おお、と男は嘆息する。
「やっと見つけた」
男は籠の中ですやすやと眠る赤ん坊を丁寧な手つきで取り上げた。
「あなたさまこそ我らが救世主」
どうか我らを、と男は跪き赤子に祈る。生まれたばかりの赤子は己に課せられた役目を知らず無邪気に眠りこけている。男はそんな赤子の様子に満足げに微笑み、腕に抱いたままその場を立ち去った。男の消えた後、一人の黒フードが現れる。黒フードは籠の中を見、ぎょっとした様子を見せる。勢いよく籠を掴み持ち上げる。中にあるのはすやすやと眠る赤ん坊と、毛布だけ。黒フードは困惑したように毛布をめくり、籠を揺する。
「……どこだ」
愕然と籠の中を見やる。黒フードの暴挙にすっかり目を覚ました赤ん坊は「んきゃ」と楽しそうに笑う。
「……お前じゃないんだよ」
「んりゅ?」
「んりゅって言われてもなぁ……」
黒フードは赤子を抱きあげ、あやしはじめる。きゃいきゃいとはしゃぐ赤子に黒フードは終始困った様子を見せる。
「しょうがないな……」
黒フードはフードの中に赤ん坊をしまい込み、何事かを唱える。夢か、幻覚か。真夏の陽炎のようにゆらりと揺れた人影は、次の瞬間消え失せる。残されたのは、赤ん坊のいなくなった籠、ただ一つ。
違うんだよなぁ……。胸中で再び呟く。言うタイミングを逃し続けてついにこの日が来た。来てしまった。
「ユカリ。もうすぐで魔王城に着くよ」
「あ〜〜うん、はぁ……」
「? また足が攣る感覚でもするのか?」
「……まぁな」
どうしよう。着いてしまう。というか元を辿れば悪いのはナガルだ。賢者のくせに間違えやがって。にも関わらず今現在悩んでいるのが自分であることが恨めしい。
「着いた……」
城の前まで行くと門はひとりでに開いた。どうしたものかと悩み、パーティーの殿をのろのろと歩く。
「ユカリ。勇者のお前がのろのろ歩いてどうするんだよ。魔王に舐められかねないからもっとシャンとしろシャンと!」
「……あぁ、うん。その、また足が攣りそうで」
「そうだった、忘れてた。休むか?」
「……いや。着いたら治ると思う」
育ての親であるナガルは、俺の言葉に淡く微笑む。背中をパン、と叩き励まし、颯爽と前を行く。はぁ、と溜息をつき俺はまた、同じことを思う。
違うんだよなぁ……。
城の中を闊歩するも、一向に魔物とは遭遇しない。訳は分かっている。そしている場所も。
「いないな……?」
「……こっちだ」
手を引き案内をする。流石勇者! と小さく拍手をされる。いやむしろ俺だからできることだぞ、と言いたい気持ちをぐっと堪え、軽く微笑む。まぁ、いい。どうせすぐに分かることだ。
大広間の扉の向こうからはザワザワとしたざわめきが聞こえていた。やはり。
ギィ、押すと扉はあっさりと開いた。大広間の奥には垂れ幕。魔物が持つのは、剣ではなくクラッカー。呑気なもんだな、オイオイ。
「……、これは?」
「あの、ナガル、実はな……?」
「まぁ待って待ってゆーしゃくん」
事実を話そうとした俺を止めるのはウツミ・エサカとケースケ・ヒオキだ。ウツミはヒーラー、ケースケは魔術攻撃役だ。二人は魔王城という物々しい場所に来ているにも関わらずやけにリラックスしている。
「……なんだ」
「魔王城に着くまでついぞ正体に気付かなかった賢者とか、間抜けすぎてサイコーじゃない?」
「……気付いてたのか」
「やだなぁ気付いてないよぉ、まぁ嘘だけど」
本当に気付いてたのか。というか気付いた上で黙ってたのか。このパーティー、始まる前から倒壊してるじゃないか。ナガルはそんな話をしている俺たちに気付くことなく、「出てこい魔王ー!」と叫び散らす。
「……ナガル」
「どうした、ユカリ。今、」
「魔王、俺なんだけど」
「……っ、はぁぁぁ????!」
垂れ幕には「祝! 魔王様ご帰還」の文字。わぁわぁと祝福モードの魔族。
「俺は第56代目の魔王。ユカリ・R・シーナ。魔王は転生を繰り返す運命にあり、前世の記憶も保持している。俺が勇者じゃないことなんてずっと小さい頃から気付いてたさ」
気付いてなかったのはナガルくらいなものだ。少なくとも、この場においては。
「だってお前はずっとユカリ・ウォーナンだっただろ!! 今だって!!」
叫ぶナガルに、苦笑する。なんと言ったものか。迷う俺に、男が駆け寄る。
「ユカリ様! 待ってた!」
勢いよく抱きしめる男をどうどうと宥める。ポンポンと背を叩くと男は抱きしめる腕をゆるりと解く。
「ヒサシ。お前がもう少し早く迎えに来たらだなぁ……」
苦言を零すとヒサシは弱り果てた顔をし言う。
「だって誰が分かるんだよ……」
まさか今代の魔王と勇者が双子として生まれるなんて。
ざわり、パーティーに衝撃が走る。俺は当然知っているので、特に驚きはない。
「迎えにいったらユカリ様はいねぇし代わりにガキいるし……」
「一応俺の兄貴なんだが」
名前は知らないけど。
「お前の兄貴だから育ててやったんだろ。感謝しろよ。勇者を成人まで育て上げる頭いってる魔族なんて俺くらいなもんだぜ」
「はいはい、ありがとう。……名前は?」
「マドカ。色は魔族じゃないから付けてない」
貴族には違いねぇだろうけどな、とヒサシはせせら嗤う。俺は黙って肩を竦め、マドカの前まで歩を進めた。
ヒサシが言っているのは魔族のミドルネームの話だ。例えば俺ならR(レッド)のように、魔族、中でも貴族はそれぞれ色に由来するミドルネームを持つ。多くは王たる俺が付ける。それをマドカは人であるがゆえに付けられていない。当然だ。
しかし、彼にもあるのだ。本当の名前が。俺が奪ってしまっていた彼の本当の名前が。
「マドカ」
「……お前が、ユカリか。本当に兄弟なんだな」
俺の顔を見たマドカは溜息を落とし、静かに俯く。それが悲嘆か、歓喜か、会ったばかりの俺には想像もつかない。足の引き攣る感覚がした。
やれ、というヒサシの声を合図に、マドカは大剣を俺に向かって構える。手は僅かに震えていた。ああ、そうか。理解した俺は携えていたおもちゃの短剣を手にする。旅の途中で散々ナガルに買い替えろと怒られた一品だ。物を押し当てたら刀身が引っ込んでしまうという代物で、子供の頃にナガルが買い与えてくれた物だ。こんなおもちゃでも刀身に魔力を纏わせればそれなりの威力を発するのだ。でもまぁ、今はそれも必要ないか。
「……来いよ。大丈夫だから。俺にはほら、ナガルのくれたお守りもあるし」
わぁわぁと騒ぐナガルの声を無視し、剣を見せる。マドカは軽く微笑み、頷く。振り抜かれた剣の切っ先は俺の胸へと沈む。ぼたり、血が落ちる。
「、ユカリ」
「……大丈夫だ。ごめん、嫌な役させて」
「元はといえば俺が触ったから、」
「……ぐ、お互い様だろ。押し込め」
剣はずぶずぶと俺の体に入り、その肉を金属で冷やしていく。ドクドクと心臓は脈打ち、体内で暴れる。血が剣を赤く染め、その刀身が肉に埋まりが見えなくなった頃。心臓の動きは止まった。
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