ジリジリと背中が熱い。時計を見れば1時半を指していた。道理で、暑い訳だ。
俺は一つため息を落とし、給水タンクから体を起こした。
ここ、屋上の給水タンクの上──、は俺のお気に入りの場所だ。空が近いし、人も来ないのがその理由だ。
そろそろ夏本番というこの季節、2時ごろになると暑くてとても寝れたもんじゃないのが難点と言えば難点か。
ぐぐっと背伸びをする。
カシャリ、とシャッターを切る音がした。
びっくりして目を見開くと、またシャッター音。今度は遠慮なく睨ませていただいた。
「おい、勝手に撮るな」
カメラを掴もうかと思ったが、一眼レフの上物だったからやめた。代わりに撮影者の頭を掴んで振る。
「わぁっ、ちょっと待って! 酔う!」
……知るか、そんなこと。
酔ってしまえばいい、と思って俄かに力を強めた。
「ちょ、やめ! 一之瀬くん、ストップ!」
フワフワとした天然パーマの不審な男は、なぜか俺の名前を知っていた。戸惑いから手が止まる。
「なんで、名前」
「知ってるかって?」
セリフを取られて不機嫌になるが、気になるのでその通りだと頷く。
「そりゃ知ってるよ。キミ、有名だもん。一匹狼の一之瀬葉月〈イチノセ‐ハヅキ〉くん?」
からかうような、否、事実からかっているのだろう。一匹狼、という言葉は明らかに揶揄の響きを纏っていた。
「……名前」
「ん?」
「名前、教えろよ」
唐突な要求に最初は戸惑った様子を見せた男だが、俺の顔を見て「アハッ」とさも楽しげに笑って、
「佐内信二〈サナイ‐シンジ〉だよ」
とにっこり笑う。いい子いい子〜と俺の頭を撫でる彼の手はなんだか気持ちがよくて、うっかり身を任せてしまった。いつもなら殴るなり蹴るなりする筈なのに。
俺が身を任せたのが雰囲気で分かったのか、不意に手が止まる。
「……意外」
何のことだ?と不思議に思い、後ろを振り返る。見ると、佐内は口元を押さえてこっちを見ていた。
「……一之瀬が、懐いた」
ポツリ、と呟く言葉に、一瞬思考が凍る。
が、思い返してみると確かに懐いたとしか言いようのないいつもの俺らしくない行動の数々に、思わず顔を赤らめた。
「……ねぇ、一之瀬」
「……んだよ」
照れ隠しで普段より3割増しにぶっきら棒になる声。それでも返事をしてしまうのはやはり“懐いて”しまったからだろうか。
「その照れた顔、写真に撮ってもいい?」
少し欲を孕んだその顔に、思わず腰が引ける。
「……嫌に決まってんだろ」
フイ、と顔を背けながら言うと、聞こえてくるシャッター音。
睨みつけると、悪びれもせずにまた撮られた。
「ちょ、嫌だって言っただろ!」
流石に腹が立って、データを消そうとカメラに手を伸ばす。
が、ひょいとカメラを遠くにやられたせいで手が届かない。
「ねぇ」
不意に近づく佐内の顔。気のせいかもしれないが、どこか甘く感じる。
「ホントに、嫌だった?」
唇が触れそうな距離でそう囁く佐内。ホント、俺、どうしたんだろう。なんでこんな扱いを受け入れてるんだろう。自分で自分がよく分からなくて、混乱する。
「嫌に、決まってんだろ」
分からないながらにそう言うと、唇に降る柔らかい感触。キス、された。
そう思った時には終わっていた。触れるだけの、優しいキス。
「ホントに、嫌だった?」
そう言う彼は、俺の顔を優しく見て、フッと笑った。
「なんだ、嫌じゃないじゃん」
勝手に決め付けるな云々と文句を言うつもりだったのに。
「も…、いい」
口から出たのはこれまた自分らしくない言葉。なんだか、よく分からない。
「ねぇ、一之瀬。こっち向いて?」
分からない、けど居心地がいい。
今はそれでいいんじゃないかと、俺は一人思った。
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