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「あー、南郷さん、その、そういうことを、言われたわけかい」
「えぇまぁ。今夜の勝負に勝ったら俺のものになってくれって」
「・・・で?」
「頷きましたけど」
安岡は笑みを固めたままでウンウンと頷いた。
予想通りである。
「南郷さん」
「はい」
「アカギに好きだと言われ、アンタも好きだと言った」
「えぇ」
「俺のもんになれと言われて、アンタは頷いた」
「はぁ」
「その真意は?」
「寂しいんでしょうねぇ」
ダメだこりゃ、と安岡は視線を天井に向けて息を吐いた。
自分には関係ないことだが、さすがにここまでくると南郷よりもアカギの方が哀れに思えてくる始末。
安岡が顔を出した一昨日の夜も、アカギの指摘通り実は少しの間だけ部屋に聞き耳を立てていたのだが、何やらしていることは分かったがじゃれている程度だと思っていた。だがもしかしたら本気で危なかったのではないかと安岡は今更ながらあのタイミングでノックをした己を褒めたくなる。
「俺が行った日あったろう」
「一昨日ですか」
「あぁ」
「あんときは、何があったんだい」
「は?」
「俺が行く前だよ」
「え、あぁ、いやアカギがね・・・っ」
南郷は言葉を止めて、途端に耳まで赤くなった。それから下を向いてしどろもどろになりながら、時折咳払いをする。
これはこれで意外な反応であった。
「あぁ、もういいよ。それよりそろそろ時間だ」
「え?あぁ、もうこんな時間か」
「アカギはまだ来ねぇな」
少しして、今夜の立会人である宮内組の組長が到着したことを聞かされると、二人は俄かに慌て始めた。既に指定時刻の十分前である。
昼間は特に妙な素振りはなかったどころか、今夜を楽しみにさえしていた様子を思えば、南郷は不安でならない。
安岡が拉致の可能性を仄めかせば、さらに心配は増した。
暫く待つこと三十分。当に時間は過ぎていて、川田組を待たせている状態である。
仕方が無く、勝負は南郷を打ち手にして開始されることになった。
当然だが南郷が市川に敵うわけも無く、ピンチに至ったときにやっとアカギは現れて、勝負はようやくアカギと市川で再開されたのだった。
***************
数時間後。
勝負は決した。
凡人には並ぶことさえ許されないハイレベルの勝負。
龍と虎。
そんな死闘の挙句、勝ったのは、アカギであった。
狂気、まさしく狂気の夜。
それは悪魔の成せる業である。
あの市川を打ち倒した子供は、後に伝説と呼ばれる男となる。
川田組の撤退後、部屋に残ったのはそれぞれの儲けを腕にして喜ぶ南郷と安岡、そして先ほどまでの狂気をまるで感じさせない子供だけ。
目の前の札束に何の反応も見せないアカギに、南郷は目を細めた。
自分には届かない領域にこの少年は居るのだと思い知らされたのだ。それは確かな絶望と、小さな憧れを、南郷の胸に落とした。
「今夜は宴会だ、南郷さん!飲もうじゃないか」
「え、えぇ」
「アカギ、お前も飲むだろ!」
「・・・別に構わないけど」
熱の引いたこの子供は、いつもの感慨無い表情のまま安岡にそう告げる。
市川を目の前にしていたときのあの焔はもう無い。
「じゃぁ隣の部屋に行こう。俺たちの分が用意されてる。酒を追加だ」
安岡は未だ興奮冷め遣らずな様子で、勢い良く部屋を出ていった。ちょうど傍を通った仲居に、店にある最高の品を全部持って来いと、俄か金持ちの言いそうなことを高らかに吐いている。
南郷もアカギの様子にさえ気付かなければそうなっていた所だが、今はそんな気も失せ、アカギのことが気になった。
するとアカギはゆっくりと立ち上がり、南郷を見る。
「南郷さん、これ、持ってて」
アカギは自分の分の札束を二つ、ポンと適当に南郷に渡した。
「お、おい」
「どうせ帰るとこ同じなんだし」
「・・・分かったよ」
南郷は自分の分と一緒に札束をジャケットの両方のポケットに捻り込んだ。
不自然に盛り上がってるその部分に、だがやはり南郷は頬が緩むことを禁じえない。
「それと、約束、覚えてる?」
「へ?」
「俺が勝ったら」
「あ、あぁ」
「そりゃ良かった」
興味の無い玩具は南郷のポケットの中。それは最早どうでも良い。
アカギは今、目の前の男の方が大事だった。
本来なら今すぐにでもどうにかしたいところであったが、廊下の方から聞こえる安岡の呼び声に肩を竦めた。
「行きましょうか、馬鹿な刑事が呼んでる」
「そう言うなよ。安岡さんだって喜んでるのさ」
「だから馬鹿なのさ。あの程度の金、あの人ならすぐ消えちまう」
「・・・」
それから隣に席を移せば、三人で飲み会を開始した。
アカギが来る前からいくらか飲んでいた安岡は、金を得た興奮でその酔いが今更来たのか、さらに酒を加えればすぐに酔っ払いになった。南郷もしたたか酔ったか、少し顔を赤くしている。
アカギは注がれるままに酒を入れたが、あまり回ってはいないようだった。
総合した量を考えれば確かに二人よりは飲んでいないが、だが子供が飲むには充分過ぎる分は飲んでいるはずである。
南郷は酒のせいで先ほどまでの気分は消え失せたか、程良く浮付いた心地良さのままにアカギの肩に腕を回した。そして笑いながらアカギの杯に酒を注ぐ。
普段はアカギにビールさえ飲ませないくせに、酔うとこうなるのかとアカギは小さく笑った。
「アカギ、お前強いんだなぁ」
「どうだかね。体質じゃない」
確かに、アカギは酒に慣れているとか、弱かったのが強くなったとかいうことではなく、元からあまり酔わない性質のようであった。
「南郷さんは酔ってるみたいだね」
「そりゃそうさ」
ハッハッと楽しそうに笑う南郷を見ながら、アカギは注がれた酒を一口喉に流した。
逆側から今度は安岡が寄ってきて、半分ほど酒が残っていたお猪口にさらに注ぐ。
「飲め飲めアカギ!俺が居るんだ、未成年飲酒なんて気にするな!」
「鼻から気にしちゃいませんよ」
「それでこそアカギだ!」
「南郷さんが飲み過ぎないうちに帰るけどね」
「何言ってやがる!今夜は飲み明か・・・あぁ、そうか」
安岡は酔っ払いらしく酒臭い息を吐きながらニィッと笑みを浮かべた。
「南郷さんがようやくお前のもんになるんだもんなぁ」
「っ・・・」
アカギは目を瞬いて南郷を見た。
「話したの、南郷さん」
「ん?あぁ話したぞぉ。これで俺はお前のもんだ!家族だ!嬉しいだろ!」
「・・・」
安岡は思わず笑い出すが、アカギは溜息を一つ。
クラヤミガアケテ