BL短編
世界最後の日
 ニュースは先ほどから機械音を吐き出していた。馬鹿みたいに同じ文面を繰り返すテレビに、俺はコンセントごと電源を落とす。こんな日にも働く人がいるのか、それとも誰も電気の供給を止めることなく逃げ出したのか、電気は切れることなく部屋を煌々と照らしていた。

 ぴんぽーんと間抜けた音に、インターホンを確認する。モニターには、くたびれたスーツを着た誠がいた。ずぼらなため、鍵を持っている癖にいつもインターホンを押すのだ。はぁ、とため息を吐き玄関に行く。ドアにはめ込まれたすりガラスから、大人しく待つ人影が見えた。

「おかえり」
「ただいま。おー、あったけぇ」

 ドアを開けると、背を丸めながら手を擦りあわせ入ってくる。寒かったのなら、自分で開けて入ってこればいいものを。

「ニュース点けてないんだ。いいね」
「世界最後の日? あれ聞くの、飽きたから」
「どこ行ってもそのニュースだ。うるさくて嫌になる」
「確かにな」

 風呂追い炊きしとく、と声を掛けると誠は肩を竦める。

「ここの家だけ、いつも通り」
「なに? 特別仕様がよかった?」

 夕飯の支度をしつつ聞くと、誠はいや、と笑いながら言う。

「この方が、落ち着く」

***

 世界最後の日。そのニュースは突然だった。昼頃、会社に行く誠を見送った俺は、リビングで掃除機を掛けていた。見るでもなしに点けていたテレビからは、ネレフォンショッピングのアナウンスが流れる。掃除機の唸る音に交じり、女性の大袈裟に驚く声が時折聞こえた。日常の、何気ない音たち。それらを全て消し去り、踏み潰し、擦り殺すかのような大音量で、放送は流れた。テレビから、スマホから、ビルに設置されているモニターから。ありとあらゆるところからそれは、流れた。

『緊急警報。緊急警報。全ての国民は、落ち着いて聞いてください。ただいま、地球に巨大隕石が飛来しようとしています。この隕石の影響により、急激に地球全体の温度が下がることが予測され──』

 ぼんやりとした頭で理解する。要するに、この巨大隕石は、明日午前三時に地球を叩き割るらしい。核爆弾が〜とか、温度が〜とか、ガスが〜とか言っているが、どれだけ絶望的な状況かを話しているだけだ。おためごかしすらできないほどの絶望一歩手前。つまりは、そういうことなのだろう。

 ニュース、見た? と誠にLINEを送る。ぐるぐるぐる、とメッセージを読みこむマークが表示され、俺は送信を取りやめる。今のニュースで人が一斉にメッセージを飛ばしあっているのだろう。自分のスマホに送られてきたメッセージを見てそう思う。こんな時、通信機器なんてまるで役に立たないのだ。鉄の塊になり果てたスマホをソファの上に放り投げた。今のニュースを、聞いていないはずがない。仕事なんてしたところでどうにもなりやしない。その内帰ってくるだろう。手に持った掃除機を仕舞うか迷うも、どうせすることもないんだし、と最後まで掃除をすることにした。何のためにやっているかなんて、自分でも分からなかった。どうせこの家も隕石に押しつぶされてしまうのだ。

***

 予想に反し、誠が帰ってきたのは夕方だった。ニュースを聞きすぐに家に帰ろうとしたものの、街中がパニックになっており交通機関が麻痺していたらしい。なるほどな、と誠の話に相槌を打つ。軽快な音楽とともに、風呂の追い炊きが終わったと機械が知らせる。

「温まってこいよ」
「んー、そうする」

 誠は立ち上がり、パジャマを用意する。明日なんてこないのに、律儀にそんなものを用意していることの滑稽さにくすりと笑う。明日が来ない。そう言われてああそうですかと素直に絶望できるほど俺たちは順応性に富んでいないらしい。

「……、以春、一緒に入る?」
「夕飯作りおえてないから」
「そ」

 誠はふふふん、と調子っぱずれな鼻歌を歌いながら風呂場に向かう。材料をフライパンにぶちこみ、加熱する。食材の匂いに混じりガスの脳髄を刺すような臭いが上がる。キッチンの小窓を開け、換気する。外は暴動でも起きているのか、やけに騒がしい。これだけ騒ぎになれば出てくるはずの警官も、今日ばかりは家族とともに過ごしているのだろう。誰一人出てきやしなかった。いや、もしかしたらあの中に警官もいるのかもしれない。窓越しに広がる無秩序な光景は、のどかな家の中とまるで別世界で。はははん、とご機嫌な誠の鼻歌が殊更それを引きたてていた。

 ボールに葉野菜と豚肉を入れ、電子レンジにかける。フライパンの火を止め、皿に盛り付ける。ふわぁ、と湯気からいい香りが漂った。ぴぴぴ、と鳴る電子レンジをもう一度セットし、更に加熱する。後はポン酢を掛けたら完成だ。小窓を閉めると、部屋は一気に静かになった。風呂場からは、相変わらず誠の声がしていた。

***

「お、珍しいじゃん」
「最後らしいからな。夕飯も作りおわったし、折角だから」

 風呂場に侵入すると、誠がぱちくりと目を瞬かせる。最後という言葉にああ、と曖昧に頷いておきながらまるでその実感がないらしい呑気な表情に、くすりと笑う。

 体を洗いおえ、浴槽に入る。一般家庭向けの浴槽は二人で入るにはなかなか手狭だ。

「さっきさぁ、窓開けたら暴動が起きててさ、」
「へー」
「……おい、」

 誠が股間に足を乗せやわやわと踏みつけてくる。微妙に気持ちいい。

「や、気にしないで話続けて?」
「続けるも何も今ので終わりだよ」
「あ、そーなの?」

 残念、とそれ程残念そうでもない口調。言っている間にも誠の足は器用に俺の裏筋を擦りあげる。

「ん、ちょ。お湯が汚れる」
「いーじゃんいーじゃん。最後の日、だっけ? 俺使いたい入浴剤あったんだよね」
「……あ、そ」

 好きにしろ、という俺の意図を汲み取り、誠は手を使い俺の棒を上下に擦る。足で俺の体を後ろから支え、舌で胸を繰る。器用なものだ、と乖離した思考でそう思う。

「ま、こと」
「んー? どうした以春」
「……、夕飯、冷める」

 言おうとした言葉を飲み込む代わりに、つまらない言葉を吐いた。誠もそれが分かったのか、微苦笑し俺を抱きしめる。

「怖がりだなぁ」

 やっぱり先にご飯、食べちゃおうか。誠の言葉にこくりと頷く。誠は俺の顔を見つめ、ふわり、キスを落とした。

***

 ごちそうさまでした。手を合わせる誠に、お粗末様でした、と頭を下げる。食べ終わった食器をシンクに運ぶ。さて、とスポンジを手に取ろうとすると、後ろから体重をかけられる。風呂上がりの誠からは俺と同じ匂いがした。

「……どうせ明日なんて来ないんだよ」

 耳元で告げられた言葉に、びくりと体を竦める。誠はパジャマの中に手を突っ込み、俺の腹を撫ではじめる。

「ほら、おいで。怖いこと、考えられないようにしてあげる。鼻歌とか、歌ってね」
「……馬鹿じゃ、ねぇの」

 振り返り誠の広げた腕の中に体を滑り込ませる。すん、と匂いを嗅ぐとシャンプーの匂いの中に、誠の匂いを見つけた。くたり、体を預ける。どうしようもないほどにいつも通りで、でもやっぱりいつも通りじゃない。そんな、馬鹿な話。張りぼての日常の根底にのそりと寝ぞべり、幅を利かせる非日常。世界最後の日なんてどうやって実感したらいい。俺の明日がなくなった試しなんて今までで一度だってなかったのだ。おはようと、いってらっしゃいと、おかえりと、おやすみ。それから思い出したかのように挟む、愛してる。その繰り返しが、終わる? 俺の揺れた視線に、目の前の誠は、俺の唇を舌でこじ開け、口の中を貪り食う。酸欠になりそうなほど舌を絡め、思考を唾液で溶かされる。最後の、と卑屈な心が吐き出した言葉を振り払い、誠の背に手を回す。積極的になった俺に、誠は目を細める。

 じじじ、とチャックの下ろされる音。足が、空気に触れ少し寒い。誠は俺の中心を触る。誠の舌に翻弄される俺の口からは、時折泣き声のような情けない声が漏れた。いや、もしかしたら泣いているのかもしれなかった。つ、と頬を涙が伝う。快楽ゆえの涙か、それとも。涙の正体なんて、いったい誰が知りえようか。零した俺でさえその正体を知らないのに。

 ア、と甲高い声を出し、俺は果てた。力の抜けた俺の体を誠は抱きあげ、ベッドに運ぶ。

「──ハ、」

 熱の籠り浅くなった呼吸で、誠は俺の上に圧し掛かる。冷たい感覚が後ろに走る。

「……ん、は」
「以春……」
「な、に」

 肛門を押し広げる指に首を竦めながら返事をする。誠は指を入れたまま、寝ている俺の肩口に顔を埋める。指の角度が、少し変わり声が漏れる。

「以春、」
「……んだよ」

 言いたいことは、聞かずとも分かった。さみしさと、哀しさと、空虚感。もう終わりなのだという、曖昧な感覚が胸を満たし、言葉が詰まる。不機嫌そうに聞こえる、俺の声音に誠は軽く微笑んだ。ちゅ、と喉元にキスを落とすと、また、顔を埋める。

「好きだよ、以春。ずっと、明日も、明後日も」

 来やしない明日に誓うなんて、馬鹿のすることだ。それなのに、他でもない誠が明日を作ってくれたことが嬉しくて。少しずつ侵食しはじめた世界最後の日の現実感を忘れたようなふりをし、誠に向かって笑ってみせる。

「俺も、好きだ。この先、ずっと、」
 世界が滅亡しても。隠した言葉は、言わずとも届いた。誠の熱が、俺の中に入ってくる。明日も、明後日も。ずっと──……。どうせそんなもの、叶いやしないけど。

***

 張りなおした風呂には、ラベンダーの入浴剤を入れた。ほかほかと温まった俺たちは、寝てしまおうと布団に入りこむ。俺を抱きしめるようにして、誠は目を閉じる。このまま明日が来るのではないか。未だに認めたがらない心が、そんな甘い期待をする。耳をすませば聞こえる呼吸音。とても、巨大隕石が近づいてきているとは思えないほどの静寂。それでも、終わるのだ。明日、午前四時に。誠に、きつく抱きしめられる。こんな日でなければ苦しいと文句を言いベッドから蹴り落としていただろう。僅かに震えるその手に、自分の手を重ね、強く握りこむ。

「……以春」
「……ん?」
「愛してる」
「俺も」

 顔を後ろに向け、キスをする。触れて熱を移すだけのキスは、最後にしてはやけにあっさりとしていた。それでも、普段おやすみのキスをしない俺たちにしてみたら十分最後の予感を感じさせるもので。

「……以春」
「ん……?」
「おやすみ」
 きゅ、と強まる腕の力に、そっと目を瞑る。
「……おやすみ」

 明日は七時に起こして。いつもなら続くそんな甘ったれた言葉が、誠の口から聞こえることはなかった。




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