それで生計を立てているわけではないから趣味といったほうが正しいかもしれない。それは到底想像もつかないようなものだろう。

 どうして想像できようか、あの人の好さそうな老師が街を賑わす快楽殺人犯であるだなんて。その事実を知っているのはアウグストゥラ本人と、弟子であるカンザリィアだけである。アウグストゥラは先も述べたように桜が好きだった。敬愛していたと言ったほうが良いかもしれない。その存在に心酔し、自分も桜になれたらとさえ思っていた。この世が桜で溢れることこそがアウグストゥラの切なる願いであった。


 アウグストゥラは桜の散る瞬間に美しさを見出していた。せめて人も美しく散りゆくべきだとも思っていた。そこまではただの気の良い老人とさして変わりない。そう、そこまでは。そこまで、という言葉を敢えて強調させていただいたのには無論理由がある。アウグストゥラがそこで理想を止めることがなかったためだ。


 彼の庭には桜の木とはまた別に桜の盆栽がある。その枝木を整えるかのように、彼は人の命を狩り始めた。人を殺しているその瞬間、彼は桜を最も魅せられる姿に整えられたかのような甘美に酔いしれた。桜の話を抜きに端的に話すなら、殺人行為が快楽となったのである。弟子、カンザリィアを拾ったのはそんな生活を6年ほど続けたある晩のことである。



 その晩、カンザリィアは呆然自失として路地にたたずんでいた。目の前には彼の両親の死体があった。暗い路地にしとしとと降り続ける雨は遺体の血をじわじわと地面に広げていた。赤で路地が侵食されていく様をカンザリィアはもはや何も映していなさそうな瞳で見つめていた。


「君の両親かね?」


 殺した張本人であるアウグストゥラはしれっと声をかける。


「……ああ」


 カンザリィアは嘆息とも、返事ともつかない声をかろうじて上げた。声はかすれていた。そんな彼の様子を歯牙にもかけずにアウグストゥラは語る。


「彼らの散りゆくさまは美しかったよ」


 たった今両親を失った少年に、その元凶であるアウグストゥラは死の美しさを語ったのだ。鬼畜の所業としか言いようがない。


「……なら、よかった」

 
 カンザリィアがどういった気持ちでその言葉を発したか、それは思慮の浅いアウグストゥラの知るところではなかった。ただ一つ明確な事実は、アウグストゥラはその彼の言葉を聞いて甚く満足し、彼を自身の弟子として引き取ってしまったということだ。



 そして、今に至る。


 そんなある日のこと。珍しいことが起きた。アウグストゥラの桜の口上をカンザリィアが遮ったのだ。カンザリィアが意見を述べるということの物珍しさに、アウグストゥラは逆に機嫌を良くした。


 「アウグストゥラ様。今日という日が何の日か覚えていらっしゃるでしょうか」
 「お前を引き取った日だろう、カンザリィア」

 彼が自身の問いに即答したのを見て、カンザリィアは深く頷いた。


「そうです。そして私があなたと初めて約束を交わした日です」


 八年前の今日。カンザリィアは唐突に両親を亡くした。黒い人影から銃声が聞こえたと思った時にはすべてが終わっていた。あまりにショッキングな出来事に、気を失った。目が覚めた時には黒ずくめの格好をしたアウグストゥラが彼の傍でたたずんでいた。

 足元にはとうに冷たくなった両親がいた。無論、そのことも彼にとっては十分衝撃的だったのだが、月日が流れてもなお記憶の底にこびりついたのは、アウグストゥラが孤児となった彼を悲しそうに、またある種の決意を秘めたような眼で見つめていたことだった。


 最初は復讐のためにアウグストゥラについていった。呆然としながらも黒ずくめの彼を始末しなくてはと思ったからだ。この男は俺が殺す。


 しかし、月日を共に過ごすにつれ気づいた。この男は死にたがっている。毎日毎日両親のことを思い出させるかのように、男は桜の散るさまの美しさについて語った。頷くカンザリィアの目に強い意志がともるのを見ていつも満足そうに頷いていた。それに気が付いてしまえばすべての意味は変わっていた。カンザリィアは自身の気づかぬうちに彼を殺すという命の約束を交わしていたのだと。

 あぁ、この男は俺に殺されるために俺を引き取った。そして俺に毎日教えているのは己を殺すための術なのだ。

 彼は完璧に理解していた。桜を愛した彼は、その実自分が桜のように散りたかったのだ。


「悦楽を感じながら死に生きる。それを体現しているかのように人の生死を手中に収めていたあなたは最もそれから遠い存在なんですね」

 快楽殺人者は、自身で快楽を体現したがるただの死にたがりに過ぎなかった。


 ──あぁ、まるで桜みたいじゃないか…。

 ナイフに貫かれ零れ落ちる血を見ながらアウグストゥラは言った。それが彼の最後の言葉になった。




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