揺れる水面
5
 がんがんと叩かれる執務室のドアに、音楽プレイヤーの音量を上げる。デスクで書類に捺印をしていた会長がトントンと机をノックするのを見て、俺はイヤホンを外す。

「……なんですか」
「呼ばれてるぞ?」
「……なに言ってるんですか?」

 首を傾げると会長は溜息を吐く。ハン。鼻で笑うと、生意気と鼻を摘ままれる。≪心配≫という感情が胸に流れ込んできたのを感じた俺は、文句を言おうとした口を噤んだ。転入生である藤堂凛に懐かれてから一週間。相変わらず生徒会役員は戻ってきていない。執務室に押しかけてくる転入生を追ってドアの前までやってはくるものの、ドンドンとドアを叩く転入生を見守るだけで全く役に立たない。

「執務室のパスワード変更しててよかったな」

 もっと早くやっとけばよかった。学生証を指で弾く会長に何とも言えない気持ちになる。変更手続きの手順が多くて大変だからと今まで放っておいたのに、俺が奴らに目を付けられた途端仕事にかかるなんて。いつも口汚い言葉をぶつけてしまう俺だが、今日ばかりは会長の心遣いに感謝していた。会長は俺の気持ちに気付くことなく、コーヒーを一口飲み、独り言ちる。

「ったく、外の声がうるさくて口説くことすら叶わねぇ」

 ちょっと見直したのに。人の声がするなかヤる趣味はねぇよ、と文句を言いながら会長は机に広げていた書類をまとめはじめる。この万年発情期が。

「何してんですか」
「俺の部屋行くぞ」
「えっ、嫌です」

 反射的に断ると会長は呆気にとられた表情をする。珍しい表情に視線を止める。やけに無邪気な表情は、にやり、と色を孕んだものに変わった。

「手を出すと思ったか?」
「はぁぁぁっ?! べっつにそんなこと考えてなんかっ!」
「本当に?」

 会長が小首を傾げる。純粋な疑問かのように問われたそれに、瞳が揺らぐ。あわ、と言葉を探す俺に、会長はふっと男臭い笑みを見せる。くしゃ、とかき混ぜられた髪にびくりと体を強張らせる。

 ──≪ ≫

 拾った感情に手を弾く。……、今。目の際が、熱い。見てはいけないものを見てしまった。耐えられないと思った。羞恥とか、罪悪感とか、そういった胸を占める感情に、頭が侵される。ごめんなさい。誰にともなく謝ると、会長は「ん?」と優しく尋ねる。俺に、覗かれていることを知っているはずもないのに、それを許容しているかのような、そんな柔い語尾に居たたまれなさが増す。

「かい、ちょう」

 ごめん。
 生徒会室を飛び出す。扉を開けた途端ぎゃあぎゃあと纏わりつく転入生と役員を突き飛ばし、廊下を走る。嫌だ、と言葉がついて出た。

「嫌だ、……嫌だ」

 気付いてしまった感情に蓋をする。拾った感情に、心が浮きだったなんて、そんなのは嘘だ。

 走った末にたどり着いた中庭の繁みに、俺はしゃがみ込む。手で耳を覆う。もう何も聞きたくなんてなかった。こんなことなら、

「生徒会に入るんじゃなかった」

 息を詰める音が聞こえた。視線を上げると、目の前には茂みを退ける手を止めた、会長の姿。

「……そうか」

 短く告げ、立ち去る会長の後姿に、どうしようもない感情が沸き立つ。ああ、俺はこの人が好きなのだと。




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