借りたものは返しましょう
3
 五条の家に挨拶へ行ったのは術式の発現した三歳の頃。真っ黒の髪に真っ黒な瞳。呪力だけは並みより多かったが別に強い術式だとか相伝って訳でもない。面会はあっさりと終わった。多分ちょっと期待外れだったんだ。悟が生まれる前、五条は御三家といっても落ち目を見てた方だからな。久しぶりに生まれた子供に期待して――大して強くもなさそうで落胆、さっさとお帰りくださいって感じ。
 当時は子供だったからンなこと考えやしなかったけどさ。続けるよ。
 やけに広い畳の部屋から退室すると、襖の傍で控えていた使用人らしき女性と目が合った。俺の視線に気づいた女性は、パッと頭を下げてさァ。大人に恭しく接されるのはちょっぴり不思議な気分だった。ま、今じゃンなこと思わんよ。生贄は大事に、が五条のモットーらしいからね。そりゃ存分に大切にされたさ。ムカつくけどね。

 母の手を取り、正面に向き直ると美しく整えられた日本庭園。

「おかあさん。ここ、おかねもちだね」
「そうねぇ。でもこれでお暇しましょうね」

 名残惜しさに後ろを何度も振り返る。時折もつれそうになる足に、母が上から笑みを零す。

「ねぇ貢、今晩はハンバーグにしようか」
「する!」

 途端、帰宅に前向きになった俺は母の手を引っ張るようにして歩き出す。それきり。ほんとにもう、それきりだと思ってたんだ。

 状況が変わったのは、五条悟が生まれた7歳の時。

「……そんなこと、できる訳ないでしょう!」

 最初は家に電話がかかってきた。険しい顔で応対をする母に、何か悪いことが起こったのだと分かった。何でもないよと誤魔化した母に騙された振りをして数日過ごした。数日過ごすうちに電話のことなど意識から抜けていた。思い出したのは、学校帰りに五条と名乗る黒服がやってきてから。あっは、そうだよ。アイツら黒服で来たのよ。小一のガキの迎えに黒服スーツ。馬鹿かよってな。

「五条貢様ですね」
「……そうだけど」
「お屋敷まで来ていただきます」

 校門の前に堂々と停まっている黒塗りの高級車。数日前の電話のやり取りさえ聞かなければ「俺を迎えに来た車なんだぜ」と友達に自慢をしたいところだ!

 久しぶりに足を踏み入れたお屋敷は、全く見覚えというものがなかった。初訪問から四年が経っているのだからまぁ当然といえば当然。
 半ば攫われるようにしてやってきた屋敷には、生まれたばかりの赤ん坊がいた。きらきらと小さな空の中に俺を映しながら、小さな手で俺の指を握る。わぁ、と声を漏らすと眼前の当主が口を開く。

「五条貢。オマエの術式でこの子を五体満足にしてほしい」

 いや、は?? ですよ。
 聞いてみれば、どうやらこの赤ん坊には視覚以外の五感が備わってないと。そういう天与呪縛の代わりに六眼を得たとかいうワケ。聴覚、嗅覚、味覚、触覚の四つと引き換えにSSRだからマァ妥当。ちょっと取りすぎじゃねって気もするけど。
 で、折角六眼を持って生まれた子供だから大事にしたかったンだろーね。やんなきゃママ殺すよって言われた幼気な俺は泣く泣く術式を行使する羽目になりました、と。

 あ、俺の術式の説明? いーよ任せて。術式開示、地味に憧れてたんだ。俺後衛ばっかやってたからさ!

 俺の術式は『自分のものを人にあげる術式』。呪力とか、記憶とか、五感とか。双方向性ではなく一方的にあげんの。だから俺の受けたダメージを相手にあげることもできるよ。便利そーだけど、一回は自分がダメージ受けないとだから、致命傷ぎりぎりを耐えられるかどうかが結構重要だったりする。微妙に使いどころが悪いの。地味だしね。ってなワケで五条様方も早々に俺から興味を失ってた筈なんだけどさァ。悟の境遇で「閃いたァ!」ってしちゃったらしいのよね。悪知恵って怖いねぇ。あ、それくらい自分もやるって? ンなところで張り合われてもなァ。俺今からこんな奴に体使われンのか。……いい使い方してね? ゴミ拾いと挨拶運動で地域活性化的なさ。そんな感じの。

 結局、初対面のその日は味覚をあげることになった。いきなり聴覚とかいってしくじられるのが怖かったんだと思う。多分ね。家に帰って、母さんのごはん食べて、風呂入って、布団の中でちょっと泣いた。好物の味が分からなくなったのが悲しくて。人にごはんを作ってもらって、おいしい? って聞かれてさ。おいしいよって嘘をこれからずっと吐くんだなって。ま、味覚はただの始まりに過ぎなかったんだけど。

 半年後には嗅覚、その一年後には触覚をあげた。相変わらず母さんの命を盾に取られてたしね。触覚がなくなったあたりで、母さんも異変に気付いた。そりゃ、動きが一気にぎこちなくもなれば気付きもする。

 母さんは五条家に猛抗議。最初は誤魔化してた五条家も、多分途中でめんどくさくなったんだと思う。俺が11歳の頃、悟の術式が発現した。無下限呪術だった。相伝だ。それでとうとう最後の仕上げに入ることに決めたらしい。聴覚を渡したある日の夕方。家に帰ると母さんは虫の息だった。
 どれが致命傷か分からないくらいに体は血に濡れていた。はくり、俺を見た母さんが何かを呟く。それが最期の言葉だった。きっと、きっとさ、何か言った筈だったんだ。でも、俺、もうその時には何も聞こえなくなっててさ。

 生きろって言われたのかな。オマエさえいなければって言われたのかな。どっちだったんだろ。考えても答えは出ねぇけどさ。でもやっぱ、最期の言葉くらい聞きたかったなって。母さんを抱きしめても触ってんのかどうかもよく分かンねーし、噎せ返るような血の匂いだとかそんなのも感じなかった。五感をあげるってことが別れ方さえも決められちまうことだって分かってたら……俺はどうしたかな。でもやっぱ母さんの命を盾にされちゃあ弱いよなァ。結局俺が殺したようなもんだけど。

 五条家が憎くて、何も知らない悟が憎くて。全部ぶち壊して呪ってやりたいのに、悟ときたら耳が聞こえるようになって嬉しそうに笑うんだ。ちっちゃい頃の話だから聞こえなかった時期があったことすら忘れてるだろうな。
 飯食ってへらって笑って、俺が返事するだけでじゃれついてきて。憎くて憎くてしょうがないのに、どうしようもなく愛おしかった。馬鹿な事訊くなよ。しんどいさ。つらいさ。殺してぇさ!

 術式反転を覚えた時、迷ったんだ。全部奪い返してやろうかって。迷ったけど、やらなかった。俺は別にあげたものを返してほしい訳じゃない。もうどうしたいかなんて俺自身にも分かんねーんだから。悟から奪いたいとは思わない。そう結論付けるのに時間がかかっちゃったのはなんていうか……ダッサい話だな。

 え。まだ話せって? 悪趣味だなァ。んーじゃあちょっと話す前に質問してい?

 ――この生得領域、いつまで俺もいれんのかな? ほら、体の持ち主とはいえ死人なワケじゃん? そろそろお暇の時間かなぁ、ってさ。あー、悟が封印されるまではって? ……フーン、悪趣味。まぁ、あの悟がオマエなんかに封印されるとは思えないけどね。

 ……じゃあ、まだ時間があるみたいだし、俺とお前が出会うまでの話でもしようか。そう、お前が俺の躯を拾うまでの話だよ。




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