22
入る前に南郷に告げた三十分。
それも経たないうちにアカギは店から出て来た。
七本目の煙草を銜えてイライラした様子で足を揺すっていた南郷は、アカギを見るなりすぐさま駆け寄って、怪我が無いことを知れば心底ホッとしていた。
そしてアカギは、店内で出会った今夜の対戦相手である盲目の老人、市川に、静かな蒼い炎を滾らせていたのだった。
そんなアカギの腰には、シャツで隠すようにしてベルトに挟まれている拳銃が一つ。もちろん南郷は気付いていない。
そのまま来たときと同じ道を戻りながら、南郷は中での様子を聞いた。アカギはクックッと可笑しそうに笑いながら、視線を南郷へ向けた。
「予想通りだよ。寝返れってさ」
「そ、それで」
「いくらかなら条件飲むって言うからさ、半分って」
「掛け金の?四百万ってことか!」
「あんたまで何ずれたこと言ってんだ」
「は?」
「そんなんじゃ足りねぇよ」
「なっ・・・」
「アイツら何にも分かっちゃいない」
「お前、いくらふっかけたんだよ」
「金なんてどうでも良いのにね」
「おい」
「とにかく交渉は決裂。今夜の勝負は決行だ」
「アカギぃ」
「楽しみだよ」
「お前ってやつは」
「南郷さん、俺これからちょっと用事があるんだ」
「え?」
「先に行っててよ。ちゃんと後から俺も行くから」
「だ、だがアカギ」
「いいから」
「・・・あ、あぁ」
アカギの言葉には何故か勝てない。
南郷は素直に従い、途中でアカギと別れた。アカギはもちろんチンピラ達との約束の場所へ向かう。
今から港へ向かえばもしかしたら市川との勝負には遅れるかもしれない。
だがそんなことはどうでも良かった。玩具も手に入れたことだし、本物を実感できる場があるならば、どこでも良い。
そして数時間後、南郷は安岡と落ち合いタクシーを拾うと、赤坂の料亭へ向かった。
「アカギはどうした」
「後から来ます」
「おいおい」
「何か用事があるって」
「仕方ねぇなぁ」
「実は昼間、川田組の奴らに呼び出されたんですよ」
「何だと!」
「いや俺も止めたんですけどね、アカギの奴、言うこと聞かなくて」
「大丈夫だったのか」
「えぇ、金で降りるように言われたらしいんですけどね」
「怪我は」
「ありません。その話も蹴って、終わったそうです」
「そうか」
「待ってる間は生きた心地しませんでしたよ」
「まぁ殺されてもおかしくねぇ相手だからな」
「連中の巣に飛び込んでいくなんざ、正気じゃねぇ」
「今更だろう」
「・・・そうですね」
「アイツに正気を求める方が間違ってんのさ」
まだ少し早い時間に料亭『佐々川』に到着すれば、安岡のセッティング通り三部屋用意されていて、二人はそのうちの一部屋へ通される。卓の用意がされている部屋の隣である。逆隣の部屋には、川田組の者と代打ちの男が既に到着して居るとのことであった。
時間まではそこで過ごすことになり、すぐに食事と酒が運ばれてくる。
川田組や竹吉組ほどの組織を巻き込んだ客ともなれば店の対応も随分と違うもので、ご丁寧に女将にお酌までされた。だがすぐに下がらせて、部屋には二人きりになる。
「なんだか落ち着かないですね」
「まぁまだ時間はあるんだ。少し飲もうぜ南郷さん」
「こんな店は慣れてない」
「そりゃそうだろうよ」
安岡は鼻で笑いながら、お猪口の中の透明な酒をグイッと煽った。
「今夜はいくら飲んでも酔えはしなそうだな」
「えぇ」
言いながら南郷も、日本酒を喉に流す。
「今夜は大勝負だ。俺もアンタも、下手すりゃ生きるか死ぬかだな」
「分かってますよ」
「あのガキは、勝つ気らしいが」
「どっから湧いてくる自信なんだか」
「あの夜を見てる俺らからすれば、それも納得するとこじゃないか?」
「それも、そうですね」
「アイツあの後、麻雀は」
「一度教えてくれって言われましてね」
「そりゃ面白い」
安岡は思わず笑いながら、南郷の空のお猪口に酒を注いだ。
南郷も安岡の猪口に同じように注ぐ。
「俺も笑っちまいましたよ。俺が教えるなんて」
「そりゃそうだ」
「何教えたらいいかも分からんもんだから、麻雀の教本みたいなもんがちょうどウチにありましてね、それを読ませたんですよ」
「アイツ本読めんのかい」
「読んでましたよ」
「へぇ」
「その後に勝負を挑まれまして、まぁ、惨敗です」
「そうだろうよ」
「俺が教えてない手も覚えてましたから、本の中身は大体理解したんでしょう」
「恐ろしいガキだな」
「えぇ」
「それくらいか?」
「俺とはね」
「ん?」
「どうやら雀荘に行ったようなんですよ。どこの誰のもんかも知らない財布を三つ、持って帰ってきましたよ」
「やるなぁ」
「金の感覚が狂ってやがる」
「そうでもないさ。俺にもリスクを背負わせたあたり、狂気紛いのくせに金のことも分かってやがる」
「はぁ」
「本当にガキくささのねぇガキだ」
「見た目は子供なんですがねぇ」
「だがたまに、凄みの効いた目をしやがるだろう」
「えぇ、確かに」
「今夜だって請け負うこと自体が狂ってる」
「・・・」
時折つまみを口に運びながら、ちびちびと酒を空けていった。
「狂ってるというか、変なんですよ」
「同じだろ」
「言うことがね、意味が分からない」
「確かに度を越えてるな」
「超えてるとかじゃなくて、ホントに意味が分からんことをたまに言うんですよ」
「へぇ、例えば」
「昨晩もね、俺のことが好きかって突然聞いてきて」
「・・・」
「好きだと答えれば俺も好きだと言って、ね、よく分からないでしょ」
「そう、だな」
「子供らしいと言えば子供らしいんですがね」
「どう、かな」
「不安になったんですかねぇ」
「そう、かもな」
「アイツ家が無いとか言うくらいだし、家族とか、そういうのが、問題あるのかと思ってね・・・」
「アンタなぁ、本当、気を付けな」
「え?」
「まぁそんくらいならまだ、いいか」
「何がですか」
「他には何かあったかい」
「何かって」
「妙なことされてないかい」
「妙なことって何ですか」
思わず南郷は笑い、つられて安岡も笑うが目は笑っていない。
「いやほら、一緒に暮らしてるわけだから、アカギのこと分かるのアンタしかいねぇだろ」
「そうですかね」
「やっぱ気になるじゃねぇか、今後のこととか」
「ウチに居るつもりだとは思いますがね」
「そうかい」
「俺を自分のもんにしたいらしいですよ。子供らしくて可笑しいでしょう」
安岡は思わず酒を吹き出した。いつかのバーと同じ状況である。
慌てて辺りを拭いた。
「わ、悪い悪い」
「そんなに笑えることでもないでしょう」
「あぁ、むしろ笑えねぇな」
「え?」
「いやいや」
落ち着いてから南郷は、安岡のお猪口に再び酒を注いだ。
フリマワサレル