二万打
とある非公式親衛隊員の話によれば
 その年度初めに起きた出来事は、同じようなことばかり繰り返して過ごしている僕らにはなかなかにセンセーショナルだった。というのも、編入生がやってきたのだ。あのあるらしいと言われながらそれによって誰も入学した試しのないという編入試験を受けて! 笑ってしまうほど難しいとかいう試験をパスしてきた編入生──椎名様は生徒たちにとって半ば珍獣的存在だった。

 椎名様は桜楠様の双子の弟であるらしく、確かに同じ顔をしていた。あの整った顔が二つ! そんなことってあっていいのか。注目度はますますもって増していく。よろしくね、と食堂で微笑む彼はさながら王子のようで。キラキラと輝く金髪にうっとりと見惚れた。

 椎名様は親衛隊ができるよりも早く風紀委員の副委員長に就任した。副委員長は新しく就任した委員長である夏目様が指名する制度であるとはいえ、このスピードで役職持ちに就くことは異例だ。入学してからまだ一週間も経ってないぞ。

 聞くところによると椎名様と意気投合した夏目様が彼ならばと指名したらしい。確かに先日拝見したお二人はとても仲が良さそうに見えた。

 椎名様が風紀に所属されたことで、親衛隊を立てることができなくなった。代わりに非公式親衛隊が立つというので、僕は早速隊員として名を連ねることにした。

 非公式親衛隊に入ったと言っても、そう何が変わるわけではない。非公式親衛隊は公式親衛隊と異なり、がっつり風紀に管理されている。言ってみれば自由が少ない。もちろん親衛対象からお呼びがあった場合は別だが、基本的に活動しないのだ。椎名様の非公式親衛隊は事務処理を夏目様と神谷くんが担当されたとかで、一度も椎名様が関与していない。つまり認知すら怪しいということだ。

 流石に存在すら知らないということはないだろう。……ないよね?

 そんなことを思いつつお茶を啜る。今日は週一回の非公式親衛隊の集まりだった。とはいえ、何をするという訳でもない。精々今日の椎名様はかっこよかっただとか、各々話したいことを話すだけだ。

「……あ。お湯が切れたから足してきますね」

 非公式親衛隊名義で二コマ分借りた大教室には給湯室なんてものはない。電気ポットに水を入れ、コンセントに繋ぎ使っているのだが、丁度僕がティーポットに注いだ分で切れてしまったようである。お願いね、という隊長の声に頷き、よいしょと電気ポットを抱える。ここから水道まではなかなか遠い。

 何度か持ち直しながら水道へと向かう。ふぅ、と一息つく。窓の外から柔らかな日差しが差し込み、廊下を明るく照らしている。いい天気だ。チュンチュンと鳥の鳴く声が聞こえた。

「椎名様も、集まりに来てくれたらな」

 思わずぼやく。その時、長閑な空間を引き裂くように怒鳴り声が聞こえる。空き教室からだ。そう、と中を覗くと生徒が二人、言い争っていた。いや、これは。思考が結論をはじき出すよりも早く、体格の大きな生徒の方が小柄な生徒を押し倒す。なおも怒鳴り声は聞こえていた。強姦だ。どうする、助けを呼ぶか。スマホを取り出し、思う。間に合わない。このままではあの生徒が襲われてしまう。

 見なかったことにしようか。両手で抱えた電気ポットがぽちゃんと水音を立てる。そうだ、水を、入れなくては。僕、僕は。

 悲鳴が聞こえた。瞬間、覚悟を決める。助けよう。ドアに手をかける。勢いよく開け放とうとしたところで、手は温かいものに覆われる。手だ。仲間でもいたのかと萎縮する。

「しー。頑張ったな」

 声に、見上げる。椎名様だ。椎名様は僕の頭を軽く撫でると、教室の中へ入ってしまった。

 二人に駆け寄るかのように見えた椎名様はしかし、そのまま大きな生徒を蹴飛ばした。なすすべなく生徒は吹き飛ぶ。半泣きだった被害者生徒は突然の事態に呆然としている。

「……大丈夫……じゃ、ないね。立てそうかな?」
「……腰、抜けちゃ……」

 わかった、と言い椎名様はテキパキと生徒のはだけたボタンを留める。仕上げとばかりに自身のブレザーを脱ぎ、生徒に掛ける。少し待ってて、と微笑んだ。

「名前は」

 椎名様は端的に加害者の生徒に問う。生徒は決まり悪そうに顔を背ける。椎名様は溜息を一つ吐くと、生徒手帳を奪い取り、1-Dの中島だな、と断じた。

 椎名さまは何事かを言おうとした加害者生徒の体に体重を掛け、手に手錠を掛ける。

「俺は、」
「……言い訳以外なら聞くけど」
「すみません」
「それって俺に言うことかな」

 口籠る生徒に苛立たし気に鼻を鳴らす。聞くべきことを確認し終えたのか、椎名様は僕の所にやってくる。

「えーっと君は、」
「高槻(タカツキ)です。高槻歩(アユム)」

 聞かれてないのに下の名前まで言ってしまった。椎名様は高槻くん、と呼び微笑む。どうしよう、僕今日死ぬのかもしれない。

「ありがとう。君のお陰で早く発見できた」
「僕の……?」

 僕何かしたっけ。

「俺、窓の下で日向ぼっこして寝てたんだけど、」
「寝てたんですか」
「そう。天気がいいなーと思ってつい。夏目には秘密にして。見回りの最中なんだ」

 照れたように笑う椎名様に、コクコクと頷く。秘密! もちろん守りますとも! この命に代えても!

 椎名様は頷く僕に口角を緩め、続きを語る。

「で、そこで寝てたら高槻くんの声が聞こえて。名前が呼ばれたから何かなー? と思って起きたから騒動に気付くことができたんだ」

 だから、ありがとう。お礼を言う椎名様に赤くなるやら青くなるやら。僕のあの独り言聞かれてたんだ……!! 恥ずかしい。文句みたいに聞こえなかっただろうか。ああ違うんです。いたら嬉しいなってただそれだけで。

 混乱する僕の頭に、椎名様の手が乗る。

「それと。怖かっただろうに頑張ってくれてありがとう。カッコよかったよ」

 それじゃ、と椎名様は駆けつけた他の風紀委員に加害者を任せ、被害者生徒を抱き抱え立ち去る。

 た、隊長に話さなくちゃ。

 勢いよく電気ポットを持ち直すと、僅かばかり入っている水音が大袈裟に訴える。電気ポットの中身を水で満たすと、僕は大急ぎで大教室へと駆けた。ポットの重さなんてもう感じなかった。



△‖▽
(9/10)
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -