おいしいパン屋に行きましょう
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「七海さん、あそこのパン屋、行ったことありますか」
「あそことは」
「ここから歩いて五分程度のバス停前にあるパン屋です」
「……ありませんね」

 あれから、七海さんとは時々お昼を一緒にする仲になった。先日例のコンビニからカスクートが消えたので、代わりに見繕ったパン屋に誘う。あの日の七海さんの落ち込みっぷりはすごかった。落胆を口にはしないものの、明らかに顔から色がなくなっていったもんな。でなきゃ俺だってわざわざ人のためにパン屋を探したりなんてしない。俺はどちらかというとおにぎり派だ。おにぎりの方がちゃんとした食事感があるというのが俺の見解。

「折角ですし、今日の昼に行ってみません? カスクートが売ってあるみたいですよ」
「行きましょう」

 即断即決。比較的マシと言いつつ、しっかりお気に入りだったらしい。

「七海さんはどうして証券会社に転職されたんですか?」

 あんぱんを食べながら質問する。やはりパン屋のものともなると餡がぎゅうぎゅうに詰め込まれていておいしい。あんぱんはこうでなくっちゃ。七海さんはといえばもちろん俺オススメのカスクートだ。

「……逃げ出したかったから」
「えっ? ああ、嫌な上司とか、仕事からですか? なんなら俺も今まさに逃げ出したいですよ」

 今は5月。証券会社は企業のデータ収集が要となる。つまりは3月決算の報告が上がる今の時期は証券マンにとっての繁忙期だ。有り体に言うとクソほど忙しい。

「嫌な……ええ、まぁ。常に目隠しをした男もいましたね」
「それは嫌ですね……」

 常時目隠しプレイなんて、詳しい説明を聞かずとも分かる。絶対ヤバイ奴だ。

「なんでそんなことがまかり通っちゃうんです?」
「職業柄そういった人間が珍しくなかったもので」
「えええ……」

 今年で2年目になるこの会社もそれなりにブラックだと思うが、目隠しをした連中のうろついている会社に比べればマシに思える。

「いい人間は早々に消えていく。どこだってそれは変わらないのかもしれませんが、私にはそれが耐えがたかった。今日隣にいる人間が、明日も隣にいるとは限らない。一生懸命働いたところで現実は大きく変わることもなく、ただ淡々と流れていく。私はそれが許せない」

 どういう仕事をしていたのかは分からないが、言っていることは分かる気がした。この仕事に就いて2年。隣のデスクにいた人間がある日突然来なくなる。最初は頭が痛いだとか、熱があるとかそんな理由で。それが一週間、二週間と続き、そのまま姿を消すのだ。帰ってくるだろうと隣のデスクに積まれていた仕事が自分のデスクに押し付けられ、そうしてまた一人いなくなったと初めて知る。責任感の強い人間ほどそうしていなくなる。
 空いたデスクに新人がつき、仕事を任される。その内、いなくなる人間の気配というのが分かるようになった。生真面目な顔つきで折り目正しく頭を下げる新人に、ああまたいなくなる人間かと察して――その繰り返し。

 だから、すぐに分かった。

「七海さん、仕事辞めるんですか」
「……、いえ」

 否定が返ってきたが、俺には分かる。伊達に隣のデスクの入れ代わりを見てきた訳ではない。七海建人は、もうすぐこの会社を離れるのだ。

「俺、次働くなら遊園地がいいです。夢を運ぶって感じで素敵じゃないですか?」
「君、そんな甘い考えだからこんな企業につかまるんですよ」

 それを言うなら七海さんもだろうに。

「……さ、七海さん。午後の仕事ではいいことがありますよ」

 伸びをし、告げる。お昼終了の合図だった。こんな陳腐なおまじないでも口に出せば少しは気が楽になる。それもあと何回できるか分からないけど。

 それから一カ月後。辞めないと言った七海さんは後任にしっかり引継ぎをして退職していった。ほらね、七海さん。俺の予感はよく当たるんだ。





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