あの夏の日を忘れない
12
 翌日、ベッドに持ち込んだパソコンを操作する。昨日パソコンにパソコンに転送してもらったグッズの資料を眺める。案としてはキーホルダーやハンカチといったありふれたものばかりだ。ぺらりとページを捲ると一つの案に目が留まる。テーマパークモチーフのイラストが描かれているティーカップやポット、スマホカバー。高校生がちょっと背のびをする価格帯になるだろう商品たちは、他の商品よりも一際目を引くものだった。これは恋人とテーマパークを訪れた人に向けたものではないか。

 一律の絵柄で紡がれた商品は、もはや新しいブランドと化していた。──これは。このシリーズを展開するとパークの顔として台頭するものとなる。確信に近い予感を感じ、ぐるりとその案に丸を付ける。

 続いてページを捲る。おもちゃがページの大半を占めていた。ままごとのセットやパークのキャラクターを模ったペンライト、ぬいぐるみ。うーんと首を捻りパソコンに案を打ち込む。パーク内の景色を投影する室内プラネタリウムや、パークのミニチュア、スノードームがあってもいいんじゃないだろうか。発注をお願いする予定として資料に挙げられている企業は、クオリティの高いおもちゃを数多く売り出しているので知れているところだ。もっと凝ったものを発注してもいいだろう。

 俺の考えをパソコンに打ち込んでいると、不意に画面が陰る。

「あっ」
「ゆ〜か〜りぃ〜…」

 パソコンが目の前から消えたことに声を上げる。取り上げられたパソコンを目で追うとにっこりと笑顔で圧をかけてくる一秀がいた。げ、と顔が引きつる。

「熱下がったばっかりなんだから仕事せずに大人しく寝てろ」
「……えー」

 無駄だと知りつつも不満を口にしてみる。

「待って一秀、保存! 保存だけさせて!」
「俺が保存してやるよ。渡したら送信だけ! とか言いそうだし」
「あ、そうか。送信もしないと」

 俺の言葉に一秀は呆れた表情をする。

「……俺が修二の方に送っといてやるよ」
「ありがとう?」

 ありがたい話であるはずなのに嬉しくないのはなんでだろう。

「おうおう、感謝しとけー」

 言いつつ一秀は俺のパソコンを操作しファイルに保存する。

「へぇー…、室内プラネタリウムは面白いな」
「前のページの案がカップル向けっぽかったから。こういうのもおもしろいかと思って」
「ふーん、面白いんじゃないか」

 一秀の言葉に頬を緩める。

「そうか。あ、そうだ。頼みたいことがあるんだけど」
「ん、なんだ」

 資料のページを繰り、丸を付けたところを指さしみせる。

「ここ。この案出した人誰か調べておいてくれ」
「へぇ〜、分かった。調べておく」

 一秀が頷いた丁度その時、何か物が倒れるような音が微かに聞こえた。

「……っ今、」
「ああ。由はここで」
「いや。俺も見にいく」

 一秀は僅かに沈黙した後、浅く頷き了承する。

「……分かった」

 音の元は父の部屋だった。ドアを開けると仏壇の前で母が倒れている。

「母さんッ!」

 慌てて抱き起すが目立った外傷はない。顔色は驚くほど白く、そのまま死んでしまうのではないかと思われた。妙に冷静な頭で辺りを見渡す。仏壇に置いていた鐘や写真が落ち、線香の灰が床に撒き散らされていた。先程の音はこれによるものか。

 微かに目を開けた母がうっすらと口を開く。

「ゆ、かり」

 ……由?

 久しぶりに母の口から聞いた自分の名前に、思わず動きを止める。母の目は俺を映していなかった。

「由は、いい子、だったの」
「……そう」
「由は、アンタと、円と違って、いい子だったのに」

 あぁそうか。続いた言葉に落胆する。まだ、夢を見ているのか。

「死んだら、由とあの人に会えるのかしら」

 苦し気に紡ぎ、母はそのまま昏倒した。

「……会おうと思えばいつだって会えるよ」

 知らぬ間に俯けていた顔を上げる。母を彼女の部屋に連れていかなければならなかった。由、と一秀の制止する言葉を無視し、母を抱きあげる。左手の患部に当たらないよう、腕を使って慎重に。

「俺をいい子って言う割に勝手に殺しちゃうんだから性質悪いよなぁ……」

 いっそのこと由のことも嫌ってくれたら。いつか俺が本当は生きていることに気づくんじゃないか。由と、自分の名を呼んでくれるんじゃないか。そんなこと叶いはしないと、壊れた母を見るたびに心のどこかが俺に囁く。本当はそれが正しいのだろう。そうだ、そんな都合のいい話ある訳がない。それでも。死んだ幻想の由を呼んでいるのだと分かっていても、俺は期待をせずにはいられないのだ。

 馬鹿げている。何もかも忘れてしまった円も馬鹿げているし、勝手に俺を殺し円を憎んでいる母も馬鹿げている。じゃあ、俺は? 全てを覚えているにも関わらず過去の安寧を求める俺はどうだ?

 それを査定する人こそいないけれど。やっぱり俺も等しく馬鹿げているのだろうと、そう思った。






 結局残りのゴールデンウィークは母に付きっきりで看病するだけで終わってしまった。今日はゴールデンウィーク最終日。学園に帰る日だ。昼まで母さんの様子を見ていたのだがそろそろ帰らなければ夕方に学園に到着できない。

 母の具合だが、一向に良くなることがなかった。どうやら風邪ではなさそうだと昨日医者を呼ぶも、はっきりと病状は上げられない。一応病院に出向いて精密検査を受けてくれと言って医者は帰った。

「じゃ、由は学園の方で抜糸してもらえよ」
「分かった。母さんのこと、よろしく」
「おう。体に気を付けてな」
「分かった。一秀も気を付けて」
「由の分かったとか気を付けるってイマイチ信用できねぇんだよな…」

 車を降り、学園まで送ってくれた一秀に最後の挨拶をする。畠さんと同じようなことを言う一秀に苦笑した。

「……そういえば気になってたんだけどさ」
「なんだ?」
「修二はどこの高校行ってんだ?」

 修二は俺の一個下だから桜楠に押しかけてきそうな気がしていたんだが。それこそ誰かさんのように。聞かれた一秀はニヤッと意地悪そうに笑い声を潜める。

「……なんだ、修二のやつ言ってなかったのか。余程悔しかったんだな。聞いて驚け。千頭高校だ」
「……なんで千頭」

 予想外の高校にポカンとする。わざわざあんな近場であることしか利点のない高校に行かなくても。

「由が高校を編入学すること、うっかり内緒にしてたらよ。いざ入学して由がいない〜! って」
「……余程徹底して隠さない限り修二にその情報が渡らねぇ訳ねぇだろ」
「執事たるものそれくらいの情報自分で掴み取ってほしいもんだな」

 ぬけぬけと言う一秀に呆れる。仲がいいんだか、悪いんだか。
「ま、そういう訳でアイツは千頭だ。もしかすると来年編入しやがるかもしれねぇから取りあえず今年だけ。そういえば千頭の方で気になることがあるとか言ってたな」
「気になること?」
「椎名君がいなくて残念だったでしょ。彼、桜楠に編入しちゃったからね」
「……そう言われたのか?」
「そう。一年じゃない、とは言ってたが。修二が『何で知って』って返すと、」

 スッと一秀が表情を消す。薄く唇が開かれる。

「──ビンゴって言ったらしいぜ、そいつ」

 にやり、唇が自然と釣り上がる。目が鋭くなるのを感じた。

「へぇ」

 誰だろうな。

「それじゃ、気をつけろよ」
「ん、了解」

 ひらりと手を振り一秀が窓を閉める。去りゆく車を見送り、学園に入る。ちょうど夕飯にいい時間だ。俺は寮に戻る前に食堂に寄ることにした。

 食堂に入るとざわりと空気がざわめくのを感じた。桜楠様、とかけられた言葉に思わず顔を顰める。桜楠、桜楠とどいつもこいつも。苛立ちに胸がどす黒く染まる。食事を求めて食堂に来たはずなのに、食欲はすっかり失せていた。

 奥の方で長谷川、三浦、花井の三人が食事をしているのが見えた。そちらの席に向かおうと一歩踏み出したところで声がかかる。

「桜楠様っ!」

 嬉しそうに駆け寄ってくる小柄な生徒。円の親衛隊だろうか。キラキラとした視線が鬱陶しくまとわりつく。このまま円の振りをして蹴散らしてしまおうかという物騒な考えすら浮かんだ。

「……桜楠様、ゴールデンウィークはしっかり休まれましたか?」

 にこり、笑って俺は円じゃないと言わなければならない。理解しているにも関わらず、頬は強張りぴくりとも動かない。

「……俺は、」

 もつれる舌を解き言葉を吐きだす。

「違いますよね」

 俺の声を遮るように、冷たい声が割って入る。絡めとるように前髪を掴み引き寄せられる。ぶちり、黒い髪がいくつか抜けたのか軽い痛みが頭皮に走る。間近に俺を睨みつけるのは円の親衛隊長、吉衛先輩だった。

「なんですか、こんな色にして。円様になれると、そう思ったんですか?」

 うっそりと弧を描く唇にぼうっと見入る。先輩の目は俺を軽蔑していることがありありと分かるものだった。それほど彼の目には温度がない。

「アンタは、円様にはなれない。椎名由、それがお前の名前だろう」

 ぎくりと身を竦ませる。吉衛先輩は俺の様子に構うことなく言葉を続ける。

「いいかぼんくら、よく覚えておけ。誰が間違おうと僕だけは円様とアンタを間違えたりしない。馬鹿にするのも大概にしろッ」

 吐き捨てるように投げつけられた言葉に呆然とする。そうだ。俺の、俺の名前は椎名由で。俺は円とは違う。誰に間違われようが俺は由で。混乱する頭が、徐々に吉衛先輩の言葉を理解する。浸透する。決して俺を好きではない人が言った。それだけに彼の本心だと伝わってくる。

 俺と吉衛先輩の間でいざこざが勃発していると誰かが訴えたのだろうか。青が食堂にやってくるのを視界の端で捉える。見えてはいた。しかしそれどころではなかった。

「……ありがとう」

 吉衛先輩の体に抱き着く。ドクドクと心臓の高鳴る音がやけに大きく聞こえた。周りの生徒の驚くような顔に頭の中の何かが制止をかける。だがそんなのはどうでもいい。

 腹の底から高揚を感じる。笑いだしたいような気分だった。吉衛先輩を抱きあげ、くるりと回る。足りない。まだ足りない。嬉しくて、楽しくて。こんな気持ちはなんと言うのだったか。

 ──あぁそうだ。この気持ちは。思い浮かんだ言葉はストンと胸に落ちた。

「先輩、好きです」
「そうですか、僕は嫌いです」

 率直に向けられた嫌悪に笑う。青の呆然とした顔がちらりと見えた。


【三章へ続く】





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