おいしいパン屋に行きましょう
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 かつて会社に七海建人という同期がいた。同期といっても同い年ではない。中途採用の七海さんと高校卒業間もない自分とでは五つほど歳が離れている。
 年上の同期ほど扱いあぐねるものはない。とはいえ、隣の部署の人間だからそう話す機会はないのだが。

「七海さん」

 声をかけたのは気まぐれだった。自分同様、いつも遅くまで居残っている七海さんに知らず親近感を覚えていたのだと思う。たまたまその夜はフロア内に自分たち二人以外、残っている人間がいなかったのも大きかった。

「七海で結構です。同期でしょう」

 一先ず丁寧な対応を選択すると、七海さんは形のいい眉を顰める。曖昧に笑いながら缶コーヒーを手渡す。よかった、年上だが横柄な態度をとるような人ではなさそうだ。一見すると神経質そうにも見えた七海さんだったが、年功序列にはあまり拘りがないらしい。中山雄ですと挨拶をすると、七海さんは何か変なものを食べたような顔をした。まずいことを言ったかなと首を傾げつつモニターを伺う。

「まだ帰宅されないんですか」

 時刻は22時。手元の資料を一瞥し、「もう少しかかります」と七海さんは告げる。デスクの隅には目薬が置かれている。眼精疲労用だろう。俺もデスクに常備している。

「中山さんこそ、まだ帰らないんですか」
「俺もまだもう少し。定時には帰りますよ」

 ここで言う定時とは、いつもの帰宅時間である23時のことだ。つい、同じ部署内のジョークを口にした俺に、七海さんは薄い唇を曲げる。

「我々の就業時間は8時から18時の筈ですが」
「すみません、つい。いつも帰る23時のことです」

 うーん、やっぱり神経質かも。

「ほどほどにして帰った方がいいですよ」
「あなたもそうされてはいかがです。23時が定時とは些か不健康だ」
「そうなんですけどね。まぁ、俺の場合独り暮らしで会社から家まで一駅だし無理がきいちゃうんですよね」
「……無理はお勧めしません」

 そう言ったきりモニターへと視線を戻してしまった七海さんに、俺もつられて黙りこむ。作業を邪魔してしまったのかもしれない。年上とはいえ同期だしと気を遣ってはみたが、余計なお世話だったか。缶コーヒーのプルトップを開け溜息と一緒に飲み干す。
 さて、俺も仕事に戻ろうか。あと一時間で定時が来る。窓の外からは真っ暗な闇が覗いていた。




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