あの夏の日を忘れない
5
「赤……?」

 青が不思議そうに俺に問う。だから呼び方間違えてるって。あぁでもそうじゃなくって。

 混乱した頭をゆるゆると持ち上げ、大津を見る。カメラを構えていた手は下の方へ降りていた。

「悪い……俺にも、よくわかんねーんだけど、さ。なんか……嫌だからやめてくんねーかな」

 五人がじっと俺を見つめていることに気づき、身じろぎする。

「……わがまま言った。悪い、忘れてくれ」

 自分から撮影を言い出しておきながら何を言っているんだ、俺は。さすがに自分勝手が過ぎるというものだろう。罪悪感に思わず眉が下がる。

 焦った様子で大津が首を振る。

「いっ、いえ! もう十分撮らせていただいたので大丈夫です!」
「……いいのか?」
「はい、それはもう! 全然!」

 大津の快諾にほっと息を吐く。瞬間、ハッとした。話し方を取り繕うのをすっかり忘れていた。ちらり、横目で大津を伺うも、何かに気づいた素振りはない。撮影に夢中で他のことに気が回っていなかったのかもしれない。何にせよ、助かった。

 実際問題、俺の素がバレたところでどうということはない。ただ漠然と、人当たりがいい人間の方が好かれやすいだろうというだけの話だ。結局のところ、俺は怖いのだ。それこそ、家から離れてもなおいい子のふりをしてしまう程には。

 大津が帰ってもなお、一度落ち込んだ気分はなかなか浮上しなかった。

「赤」
「……ん?」

 青の呼びかけに、気怠い頭を軽くもたげる。青の呼び方はすっかり元に戻っている。そのことにやけに安心する自分がいた。やはり慣れない呼び名では座りが悪かったらしい。

「問二、教えてくれるんだろ」

 ぎゅうぎゅうと問題集を押し付けてくる青に苦笑する。そうだ、そういえばそんな話からこんなことになったんだった。

「……青」
「ん?」
「ハイ、チーズ」

 徐にスマホのカメラを向ける。青は驚いたように軽く目を見開くも、先程のように破顔した。

「撮れた」
「見せて」
「ほら」

 なかなかうまく撮れていた。牧田がどれどれと近寄り、覗き込む。見せて、という言葉にスマホを手渡す。受け取った牧田は、二村を俺の方へ投げつけた。思わず抱きとめる。

「ハイ、チーズ!」
「はぁッ!? オイ!」

 二村の怒鳴り声には御構い無しにシャッター音がする。神谷は先程まで読んでいた本を置き、こちらを見ていた。

「神谷」
「……はい。何ですか」
「おいで」

 嬉しさと、恥ずかしさと苛立ちと。そうした様々な感情が混在した、不機嫌にもよく似た表情を神谷は浮かべた。嫌々といった風に近寄り、そろり、俺の隣に並ぶ。

 パシャリ、撮ると神谷は無言で俺に手を差し出す。写真の具合を確認したいのだろうと見当をつけ、スマホを手渡す。神谷は何やら操作し、俺にスマホを返した。自分のスマホを弄りはじめたところを見るに、LINEで写真を送信したのかもしれない。

 そういえば先程の写真を青と二村の二人に送っていなかったということを思い出す。要らないかもしれないが、神谷のように手を煩わせるのも、気が利かないというものだろう。スマホを操作し、二人に写真を送る。スマホの着信音が二つ響いた。

「写真。二人にも送っといた」

 二人はもそもそとスマホを操作する。よかった、どうやら要るようだ。一応送っておいてよかった。安心し、今更写真を撮りあったことに気恥ずかしさを感じる。そんなこと修学旅行でもやったことがなかった。

「……問二だっけ? ちょっと待ってな。あー、これは式で求めるよりグラフにして求めた方が分かりやすいぞ」
「分かった。因みにこの式は何が違う? 立式できてると思うからどうも納得いかなくて」
「xの条件。あともう一個あるだろ。@式はA式よりも大きいってあるから、そっからもう一個条件出せ」
「分かった」

 青が付箋にメモをし、荷物を片付ける。風紀の勉強会に顔を出すのだろう。

「また帰りに迎えにくる」
「いや、結構こっちの方に構ってくれたから風紀の方にいてやってくれ。帰りは二村にも付いてきてもらうから問題ないだろ」

 二村は勝手な俺の発言にぴくりと眉を上げたが、特に反論はしなかった。そうやって面倒見がいいから俺に利用されるんだぞ。

 ごめんと一言謝ると、二村はおあいこだろ、と返す。どうやら勉強を教えるのでトントンにしてくれるようだ。

「そうか。じゃあ神谷、二村。赤を頼んだ」
「はい」
「……おう」

 青が出ていくと、F組は途端に静かになる。二村の様子に触発され、他の面々も勉強をしはじめたからだ。牧田は相変わらず隅の方で机に腰を掛けこちらを見ている。

「二村、ここのスペル違うぞ」
「……? eか?」
「そう。そこはiじゃなくてe」

 熱心に取り組む二村。不意に牧田が声を掛けてくる。

「椎名くんって頭いいよねぇ」
「……それほどでも。牧田は勉強、やらなくていいのか?」
「俺ぇ? 俺はテストなんてどうでもいいから。勉強なんてしたところでどうにもならないし」

 せせら笑うような言い方に、学期末にはクラス決めのテストがあるはずだが、と言葉を足す。

 桜楠学園の高校三年生も、他校と同じように理系、文系を選択しコースごとに振り分けられる。その際に成績が上のものと下のものとで更にクラスを分けるのだ。例えば理系の成績優秀者がS、成績不振者がA、文系の成績優秀者がB…といった具合に。EはA、Cに入りきらなかった成績不振者が集まる、理文混在組、Fは著しい成績不振者、素行不良者が集められる。

「それこそ、意味がないよ。成績不振者の集まるFに叩き込まれる。それで終わり。上がるつもりなんて毛頭ないね」

 何かを恨むような鋭い目をし、牧田は嘲る。

「でも、椎名くんは上のクラスに行きそうだよね。S組の委員長の質問にもスラスラ答えられるなんて会長よりも頭いいんじゃない? 次のテスト、勝つかもね」

 興味なさげ言われた言葉に、ふるりと肩が震える。

「……それはない」
「なんでさ。よゆーでしょ」
「……俺は、円には勝てないから」

 苦笑して答えると、牧田は虚を突かれたような表情をし、押し黙る。それから「やってらんねぇ」と一言言い、教室から出ていった。





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