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ある夏の一幕
中学時代の夏休み

***

「あー…っつい」
「やってらんね〜…エアコン欲しいエアコン」


 季節は夏。いつも通り喫茶店「ビードロ」にいた俺たちは壊れたエアコンを虚しく見つめる。夜になるとバーに様変わりするこの喫茶店は、連日俺たちが入り浸るためほぼcoloredの溜まり場と化していた。


 じわり、滲んだ汗を手の甲で拭う。いつもなら心地よい音楽を聴きながらコーヒーを啜っているのに、こう暑くては何事もやる気が出ない。


「渋川さんんん……これまだ直んねーの?」
「ね、ホントやんなっちゃうわ。壊れてすぐ電気屋に修理を依頼したんだけど、橙くんの言ってた通り、今はどこのエアコンも暑さで壊れちゃったみたいで依頼が立て込んでるんですって」


 頭にタオルを巻いた渋川さんは、鬱陶しそうに男らしい顔をしかめながら言う。黒のタンクトップからは逞しい筋肉がのぞいている。オーストラリア人と日本人のハーフだというだけあって、精悍な顔立ちな渋川さんはここの喫茶店のマスターだ。


「渋川さん、ホントいい筋肉だよな。筋トレ何してるの?」
「うーん、特別なことは何も。腕立てくらいかしら」


 昔は軍に籍を置いていたとかいう胡散臭い話を聞いたことがあるが、この筋肉を見ると本当かもしれないと思ってしまう。


 渋川さんは額からずれたタオルをぐいと上に押し上げる。


「ほら、コーヒーのおかわり。こう暑かったらやってられないわ。あの子にも渡して」


 コーヒーと聞いて服の中に扇風機の頭を突っ込んでいた青がちらりとこちらを伺う。


「コーヒー! ママぁ、俺ガムシロ3つ!」
「多い! ほら、ガムシロ1つね!  っていうか誰がママよ」


 ガムシロを投げつけられた青は危なげなくキャッチしコーヒーに投入する。ムスッとしたままコーヒーを啜った青は、苦いと顔を顰める。


「ママ…苦い……」
「苦くない! あと、ママって呼ばない!」
「ママ、オカマじゃん」
「アタシは女になりたいわけじゃないから呼ばなくていいわ」
「よくわかんねー」


 渋川さんは青が苦いと押し返したコーヒーを一気に煽り、プハァと一息つく。


「いいこと? 例えばアタシがこの話し方をやめたとするわよ?」
「うん」
「そうするとね、怖がられるのよ」


 渋川さんは苦々しげな顔をしながら言った。あぁなるほど、と胸中で呟く。


 渋川さんの見た目は、非常に男らしい。軍に入っていたという噂を本当かもしれないと思ってしまう程度には男らしいし、強面だ。


 頼り甲斐はありそうだが交友関係を築くには少し怖いと思う人もいるだろう。


「だからね、これはアタシの自衛手段なの」


 フフ、と笑った渋川さんはやっぱり男らしかった。


「ところで。アンタたちなんで店に来るのよ。一応休業中なんだけど?」


 実はそうなのだ。居場所を求めて青と一緒に彷徨った末にいつもの癖でビードロを訪れたのだが、生憎とビードロはエアコンの故障のために休業中だった。


 電気屋はエアコン修理の依頼が立て込んでいるため早期復旧は難しいという橙の情報を聞き、渋川さんが早々に判断したのだ。


 そのこともあって、緑と桃、橙は壊れたその日から「直ったら連絡して〜」と言って溜まり場に来なくなった。
 
 エアコンのない店にたむろし、熱中症になったら事である。だというのに、休業中と知りながら立ち寄る俺を無下にできない渋川さんはなんだかんだ店を開けて入れてくれる。


 休業初日、張り紙を呆然と見つめていた俺を偶然店に立ち寄った渋川さんが見つけ、中に入れてくれた。それ以来「今日も来ているのでは」と気にかけ店に足を運んでくれているらしい。


 渋川さんの厚意に甘えている自覚のある俺は、へらりと曖昧に笑い答える。
 
「だって家に居たくないしぃ」
「だって赤がここにいるしぃ」


 複雑そうな顔をした渋川さんは、しょうがねぇなと小さく零した。


「エアコンも効いてなくて暑いのに。バカね」
「渋川さん優しいな〜」
「そうだぞ〜優しい渋川ママはガムシロを3つ入れたコーヒーをくれたりもするんだぞ〜」
「あげないわよ」


 バッサリと切り捨てられ青は肩を落とす。


「そんなこと言っていいのかな〜。マッマ、俺はエアコン修理ができちゃったりします!」
「えっ?!」
「ふっふっふ〜。俺の趣味はバイクの改造! エアコンなんて訳ないね!」


 青は背負ってきたバックパックから工具とパーツを取り出し得意げな顔をする。ニヤリ、口元を意地悪そうに歪めるのを見て、渋川さんは眉をひそめる。


「なぁ青。バイクとエアコンってだいぶ違うと思うけど」
「大丈夫、パーツを入れ替えて組むだけなんだから同じだよ」


 滅茶苦茶な理論だが実際に色々と直しているところを見てきた俺はそういうものかと口を噤む。青が今服に突っ込んでいる扇風機もこの前青が修理したものだ。


「ママ、エアコン修理したらガムシロ5つぶち込んだアイスコーヒーくれよ!」


 さりげなくガムシロの数が増しているあたりさすが青である。


「もうガムシロでも飲んどきなさいよ……」


 コーヒーに拘りのある渋川さんは渋面になっている。青がすみません。


 一方的に約束を取り付けた青は、早速エアコンを床に下ろし修理を始める。勝手が分からない俺と渋川さんは二人で駄弁っていた。


 30分後。


「終わった〜〜! ママ! ガムシロ!」


 最早コーヒーとさえ言わなくなった。そうか、お前が飲みたいのはガムシロの方か。呆れ顔で青を見ると、得意げな顔を返される。促されるままにエアコンを見ると、なぜかエアコンに足が生えていた。


 エアコンのサイドに取り付けられた歯車が回転するともそもそと機械仕掛けの足が動く仕組みらしい。端的に言って気持ち悪い。


「この足はな〜、太陽光エネルギーで動く仕組みになってて、エアコン内部の熱を逃がす効果があるんだ!」


 青曰く、足の回転により内部のプロペラが起動し、外に篭った空気を逃がしてくれるらしい。


「そっか、俺はてっきり悪ふざけかと」
「うん。まぁ合ってる。合ってるけど、一応それなりの役割を与えないと外せって怒られそうだから」


 実益ゆえに取り外せない悪ふざけとか何それ質悪い。


「ん〜? 足ぃ……?」


 渋川さんの眉間に深々としたシワが刻まれるのを確認し、青が怒られるのを予感する。


「なんか……キモいけど、まぁいいや。涼しいし」


 ヤダ渋川さん、変なとこ無頓着とか男らしい。ツッコミ待ちの青は拍子抜けした表情になる。ズズズとコーヒー……になりたかったガムシロップを啜りながらも少し不満そうだ。


 そんな不満顔も、明日からまた営業できるなと呟く渋川さんの言葉で氷解する。


 俺を見、大人びた表情で柔く微笑む青。


「皆んなに連絡入れたら?」
「えっ、あ、おう」


 戸惑いながらLINEをすると、既読はすぐについた。


『えっ、直ったのっ? 行く行くー!』
『思ったより早かったね。青?』
『そう、青がエアコン直してくれて』
『ホント、なんでもやっちゃうよな、青は』
『ハァッ!? 赤と青、ビードロいたの!? 言ってくれれば俺も行ったのに』

 呆れたりはしゃいだりと忙しいメンバーの言葉に、頬を緩める。青を見ると彼も同じような表情をしていた。


「よかったな、赤」
「……おう」


 皆んながいたら、という自分の気持ちを見透かされたようなそんな言葉。吃りながら返事をすると青は照れてやんのと軽く笑う。


 熱を持った頬を、直ったばかりのエアコンの冷気がするりと撫でる。


 音楽の流れていない休業中の喫茶店では、エアコンに取り付けられた足がカタカタと音を立てて回っていた。



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