短編
枯井戸を見上げる
 やはり私と彼とでは釣り合わないらしい。ナナセはおもむろにそう思う。

 ナナセは、五つ年上のアイザのことが好きだった。五つ違い、というのは厄介なもので、案外恋愛対象に入るまでが大変なものなのだ。ナナセは生来の性格からなかなか想いを告げることができず、うじうじと見つめているにアプローチはとどまっていた。

 無論、相も変わらずアイザは遠い存在であったし、ナナセの存在を知っているかどうかさえ怪しい状況だった。率直に言って、釣り合わないかどうかを判断するような段階にさえナナセはいなかったのである。

 ナナセに気の置けない友人でもいたら別の展開もあったかもしれない。だがしかし残念なことに、ナナセには友人らしい友人がいなかった。それはひたすらアイザを目で追って自分のことを放ったらかしにしていたことも一因買っているが、どちらかというとこれもやはりナナセの性格に問題があった。

 つまるところ、諸悪の根源なるものはナナセのうじうじと前に踏み出さない性格なのだ。ナナセ自身もそれは知っていた。

 しかし「どうせ私はうじうじしていてダメな女なんだわ…」とネガティブに走るあたり、彼女のうじうじ具合は徹底していた。うじうじしていることに対してうじうじする悪循環。ナナセは残念ながらそれには気づけない。「性格は直しにくいものなのよ!」と開き直れるくらいの図太さが欠片でも彼女にあったら別だったろうが。


 今日もナナセの表情は芳しくない。


◇◇


 井戸に水を汲みに行くと、そこには彼女の顔が映る。血色の悪い自身の顔にナナセの表情は曇る。眉を顰めると、井戸に映る彼女がさみしそうな顔をするのが見えた。


『そんなに私が嫌い、ナナセ?』

 井戸の向こうから問いかけられたように感じ、ナナセは更に厳しい顔をする。井戸の彼女は一層さびしげな顔になった。


「ええ、嫌いよ。私が別の人だったらよかったのに」


 冷たい声色で語られる言葉はコンプレックスの塊、彼女の傷だった。



「私は別の人になりたいわ」


 青に染まった、どんよりと重たい声に、井戸の水が密やかに波打つ。それは涙か、あるいは――?


『ねぇナナセ、井戸を見て!この井戸にはね、空があるのよ。水面に空が映っているの』


「そんなこと、知ってるわ」


 仮にも自分が相手だからか、ナナセの語調は強い。


『ナナセ、あなたはこの空に身を投じることができる?』
「そんなこと、できるわけが」


 ハッと鼻で一蹴するナナセの言葉をさえぎって紡がれるのは、


『そうしたらあなたは別人になれるって言われたら?』


 ナナセの望む言葉だった。一瞬ひるんだ後、意気込んで言う。


「できるわ!」


 もはやナナセは取りつかれていた。恐怖と、願望と、期待と、不安とが織り交ざった空気に場は支配されていた。ずりずり、ずりずり、とナナセの体は井戸の縁から身を乗り出していく。伸ばした腕に、井戸に住まうナナセの白くひょろりとした腕が絡みつく。ずりずり、ずりり…。

 バランスを崩し、井戸に身を投じようかというその瞬間、ナナセは肩を強く引かれるのを感じた。


「何しているんだ!枯井戸に飛び込もうとするなんて!!」


 声の主は、ナナセの想い人、アイザだった。たまたま近くを通りかかった際に井戸に落ちようかとしているナナセを見かけ、助けてくれたのだ。


「…枯井戸??」


 ナナセは、呆然と井戸を見つめる。そんな、さっきまでそこには水が溜まっていて空が映っていたはずなのに。

 井戸の中に水はなかった。


「なにが別人になれる、よ」


 ナナセはそっと呟く。


「枯れた空に身を投じたら、私は死んでしまうじゃない」


『当り前よ、そんなうまい話はないんだから』


 もう一人の自分が話しかけるのは、きっと空耳。だって井戸の水面に映る自分はもういないのだから。

 そんな理屈を内心こねながら、ナナセは言う。


「はじめまして、アイザさん。お礼にお茶はいかがですか?」


 これはうじうじナナセとの別れのお話。



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