空だった。膝程の高さの空を見下ろすと、じっとこちらを見つめ返してくる。広い武家屋敷の西側の一角。顔合わせをした五条の従兄弟はまだほんの三歳にいくかいかないかのガキだった。こんな年頃のガキに教師なんてつけるもんかね。それも体術の、とくれば一方的なものになるのは想像に易い。甚爾は自身の子供の頃を思い返して首を振る。禪院でのあれを体術と呼ぶなら確かに授業はあったのだろう。不愉快このうえないが。
「おいガキ」
「なに?」
「オマエ、相当動けるのか」
「? 歩くの、得意」
あの五条悟は運動の方面でも長けていると聞くからもしやと思ったのだが、どうにも甚爾が教師として選ばれたのには陰鬱な思惑が二三枚ほど絡んでいるらしい。五条悟の影に隠れたガキの顔を拝みに行こうと面白半分に教師の枠へ名乗りを上げただけだったんだがなぁ。まァ、ついでに生意気なこと言ったらぶっ飛ばしてやろうだとか、禪院(実家)への嫌がらせの足しになればいいなァと思ったのは否定しない。
否定はしないが三歳のガキを容赦なくぶっ飛ばせるほど甚爾も鬼ではない。精々逆さ吊りにして泣かすくらいだ。
「おいガキ」
「おさむ」
「あ゛?」
「名前!」
ん! とガキは押し入れから巻物を引っ張り出し机に広げる。指は家系図の五条倫の三文字を指していた。家系を辿るように視線を上へとずらす。
五条悟
「は?」
3歳のガキの親が、五条悟?
つまりこいつは五条の坊が11か12そこらの歳の時にこさえたガキだと?
「お茶を持ってまいりました」
使用人が机の上に目を走らせる。
「倫、家系図は片付けて。汚しちゃいけないわ」
「うん、お母さん!」
は????
唇を引き締める。気を緩めたら盛大に叫びだしそうだった。五条悟の従兄弟の体術の教師として五条の屋敷に行ったら3歳程度のガキがいてしかも実は従兄弟じゃなく五条の息子で明らかに使用人の女を母親だと思ったまま育ってた、と。情報が多い。
「アンタ、このガキの母親?」
「いいえ?」
いいえじゃねーよ!
出された湯飲みにヒビが入る。
「坊ちゃんは私を母親だと勘違いしていらっしゃるのです」
やけにきっぱりとした口調で断じる女に背筋が凍る。ちょっと待て。この場には五条のガキがいるだろうに。
正面を見ると、目を見開いた五条倫がいた。倫はふっと諦めたような笑みを漏らし、ぽつりと零す。
「……そっか」
その子供らしくない反応に思わず重ねたのは、家で留守番をしている恵だったろうか。それとも――。
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