あの夏の日を忘れない
1
「なぐ……やめ、由……ッ、なんで逃が……ッたすけ、」

 呻き声がマイクに乗って講堂に響く。直後、円の体が崩れ落ちる。悲鳴を上げる周囲に拳を握った。

 円の記憶が戻ってしまった。

 どこまで思い出したか分からないが、あの言葉からするとその殆どが蘇ったと考えた方がいいだろう。

 視線を上げると、周囲は俺から一歩引く。恐ろしい物を見るような目に、なるほどと独りごちる。円の呻き声から、俺が円を虐めた結果円は桜楠になったと思ったのだろう。確かにあれはそう捉えられても仕方がない。

 円は教師に担架で運ばれる。恐らく学外の救急病院に搬送されるのだろう。

 俺はふっと笑い、壇上に上がる。円の言葉の意味は俺だけが知っていればいい。隣で悔しそうに歯がみする青に、あぁと思い直す。そういえばこいつもあの言葉の真意が分かるようになったのだったか。

「赤、」
「あぁ。面倒なことになったな」

 この学園に円を慕う者は多い。今の言葉でその大半が俺の敵に回ったと考えた方がいいだろう。さて、夏休み中に睨んできた田辺がどう動くのか。場合によってはそこの親衛隊も敵に回ってしまう。俺の思考を遮るように大きな音が鳴り響く。

「うるっせぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!! 座れッッッ!!」

 マイクスタンドを倒し、力一杯マイクを握った田辺が叫ぶ。マイクを通した大声に、びくりと生徒の動きが止まる。

「憶測で物を言うなッッ! 誰かのためを言い訳にして人を踏みにじるなッ!!! そんなの、ただの独りよがりの正義だと早く気付けッッ!!!!」

 我がことのように顔を顰めた田辺は、苦しげに言葉を続ける。

「桜楠の、一番守りたい物は他でもない、椎名だ。頼むよ。呻き声一つで分かった気にならないでくれ。俺達はそんなに賢くない。……俺の友人をみだりに傷つけないでくれ」

 田辺は深く、頭を下げる。どれだけの間そうしていただろう。静まりかえった中、田辺の掠れた呟きが耳に届いた。

「ごめん、椎名……」
「田辺」

 声をかけると、田辺は弾かれたように顔を上げてこちらを見る。

「いいよ。許すよ」
「……だから、すぐに許すなって……ッ」
「我が侭言うなよ」

 すぐに許すなと言われても、気にしてないのだから仕方ない。
 呆れた口調で言う俺に、田辺は眉を垂らす。

「椎名は、甘すぎる」
「は? お前が兄貴のこと泣かせたらその時はぶち殺すから。やるつもりもねぇけど」
「あれ椎名ってこんなにブラコンだったっけ」
「……円が思い出したなら、こっちも意地張る訳にいかねぇだろ」

 あの兄はきっと俺の言葉を気にして頑張ってくれたのだろうから。

 とはいえ、面倒なことになった。田辺からマイクを奪い、口元に添える。

「さて。残りの集会をやろうか。生徒会長の言葉を飛ばして、次。風紀委員長? 挨拶よろしくね」

 にこ、と微笑む。
 ざわり、小さなざわめきが広がる。壇上下の一角。三年生の席から、一際強い視線を感じた。





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