BL短編
梔子の鏡
 手渡されたタバコを燻らせるとチクチク痛む胸がぼんやりと靄に覆われた。旧校舎裏の埃っぽい空気がそれを助長する。

「ない頭を唸らせるからこんなになっちまうんだと、俺は思うがね」

 人にタバコを勧めておきながら自身は棒付きキャンディを加えている幼馴染の言葉に顔を顰める。その通りだと胸中で認めるも、声に出し肯定するのは癪だった。タバコの煙を宙に吐きだし、まだ長さのあるそれを靴底ですり潰す。シュッという火の消える音がし、白い煙が潰れたタバコから縦に伸びる。

「煙ばっか吸ってると早死にするぞぉ」

 ナユキはけけけと笑い地面から吸い殻を拾い上げる。そして拾い上げたそれをタバコの箱に戻した。

「……ナユキ。それ、どうする気だ」
「俺が好き好んでお前の吸い殻を集めてるとでも思ってんのか、チアキくんはよ」
「だってお前俺のこと好きじゃん」

 階段に腰を掛けつつ言うと、違いねぇと笑われる。

「ただ、俺のことをストーカーか何かみたいに言うのは感心しねぇな。こちとらタバコを分けて愚痴まで聞いてやってんだからさ」

 箱を胸ポケットに戻すナユキに内心呆れる。胸ポケットにタバコを入れて校舎を闊歩するのはこいつくらいなもんだろう。余りに堂々としているものだから先生も注意しかねているのだ。お陰で学年のほとんどの連中はナユキがタバコを持っていることを知っている。

「大体、吸い殻を下手に放置すると色々面倒なことはチアキだって知ってるだろうが。困るのはお前だぜ、分かってんのかよ」
「バカ言うなよ。俺は優等生で通ってんだ。俺とお前だったら十人が十人お前が喫煙者だって思うだろうよ」
「腐った根性してんなぁ」

 ナユキは馬鹿みたいにゲラゲラと笑う。俺がナユキを見下す発言をするといつもそうだった。伊達に幼馴染をやっているわけではない。理由くらい見当がつく。

「チアキ。甘ったれだな。ダメ人間だ」

 要するにこいつは俺に甘えられるのが嬉しいのだ。ナユキがゲラゲラと笑うたび、自分がこいつに甘えたのだと自覚する。ナユキの反応は俺を映す鏡だった。

「でも、そうだな。今更だ。チアキは優等生を装ってタバコも吸うし、ピアスだって開けてる。もうずっと前から不良なんだもんなァ、チアキ?」

 耳元で囁くナユキはちゅ、と耳朶に吸い付いた。ナユキは慣れた仕草で俺の首を抱え込み、耳に舌を這わす。最後に乱暴なまでの力加減を以て耳の淵を歯噛みすると、ナユキは何事もなかったような涼しい顔で俺の前に立つ。そして、舐める間手に持っていたらしい飴を俺の口に押し込み満足そうに笑った。

「ここの、噛んだところからチアキの体に毒が回ったとしたら」

 ──最ッ高にクールだと思わねぇ?

 馬鹿じゃねぇの、と吐き捨てる俺の耳朶にナユキの指がつと触れる。ナユキの指に唾液が伝う。

「いい加減やめりゃあいンだよ、クソチアキ」
「何を」
「そうだな、例えば空気を吸う許可を誰かに求めることを」

 ピクリと眉が跳ねる。ナユキの言葉が神経に回っていく。それはさながらナユキの言った毒のようだった。ねっとりと毒が体を侵食していくかのように、ナユキの言葉はあばらの内を撫でまわす。

 奥歯を噛みしめると、口に入れられた飴が音を立てて割れた。ナユキは濡れた指を俺の唇に押し当てる。乾いた唇がてらりと唾液に彩られた。

「いいか、チアキ。他の誰が騙されても俺だけは騙されてやらねぇからな。せいぜい馬鹿どもの前でいい子ぶってたらいい。俺はお前の肺が、耳が、唇が、俺に犯されてることを知ってる」

 ナユキは見せつけるように俺の口から飴を取り上げ再びそれを舐め始める。昼休み終了十分前のチャイムが鳴った。匂い消しを制服に振り、私物を片付ける。

「まァた性懲りもなく優等生ぶんのかよ」
「……ぶってるんじゃない。それが俺さ」

 口調を荒いものからいつものものへ直すとナユキは嘲笑うように顔を歪めた。

「まだ認めねぇのかよ」
「何を」
「お前は、ヘビースモーカーで、幼馴染に罪を被せるクソ野郎で、強情でそっけない、俺の幼馴染だろうが」

 違うのかよ。

 ナユキの声に寂寥が滲んでいるのを感じる。

「ナユキは本当に俺が好きだよね」

 笑ってみせると、ナユキの顔は俺にタバコの煙を吹きかけられた時のように歪んだ。目の淵もあの時のように涙がうっすらと滲んでいた。今度ばかりは煙が目に沁みたわけではないだろう。

「ナユキ。俺はさ、ダメ人間だからお前にしか甘えられないんだ。知ってるだろ?」

 わざわざ毒なんぞ仕込まなくともとうに飼いならされているというのに。否、飼いならしたのはどちらだろう。互いに毒を飲ませあっている今となってはどちらが飼い主かなんて分かったものではなかった。

「俺はまともな俺を手放せない。その実どこを誰に犯されていようとも」
「強情にも程があるだろうが。まともな自分でいようとして碌に空気を吸うことさえできてねぇ馬鹿のくせによ」
「お前以外の輩の機嫌なんてお伺い立てなきゃ分かんねぇよ」

 嫌なところを突かれ、機嫌を害した俺はむっつりと文句を返す。俺の不器用さを嘲笑うかと思われたナユキは、意外なことに呆気にとられた顔をして黙りこくる。

「何でここまで言えて好きの二文字が言えねぇかな……」
「馬鹿だな、自分の言ったことを忘れるなんて。しっかりしろよ、俺はお前の『ヘビースモーカーで、幼馴染に罪を被せるクソ野郎で、強情でそっけない』幼馴染なんだろ?」
「マジでクソ野郎じゃねぇか。言えや」
「甘ったれだから言えません〜」
「最悪だ……最悪だ……」

 項垂れるナユキに向かって中指を立てる。ナユキは甘えてんじゃねぇとまたゲラゲラ笑った。




「チアキくん、資料運ぶの手伝ってくれてありがとう」
「どうたしまして」

 ふわりと嬉しそうに微笑むクラスメイトににこりと笑う。ぼぅっと俺を見上げていた彼女は、ふと何かに気づいた表情をする。

「チアキくん、襟に血が」
「……血?」
「そう。……あ。耳から血が出てるみたい。乾燥でもしたのかしら」

 不思議そうな顔で零れる血を拭きとるためのティッシュを渡してくれた彼女にそっと笑う。

「なんだろうね。毒でも、仕込まれたのかも」

 冗談なんて止してよ、と楽しそうに笑う彼女にばれないよう、そっと耳朶に触れる。毒の回り切った幼馴染はやはり鏡なのだと、脈打つ耳朶に俺は鬱蒼と笑った。




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