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「アカギ、あー、腹減ってないか」
「あまり」
「お、俺は減ってるんだが」
「じゃぁ食べようよ」
「へ?」
「途中で腹が減ったからって逃げられないように」
悪漢。
悪漢が居る。
南郷は笑顔のままにサーっと血の気が引いた。
だが言ってしまったものはしょうがない。
こうして自ら墓穴を掘り、逃げ道を一つずつ潰していく。
そもそも逃げる気はあまりないのだが、それでも踏み出す勇気がまだ出ない。それだけなのだ。
それから冷蔵庫の中のもので適当に食事を作り、食べ始めた。
そのとき不意に、アカギの頭の包帯が目に入った南郷は、傷のことが気になった。
「アカギ」
「ん?」
「傷は平気か?痛くないか」
「あぁ、大丈夫。包帯も邪魔だから外したいんだけどね」
「一応は明日までしておけよ」
「うん」
食べ終えれば食器を流しに運んで水に着け、ご丁寧に食後のお茶など淹れて飲む。
まだアカギは大人しい。
そんな少年を横目に、さて洗い物をするかと白々しく立ち上がろうとした南郷の手首が、捕らえられる。
「南郷さん」
「・・・あ、アカギ」
「そろそろ限界」
「ま、まだ洗い物が」
「聞き分けのねぇ人だな」
「え?」
アカギは南郷の手を引いて布団に連れていき、トンっと足を引っ掛けて転がした。
「おわっ」
またもや簡単に倒された南郷。
別段アカギは合気道などをやっているわけではもちろんなく、喧嘩をしているうちに人体の扱いを覚えたと言う方が正しい。
飲み込みの良いこの少年は、何度かの喧嘩で人体の弱い部位や、揺るがすと効果的な人体の軸、そんなものを覚えたようであった。
「あ、危ないだろ」
「アンタが往生際悪いからだよ」
アカギは南郷を強引に布団まで連れてきたものの、しっかりと電気は消してやれるだけの余裕があった。
だが暗くなったことにより、南郷はさらに身体を硬くする。
今日はまた、随分と月が明るい。
銭湯から戻るときはそれどころじゃなかったから見上げなかったが、もしかしたら満月なのかもしれない、と南郷は思う。
アカギは立ったまま、上に着ているものを全て脱いで無造作に放り投げた。
華奢な白い体が月明かりに照らされて、綺麗だと南郷は素直に感じた。
そのままアカギは静かに膝を着いて、南郷に寄り、シャツの裾に手を掛けた。
南郷は思わずその手を掴む。
「ちょっ・・待っ・・待てアカギ!」
「いいから」
制止も一蹴してそのまま進めようとするアカギは、確かに本人の言う通り限界のようであった。
「おまっ・・待てって!」
「何?」
それでもつい止めてしまう南郷。これからされることを思えば仕方ないが。
アカギは眉を寄せて南郷を見た。欲情している瞳は月明かりに照らされて、少しだけ大人の顔に見える。
暗がりの中ではあるが、南郷が真っ赤になっているであろうことはアカギには手に取るように分かった。
「い、いきなり過ぎるだろっ」
「随分待ったと思うけど」
「俺にだって心の準備ってもんがなぁ!」
「今更じゃない、南郷さん」
既に獲物は手の中で、少年は興奮に思わず笑みさえ浮かべるほどだ。
「いくら、なんでも、いきなり、その・・・」
「大丈夫だから」
何がどう大丈夫なのか聞きたいところだが、それよりもまず、どこまでされるのか知りたい南郷。
女々しいことは分かっているが、今この状況で女々しいも何も無いだろうと、覆い被さっている少年をチラリと見上げた。
「アカギ、慣れてんのか?」
「何が」
「男と、こういうの」
「まさか」
「だ、だよな」
声を掛けられたことはあるが殴ったと言っていた。それは南郷も覚えている。
というかこの歳でまさかセックスに覚えがあるわけがない、というのが南郷の中の常識だ。
「初めてだよ」
ならば多少触れ合って満足するのではないかと南郷は安易な考えに至る。
「男とはね」
「はっ?」
予想外の台詞に南郷は思わず目を瞬いた。
「いいから、もう黙ってなよ」
言いながらアカギは南郷のシャツを捲り上げた。
月明かりは夕日より妙に艶かしい。
筋肉の筋はより陰影深く照らし出され、南郷の裸は妙にソソッた。
頭から強引にTシャツを抜かれたところで南郷は我に返る。
「待て待て待て!」
「何さ、さっきから」
アカギは南郷のシャツを放り投げた。
「お前っ、男とはってことは、女とは経験あんのか!」
「そこ?」
疑問の位置に思わずアカギは首を傾げた。
「その歳でシたことあるなんておかしいだろ!」
「知らないよそんなの。向こうが勝手に進めたんだ」
どうにも色気のない空気にアカギはハァと溜息を一つ。
だが南郷はそんなことよりもアカギの経験の方が重要であるらしい。
逆レイプなどといったことでは決してないのだが、アカギは確かに経験がそれなりにあった。どうにも水商売の女にモてるアカギは、経験に至るまでに特に抵抗はなく、女を喜ばせる術さえ知っていた。
だがアカギには非常につまらないことであるようだった。
まだ触れ合わずとも南郷と居るときの方がましである。
「て、抵抗しろよ!そういうときは」
「どうして」
「どうしてって・・・こ、こういうことは、ちゃんと、お、想い合った相手と、だな」
自分で言っていてやはり女々しいと思ったが、それでも南郷には大事なことであった。
途切れ途切れにだがそれを伝えると、アカギはキョトンとしていて。
「だから今、そうしてるじゃない」
「え?」
「違うの?」
「・・・」
真っ直ぐな瞳は赤い焔を抱いているが、とても、深い。
虚栄も見栄もなく、ただ純粋に、好きな者を求める目。
思わず南郷は息を飲んだ。
嬉しいやら恥ずかしいやらで、ますます頭の中がおかしくなる。
「ち、違わない、けど」
「じゃぁいいじゃない。ほら、もう黙ってよ」
「でもっ」
「いいから」
いつもの『いいから』。
これで毎度の如く丸め込まれる。
分かってはいるんだ。丸め込まれるのだって自分が納得した上でなのだと。そうなることを己も望んでいるのだと。
南郷は気付けば、抵抗の力を抜いていた。
ツカマエタ