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マーメイド・ショコラ
 あー、と口を開く。喉に手を当てるも自分の声は聞こえない。風邪だろうか。今日はバレンタイン。生徒が浮かれる日の一つ。二村曰く『ダボの騒ぐクソイベント』だ。

(休む訳には、いかないよなぁ)

 呟くも音はない。ともあれ生徒の賑わう今日この日、青に指揮を任せきってしまうというのはいかがなものか。

(今日一日くらい喋らなくてもバレないんじゃねえかな)

 おしゃべりな部類かといえば決してそうではない。なんだかうまくいく気がしてきた。今日さえ乗り切れば休んでもいいのだから容易いこと。

(ま、いけるだろ)

 支度をして部屋を出る。風紀室へ着くと中にはすでに委員が集まっていた。

「よ、赤。赤は俺と北校舎な」

 そうか、今日は青と見回りだ。今のF組は風紀の傘下に入っているとはいえ、イベントごとでのテンションの上がるのはどこも同じ。
 青は軽く頷くと溜息を吐きうんざりとした表情を見せる。

「バレンタインだなんだと盛り上がるたびに風紀駆り出されんのなんとかしてほしいよなぁ。こちとら学生だぜ? どっちかというと俺も一緒になって盛り上がりたい」
「おんやぁ〜? 夏目イインチョそんなこと言っちゃっていいのかねぃ。示しが付かねぇんじゃね?」
「そういうお前もFのトップとして示しついてねぇ感じ満載だが?」

 そこのところどうなんだと顎をしゃくる青に牧田は鼻で嘲る。

「んじゃあF組らしくはしゃいできますかねぃ」
「おいやめろ」
「し〜いなァ」

 チョコ頂戴?

 顔を寄せる牧田。遊ぶなと青に頭を叩かれた牧田はぺろりと舌を出し宮野の肩を掴む。

「ハイハイ。じゃあ俺とこいつは一年の教室付近の見回りだから。じゃ行こうぜぃ」
「ちょ、馴れ馴れしいです」
「かわいくねぇ〜」

 肩に組まれた腕に力が込められたのか、半ば引きずられるようにして連れていかれる宮野がうめき声を上げる。うめき声で済んでいるあたり加減はしているのだろう。が、その微妙な気遣いを宮野が気付けるかと問われれば答えは否だ。流石に仕事中に喧嘩はしない筈……だ、多分。

「じゃあ、俺たちも行こうぜ、赤」
(おー)

 返事をしようとしてはっとする。はくりと開かれた口は声なく言葉を紡いだ。咳ばらいをして誤魔化すと、青は顔を曇らせた。

「風邪か?」

 咳き込みながらコクコクと頷くと青は背を撫でてくる。暫くして落ち着いたというふうに長く息を吐いてみせると、青は安心したように眉根の力を抜いた。

「赤はさぁ、頑張りすぎるとこがあるからさ。つらくなる前に休めよ」

 青の言葉にへらりと笑う。静かに笑う俺を訝しく思ったのだろう。赤、と短く呼ばれる。

「なんで喋らないんだ……?」

 問いつつ青は気付いてしまったらしい。今日俺がまだ一言も声を発していないと。

「赤。もしかして、だけど。声でなかったり……する?」
(正解)

 口パクで言い拍手をすると、青の表情はみるみる強張る。

「は?! や、は?! 大丈夫なのかそれ?! 風邪か?! それともっ」
(落ち着け)

 宥めようと口を開くも、声なき呼びかけは青に届かない。慌てふためいたままの青のネクタイを引っ張り、顔を寄せる。

(落ち着けって)

 無声音。
 しかし効果は十分だった。ひゅ、と息を呑み青は動きを止める。

(ダメだな。声がなけりゃ言いたいことの一つも伝えられねぇ)

 ぼやく声さえ届かない。
 何と言ったかは分からなくとも嘆いたことだけは伝わったらしい。慰めるように肩に手を回される。

「大丈夫、赤。大丈夫。きっと声は元に戻る。俺はこれでも夏目の御曹司だぜ? 腕利きの医者に頼みまわってやるさ! それにもし――、戻らなかったら俺が赤の声になる」

 囁くようにして言われた最後の言葉に息を詰める。
 告白のような言葉だと思った。甘い甘い、脳が痺れそうに甘い毒。

 でもさ、青? それじゃあ俺はお前に俺の気持ちを言わせるのか。好きだなんて気持ち一つ言葉にできず、それさえもお前に言わせる腰抜けになれとお前は言うのか。

(……、ほら)

 隠し持っていたチョコレートを押し付ける。青の目がこちらに向く前に俺はさっさと歩きだす。本当に、お前は優しい奴だな。優しくて、ひどい奴だ。

「赤、なぁおい!」
(うるさい!)

 バチン

 呼び止めようと伸ばされた腕を力任せに払う。ダメだ、ダメだダメだ。こんなの八つ当たりだ。声が出ないのは青のせいではない。なによりこいつは俺を想って言ってくれたのだ。それをこんな形で拒絶していい訳がない。

(青)
「……赤?」
(……チョコ、くれる?)

 ごめんと言うには幾分か素直さが足りなかった。声が出ないことを知られたくなかった。きっと精神的なものだろう。そうなる理由なんていくらでもある。いつ声が出るようになるかなんて検討もつかない。声が出る頃には学園を卒業して、青の隣には誰か知らない女性が立っているかもしれない。

 そんな嫌な想像が止めどなく湧いて仕方ない。見ぬふりをして、誤魔化して。大事にしたくなかった。知られた途端、想像が現実になる気がした。

「……これ、」

 青い包装紙に包まれた箱には、マーメイド・ショコラと書かれている。声の代わりに王子の隣にいることを選んだ人魚姫、か。くしくも今の俺と重なるものがある。

(青は、王子じゃねぇもんなぁ)

 聞こえやしない。
 そう思い呟いた言葉を拾ったのか。

「赤が望むなら、」
(、なに)
「赤が望むなら、俺が王子になるよ」

 青の目がまっすぐ俺へと向けられる。返事が返ってくるなんて思っていなかった。それだけに唖然としてしまう。それにしても、青が王子。

(……柄じゃねぇだろ)

 ふは、と笑う俺につられて青も笑い出す。笑ってるのに声が聞こえないなんて。奇妙で不思議で不可解だ。歪な思い出には違いない。違いないけど。俺はきっとこの先一生、この日のことを――。

***

 やってくるは、大量のチョコを荷台に乗せて運ぶ円。

「あっ由。ん? どうした、声がでないのか? 龍角散のど飴がいいぞ。ほれ」
「いやなんで見ただけで分かるんだ。ほれじゃねぇ怖い、双子兄怖い」
「うおすげぇマジで声出た。サンキュ、円」
「龍角散すごいな」
「そうだろう、俺は龍角散のど飴の力で生徒会長になったんだぞ」
「すごいな龍角散」




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