おいしいパン屋に行きましょう
4
 それから三年の月日が経った。
 俺はというと相変わらず同じ会社で働いている。

「今日は早くあがれたぁぁぁ……」

 鞄を引き摺るようにして帰路につく。時刻は22時より少し前。定時前に上がれたのは久しぶりだ。疲れ切った足取りには一切出ていないが、これで結構浮かれている。

「あ゛……? えっ、ここ異世界?」

 駅に近づくと人が大量に集まっていた。魔女の格好に狼男の格好と浮世離れした光景に、今日の日付を思い出した。

「……今日、ハロウィンかぁ」

 社畜には全く関係のない話だ。つと歩道橋のあたりに視線を移すと、七海さんによく似た人がいた。悼むような、苦しむような眼の色に、やっぱり七海さんだと嘆息する。あの昼食の時と、同じ表情。
 早めの帰宅に同僚との再会。ともに喜ばしいことだが、あの顔を見るに『いいこと』はここで終わりを告げるらしい。

 どくん。心臓が大きく鼓動する。瞬間、突如目の前に現れた薄い皮膜に体が硬直する。

「うわぁ、遂に幻覚が……」

 レッド●ルを飲みすぎたのかもしれない。バリアっぽい何かが見える。

「……とりあえず、見えないことにしよう」

 七海さんに視線を戻すと、彼はバリアっぽい何かに近づいている。うお、アレ触っちゃっていいものなのかな……。触った瞬間電気とか走ったらどうしよう。

「七海さんッ!」

 一先ず声をかけて引き留める。振り向いた七海さんは険しい顔をしていた。ああ、まずい時に声をかけちゃったなと思う。それでも今、声をかけなければいけない気がした。変な話だ。上司がこんな顔してたら絶対声なんてかけないのに。

「……中山さん」
「七海さん、すみませんッ、ま、まって」
「お久しぶりです……と言いたいところですが生憎のんびりもできない状況でして。すみませんが、」
「待ってってッ!」

 鞄を投げ捨てて駆け寄る。長いこと走ってなかったから息切れが酷い。駆け寄った七海さんの手は血に塗れている。

「怪我ッ?! じゃない、どうしても言わなくちゃッ、七海さん!!!」

 言葉が喉でもつれる。絡まった言葉はうまく口から出てこない。今言う言葉は決まっているのにッ!!!

「なかや」
「七海さッ!! 生きてッ!!! 絶対、大丈夫ッッ、長生きしてッ!!!! 死ぬなッ、七海!!!!!」

 胸倉を掴み叫ぶ。
 予感がしたから。七海さんとこれきり最後になってしまうような、そんな予感が。たったそれだけ。されどそれだけ、だ。

 ――七海さん、俺の予感は当たるんですよ。

「中山……」
「七海さん。俺の同期、もうあなたしか生きてないんですよ」

 皆、死んでしまった。
 デスクが空いて暫くして、親族から死亡の連絡が来る。そうして皆消えていった。七海さんが退職したその後も一人また一人と消えて、あのフロアに残ったのはただ一人だけ。

「もう頼むから死なないでくださいよ……」

 五年だ。五年間、人が消えていく様子を見続けていた。遊園地で働きたいなんて嘯きながら特段何をするでもなく。墓守みたいだと思った。
 隣のデスクという墓標をただただ見守り続ける墓守。

「私のかつての同期に、灰原雄という男がいました」

 唐突に語りだした七海さんに目を瞬かせる。お前の話を聞いたのだからと言わんばかりの一方的な語り口調に、相槌を打つことさえ忘れて黙り込む。

「――彼は、私が学生の頃に死にました」

 俺と同じ名前の、灰原さん。

 七海さんが俺の自己紹介の時にした顔の理由が分かった。同じ名前の俺に驚いて、泣きそうになって――それを飲み込んだのだろう。変な顔になる筈だ。そんなもの、あんな一瞬で消化できるわけがない。

「大丈夫、死にはしません。見送るのも見送られるのも十分です」

 ――ああ。

 嘆息する。きっと七海さんはもう大丈夫だ。七海さんは嘘の吐けない人だった。上司に落ち目の株を売りつけろと言われた時も、そんなことはできないと断った人だ。適当に話を流してしまえばいいのに、その場できっちりと断った人だ。無理なことをできるとは言わない。知ってる。俺は七海建人の同期だから。

 七海さんの体が皮膜を潜る。どうやらこの皮膜を潜っても感電したりはしないらしい。そもそもこの皮膜が本当にあるのかは置いておくとして、の話だが。

「いや、でもこれ潜るのはちょっとな」

 得体が知れなくて怖いし。
 どうせ明日も朝早くから出勤しなければいけないのだ。この際ホテルでも取ってやれ。それで、明日はいつもより少し豪華な朝食をとるのだ。
 そうと決まればと踵を返す。同期の顔を見たからだろうか、足取りが軽い。


 それから一カ月後。会社に俺宛の郵便が届いた。名前は書いてなかったが誰からかはすぐに分かる。だってこんなこと書く人なんて、一人しかいない。
 返事は決まっているが……、気になることが一つ。

「なぜに学校……?」

 封筒の裏面には宗教系の学校の名前。首を傾げ、返事のためデスクから紙を引っ張り出す。そうだな、書き出しはこうだ。

 ――お誘いありがとう、ぜひ行きましょう。ところで七海さんは先生になったんですか?




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