あの夏の日を忘れない
39
 時刻は十二時。当番も終わり自由時間だ。腹も減ったしどこかで昼食をとるとするか。
 荷物をポケットにねじ込み廊下に出る。

「よっ」
「……よぉ」

 ひらりと手を振る青。挨拶を返すのが気恥ずかしくむっつりとした物言いになる。肩を揺らす青にはそんな俺の気持ちもお見通しなのかもしれないが。

「昼でもどうだ? 桜楠のクラスが王国カフェをやってるんだと。その後は茶道部に行こうぜ。二村がお茶を点てるらしい」
「二村が?」

 あいつ茶道部だったのか。確かに二村の家は茶華道で有名だ。知ってはいたが今の今まで二村と結びつかなかった。

「意外だよなぁ」
「……ああ、でも言われてみればしっくりくるよ」

 俺の言葉にそうかぁ? と首を傾げた青だったが、まぁいいやと手を差し出す。

「さ、行こっか赤」
「この手は?」
「迷子防止、とか?」
「なんで疑問形だよ」

 まぁいいや。青の真似をして手を重ねる。何食わぬ顔を取り繕ったが、ばれちゃいないだろうか。じわりと手に汗が滲んだ。

「そういえばさ」
「ん?」

 手を引くようにして歩いていた青が振り返る。奇妙な動きをした心臓を自覚しつつ相槌を打つ。

「赤。三時からの見回り、舞台の方な」
「舞台? あそこは宮野と鯉渕が担当じゃなかったか」
「まぁな。ただ三時からは舞台でイベントがある。一年二人には荷が重いかもと思い直してな。俺と赤で回ることにした」
「……随分両極端だな」
「それだけのイベントなんだよ」

 ふぅん。初等部からいる青の判断だ。間違いはないだろう。

「分かった。じゃあ二村のとこ寄った後どっかで時間潰して舞台行くか」
「あ。じゃあさ、お化け屋敷いかねぇ? 三年A組の、結構すごいらしいぜ」

 横内先輩と吉衛先輩のクラスか。その二人の所属というだけでとてつもなくクオリティーが高そうに思えてしまう。

「いいけど、俺あんま面白い反応できねぇよ」
「芸人じゃないんだから、いいよ別に。代わりに俺が怖がっとくし」
「お前もお化け怖い質じゃないだろうに」

 変なことを言う青にクスリと笑う。繋いだ手に柔く力が込められる。

「着いた着いた。見て赤、やべー人の数」

 二年S組。円のクラスだ。受付が入国審査風になっているらしく、装飾がなかなか凝っている。

「パンフレット拝見しまぁす」
「江坂?」

 間延びしたに声をかける。副くんだ、と小さく振られる江坂の手。黒い皮手袋が嵌められている。入国審査をしている門兵だろうか。こだわりを感じる。

「賑わってるな」
「僕のおかげでね。っていうのは嘘だけど。やっぱりかいちょーパワーはおっきいよ。帰ってきてからかいちょー、ノリノリなんだもん。あとは〜、日置プロデュースってのもあるかな」

 ほら、と促され教室の中を覗き見る。

「会長〜、これも食べてください。おいしいですよ」
「んっ? ああ、ありがとう。ありがたくいただくよ」
「会長、飲み物どうぞ」

 ……いやいやいやいや。

「ホストクラブかよ」
「はは、やっぱり? 貢ぐシステムなんてなかったんだけど気が付いたらこれだよ。流石かいちょー」

 会長パワーってこれのことかよ。想像していた方向と百五十度くらい違う。となると日置プロデュースというのは

「うん、日置がプロデュースしたのはチップシステムだね」

 碌でもねぇ。

***

 ホストクラブ……じゃない、王国カフェで昼食を済ませた俺たちは二村のいる茶室にいた。苦にする様子もなく正座をした茶を点てる二村はなるほど確かに茶華道のお家柄なのだろう。身を包む和服もしっくりときている。

 カタン。
 釜に柄杓を置く音がした。続けて茶筅が茶碗の中で動き出す。伸びた背筋から茶器を動かす手までのラインが美しい。学園にいる間も密かに稽古を続けていたのだろうと一目見て分かる、洗練された手つき。

「……きれい」

 茶碗を差し出す二村の手が止まる。
 これまで黙々と茶を点てていた二村が初めてその動作を崩した。恨めしそうに睨む二村に、はてと首を傾げる。
 青を見ると静かに首を振られる。なんだっていうんだ。二村は呆れたように小さく溜息を吐き、茶碗を回す。所作はやはり美しかった。

***

 ところ変わり、三年A組に続く廊下。雑踏の中、ふと思い出したことに足を止める。

「そういや、明日甲斐が来るらしい」
「はッ??!」

 勢いよく振り向いた青に一瞬びくつく。

「甲斐ってあの甲斐だよな? 中学の頃の同級生の」
「そうそう。さっき越が教えてくれた」
「待って」

 情報量が多いと頭を抱える青に、そういえば越は退学になってたんだと思い至る。青のこのリアクションからして、知ってて俺には伏せていたのだろう。実際、退学後の越の状態を知らない上で知らされていたらかなり気にする案件である。
 俺自身の気付かないところで守っていてくれたんだと思うとむずがゆい。

「……明日の見回り当番、組み直すか」
「悪いな」
「いいや全く。不自由な思いをするかもしれねぇ、ごめんな」

 お互いに謝りあったことがおかしくて、小さく笑う。俺の笑った理由に気付いた青も、控えめに微笑んだ。相変わらず手を繋いだまま廊下を進み――青が足を止める。
 三年A組。話には聞いていたがずらりと続く列からして、先輩方の出し物は大盛況のようである。
 列に並び順番を待つ。前に人がいなくなると、受付の人物がおやと声を上げる。

「椎名様。三年A組のお化け屋敷へようこそ」

 楽しんでいってくださいね。

 にこりと微笑む横内先輩。青が体を屈め先輩に耳打ちをする。

「明日、椎名の身の回りの動きに気をかけてほしい。ひと騒動ありそうだ」
「分かりました、隊員にも伝えておきます」
「……それと、これは関係ないんだが」

 青の声が更に潜められる。何を言ったかは分からなかった。

「いえ、僕は出ませんよ」
「いいのか?」

 何の話だろう。先輩がちらりと俺を見る。俺に関する話だろうか。

「学園にいる間だけでいいのです。この学園でこの関係性のまま。卒業して、ふとした瞬間にああそういえば横内という三年がいたなぁと思い出してくだされば、それだけで」

 青に向けているようで、俺に言っているような。会話に入っているともいえない状況に、返事をすべきか迷ってしまう。

 さ、と俺たちの背を押した先輩は、自分の中で話を終わらせたようだった。

「いってらっしゃい」

 お化け屋敷は、青もビビるほどの高クオリティーだったとだけ述べておく。






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