あの夏の日を忘れない
1
 きっかけは青の言葉だった。

「もうすぐ試験だから校内の見回りは短縮になる」

 委員たちはハッと顔を強張らせる。

「ゴールデンウィークに気を取られてすっかりテストの存在忘れてた……」

 落胆する一年生たちだったが、不意に顔を上げ橙に拝む。

「頼む! 漆畑は確か特待生だったよな?! 昼飯奢ってやるから勉強教えてくれ!」
「……俺も暇じゃないんだけど」

 橙はスマホを弄りながら答える。右手にスマホ、片耳にイヤホン。橙が情報を集めている時のポーズだった。必死に頼み込む後輩たちを不憫に思い、一声掛ける。

「橙。教えてやれ」
「……分かった。プリンも付けてくれるならいいよ」
「付ける付ける! いくらでも付けてやるから教えてくれ!」

 橙がプリン? 甘いのは苦手ではなかったか。不思議に思いつつ見守る。橙の交友範囲はひどく狭い。これを機会に同級生とも交友を深めてほしかった。余計なお世話かもしれないが橙は俺に依存しすぎているようで心配なのだ。

「じゃあ、テスト一週間前から風紀室で勉強会を開かないか」

 言い出したのは、それまで俺同様話の流れを見守っていた青だ。その提案にすぐさま宮野は飛び付く。あれだろ、お前勉強とかよりも青と引っ付きたいんだろ。半ば呆れながらも悪い提案ではないので賛同する。鯉淵は意外そうに俺を見やる。俺が宮野の接近を阻止するとでも思っていたのだろうか。馬鹿馬鹿しい。

 二村はワイワイと賑わっている委員たちを見ながらむっつりと黙り込んでいる。

「二村。お前はテスト勉強進んでんのか」
「……俺、は参加しなくて大丈夫だ」

 少しずれた返答をし、二村は視線を下に落とした。帰ると言い、風紀室を出ていく。

 その様子に安心したように数名の委員がほっと息を吐く。なるほど。二村の態度の理由に得心する。まったく、きめ細やかなことで。

「俺、やっぱ勉強会パス」

 一方的に言い放ち、風紀室を出る。廊下の向こうには神谷の姿があった。生徒会に書類を渡してきたのだろう。その手には交換とばかりに新しい書類が握られている。

「おつかれ」
「ありがとうございます。今日はもう帰りですか?」
「おう。神谷は?」

 神谷は少し思案顔をした後、「僕ももう帰りますからちょっと待っててください」と言う。風紀室に入った神谷は、宣言通りすぐに出てきた。

「お待たせしました」
「早かったな」
「書類置いて荷物取るだけだったので」
「そっか」

 二人で寮まで並んで歩く。

「神谷は風紀の勉強会、参加するのか?」
「僕ですか? 参加しませんよ。僕は試験勉強に困ってないので」

 神谷は小馬鹿にするような笑みを浮かべ言う。その後、一瞬天井の方へ視線を泳がせ、緊張したように言葉を続けた。

「F組、行くんでしょう。僕も暇なんで付いてってあげますよ」
「え? 別に一人で行けるけど」

 神谷の眉間に皺が寄る。こめかみには血管が浮き出ていた。

「アンタ、その手でもし喧嘩売られたらどうするつもりですか!」

 どうやら左手の心配をしてくれていたらしい。抜糸は済んだものの、手にはまだ包帯がぐるぐると巻かれている。

 神谷を安心させるため俺は努めて明るい口調で言う。

「ほら、一回倒したことあるし案外喧嘩吹っかけられないかもよ?」
「ほんっとバカですね! アンタ今まどろっこしい髪色してるんですから桜楠会長に間違えられるかもしれないでしょう!」

 噛み付くように反論され少し怯む。確かに二村も初めて会った時俺を円だと勘違いして殴りかかってきたので可能性は否定できなかった。形勢が悪いことを自覚するも、遠慮がちにそれに、と言葉を重ねる。

「……俺、蹴りだけでも強いよ?」
「ッ分かんない人ですね! 心配だから僕も連れてけっつってんですよ! こンのヘッポコ!」

 掴みかかるような勢いで言う神谷。俺の負けだ。苦笑する俺の頭を軽く叩き、「付いていきますから!」と一方的に同行を宣言した。

 帰りが比較的早かったからだろうか。寮のエレベーターは空いていた。横で不機嫌そうな顔をしている神谷を確認し、口を開く。

「勉強会は来週の月曜からだから。放課後神谷のクラスに寄る。1-Sだったか?」
「はい」
「……F組。付いてきてくれるの、感謝する。お前はFに対して頑なな態度を取らないから……付いてきてくれるのが神谷なのはとても……助かる」

 やはり心配されるのはむず痒い。居心地の悪さを感じつつも礼を言うと、神谷はハァ、と大きな溜息を吐いた。

「狙ってやってるなら大したものだと思うんですがね」
「……は」

 脈絡のない言葉に唖然とする。なんだ。これ、意味が分からないのは俺がバカだからか。それとも最近の流行でも押さえておけば理解できるのだろうか。何にせよ判然としない。

 頭を捻る俺を尻目に、神谷はまぁいいです、と自己完結してしまう。注釈をつけてくれ。

「僕だから何事もないだけなんですからね」
「? だから助かるって言ってるだろ」
「そういうことを! 言ってるんですよ!」

 俺がエレベーターから降りると、神谷はやけに疲れたような表情をし「閉」ボタンを押す。神谷の部屋は四階にあるらしい。閉められた扉は、ゴンと鈍い音を立て静かに上昇した。なんだあの音。




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