08


 背中を寄せ合あったまま、時間が過ぎていく。
 時折、紙を捲る音と、外から聞こえてくる犬の鳴き声や風鈴売りの声が遠く響いた。
 南郷は記事を一通り読み終え、それから、求人の欄を見始める。
 目ぼしいものがいくつかあったが、正直、まだどうなるか分からない。これから人生を賭けた大勝負が待っているのだ。
 一生働かずに済むか、仕事は必要になっても生き残るか、もしくは死ぬか。
 本当に分からない。
 思わず溜息が出た。
 それに気付いたアカギが、視線を後ろの男に移す。

「どうしたの」
「ん?あぁ、いや」
「重い?」
「まさか。軽過ぎるくらいだろ、お前」
「そう」

 そして再びアカギは視線を本に戻した。
 不必要な部分は読み飛ばしているようで、パラパラと一気に捲ったかと思えば、手を止めて、読解を開始する。
 この集中力は、アカギの才能の一つだ。
 南郷は新聞を閉じ、コップに残っていた麦茶を飲み干した。もう一杯注ごうと立ち上がる。

「うわっ」

 すると当然ながら、寄り掛かっていたアカギが背から倒れた。
 ちゃぶ台に寄り掛かる体勢になって、南郷を軽く睨む。

「わ、悪い。忘れてた」

 寄り掛かられていることを忘れていたのだ。
 まるで自然だったから。

「お前も麦茶飲むか?」
「・・・うん」

 体勢を戻して、アカギは手から落ちた本を拾い上げた。
 南郷は台所へ向かい、自分のと、もう一つコップを出して、麦茶を注ぐ。

「南郷さん」
「何だ」
「麻雀牌、ある?」
「あぁ、あるぞ」

 コップ二つを手に部屋に戻り、ちゃぶ台に置いた。
 それから押入れに向かい、開けて中を探る。

「確かこの辺に・・・」

 一人暮らしの男の部屋は、仲間内での麻雀会場になりやすい。妻帯者になっておかしくない年齢であれば尚更だ。
 南郷の部屋も例に漏れず麻雀部屋に近くなっていた頃があったようで、そのときに誰かが持ち込んだまま置きっ放しになっている牌があった。

「あったあった」

 だが仕事をクビになってからは雀荘に入り浸ることが多く、この部屋で仲間が集まることはほとんど無くなった。
 それでも当時の仲間からは連絡がよく来ていたのだが、ヤクザ者と関係がある以上、迷惑が掛かったらいけないと南郷の方から距離を置いていたのだ。

「ほら、あったぞ」

 麻雀牌が一式収まった黒いケースと、緑色のマットを持ってちゃぶ台の方へ戻ってくる。
 南郷はコップ二つを畳に置き直して、マットをちゃぶ台に載せて広げると、さらにその上にケースを置いた。蓋を開けて、牌の並ぶ箱を取り出せば、逆さにして中身を全て出す。
 箱とケースをちゃぶ台の下に置いて、アカギの方を見た。

「ちゃんと揃ってるやつだから、好きに使え」
「あぁ」

 アカギが座り直せば、南郷もその隣に腰を降ろした。
 牌を弄り始める様子を、楽しそうに見詰めている。

「南郷さん、これ何て読むの」

 牌を弄ったり、本を見たり、麦茶を飲んだりする中、読み方が分からない字などをたまに南郷に聞いてきた。それを教えてやっては、また続きを見守る。
 少しして、不意にアカギが一つの提案をした。

「ねぇ、勝負しようよ」
「はぁ?俺とか」
「アンタ以外に誰がいるのさ」
「勝てるわけないだろ俺が」
「分からないじゃない」
「練習相手か?」
「まさか。練習なんてしないよ、面白くも無い」
「じゃぁ・・・」
「ちゃんとした賭け事をするんだよ」

 アカギはニッと、年相応とは決して思えない笑みを浮かべた。

「何を賭けるんだ」
「そうだな・・・」
「金ならダメだぞ。安岡さんの持ってくる話の種金なんだ」
「そんなの要らないよ。金取ってもアンタは追い詰められない」
「追い詰められてたじゃないか、この前まで」
「あれは命が掛かってたからさ。借金のために死ぬかもってときだったじゃない」
「それは、そうだが」
「金がなくなるだけだったらあそこまで追い詰められなかったよ、南郷さんは」

 アカギは鋭く南郷の人と成りを見抜いている。

「おいおい、俺を追い詰めてどうする気だよ」
「別に」
「お前なぁ」
「何にしようかな」

 楽しそうに言うその表情は、先ほどとは打って変わって年相応に見えた。

「じゃぁ、体かな」
「は?」
「その体だよ、南郷さんの」
「え、お前、まさか指とか腕とか言うなよ」
「何言ってんの」
「じゃぁどこが欲しいってんだよ」
「・・・」
「どうした」
「そういうことじゃないんだけどな」
「ん?」

 体が欲しいと言って下の事を連想するのは、普通は相手が女の時だけだ。
 それは分かっていたが、賭け品として欲しい物を考えたときにそれはアカギの口を突いて出ていた。
 何故そんなことを思ったのか本人にも分からない。だが、南郷と肌を重ねることを自然と想像していたのだ。興味が湧いたとしか、言葉では説明できない。
 何を思って南郷を求めたのか、アカギ自身よく分からなかったし、南郷が言葉の意味を解していないのが分かれば、まぁいいかと思えた。

「何なんだ一体」

 アカギの言っていることが分からない南郷は、不思議そうに眉を寄せる。
 そんな南郷にアカギは溜息を一つ、それから部屋をグルリと見回した。

「・・・取り消すよ。変えよう」
「おい」
「この部屋の鍵はどう?」
「鍵?」
「あぁ」
「この部屋取られたら困る。ダメだ」
「取りはしないよ。鍵を貰うだけだ」
「・・・何だそれ」
「別にいいじゃない」
「じゃぁ、お前は何賭けるんだ」

 南郷は訝しげにそう問う。

「そうだな・・・同じものを賭けないと意味がないけど、鍵なんて持ってないし」
「言っとくが、体なんて要らないぞ」
「それは残念」
「は?」
「鍵と同等の価値があるものか。それじゃぁ、俺がここに居ること」
「どういうことだ」
「負けたら出てくよ」
「はぁ?」

 何故そんなことになったのか、何故その二つに同等の価値があるのか、南郷には何もかも分からなかったが、アカギは楽しそうに南郷を見詰めている。

「なんかよく分からんが、まぁ、いいだろ」

 ここの鍵なんて言えば普通に貸してやるのに。
 そう南郷は思うが、アカギは鍵を借りたいのではなく、欲しいと言っているのだ。
 それがアカギへの居住の許可になることなど、南郷は知りもしない。
 だが少年に取っては、出入りを完全に許された証になる。南郷はそんな証など気にもせずここへの進入は許可するだろう。
 けれどアカギは欲しかった。
 『鍵』という名の、南郷の信頼が。
 食い違う二人の思考は、本人たちにも分かっていない。アカギは、自分が南郷の傍に居ることを許されている確かな証を求めていることが不思議だった。
 求められていることの真の意味など知りもしない南郷は、簡単な思考を巡らす。
 まず勝つことはないと思うが、万が一そうなっても引き止めれば良い。負けても鍵一つで済むのだ。
 構わない。

「ちょっと待ってろ」

 南郷は立ち上がって、再び押入れに向かう。
 開ければ、奥に置いてある小さな引出しのついた棚を漁った。一度も使っていない予備の鍵がそこにあるのだ。それを取り出してきて、卓の上に置いた。

「これでいいだろ」
「うん」
「負けたらやらないからな」
「勝ってから言ってよ」

 クスクスと笑いながら、二人はちゃぶ台を挟んで向かい合うように座り、牌を掻き混ぜ始めた。
 勝負、開始。
 それから小一時間。
 南郷、惨敗。

「・・・」
「南郷さん、アンタ素直過ぎる」
「う」

 アカギ、圧勝。

「まぁ良い退屈しのぎにはなったね」

 そう言うアカギの手元には、マンガンの大物手が事も無げに並び倒されていた。
 思考を良いように弄ばれた気分の南郷は、かなり疲れた様子で肩を落とす。
 その様子にアカギはクックッと笑いながら、手を伸ばして麻雀卓に置かれていた小さな鍵をヒョイと摘んだ。

「んじゃ、これは貰うよ」
「あぁ好きにしろ」

 鍵を持っていかれたこと自体は南郷に取って痛くはない。
 ただ、こうも簡単に十三歳にあしらわれたことが、予想してはいたがショックだった。

ムネフルエダス

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